《う★コロン都市伝説》ヴォイニッチ手稿を解読せよ!【中編】 〈2316JKI45〉

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「ヴォイニッチ手稿」の一部

この【中編】では、米国に渡った後の、手稿の謎に迫った幾つかの研究と、現存の手稿の内容や構成について解説致します。

では、「ヴォイニッチ手稿」の謎について、存分にお楽しみください!!

 

 

「ヴォイニッチ手稿」とは1912年にイタリアのモンドラゴーネ寺院で発見された古文書です。この古文書はアメリカ人の古物商、ウィルフレッド・ヴォイニッチに買い取られて、その後は彼の名前を取って「ヴォイニッチ手稿」と呼ばれてきましたが、詳しくは【前編】をご覧ください。

《その後の「ヴォイニッチ手稿」に関する研究》

この謎の書物の解読作業は、当初は簡単に進むかに見えたのです。一見したところいろいろな植物の挿絵が描かれている、中世のごくありふれた植物図鑑か何かの様な体裁だからです。

例えば、様々な植物から効能のある薬の成分を探して抽出する方法などを述べた文書に見えました。そしてそこに天文学や占星術などの要素を加えたものです。(当時は薬学にも占いの要素が関係している場合がありました)

ヴォイニッチは、過去の学者とは異なり、現代の専門家であれば比較的簡単にこの古文書の謎を解き明かすだろうと考え、依頼があれば誰にでも「ヴォイニッチ手稿」の写真版を提供したといいます。

そしてヴォイニッチはアメリカに帰国し、歴者学者や古文書の研究家、暗号学者や言語学者、また統計学者、そして植物学者など多方面の専門家にこの手稿の解読を訴え続けましたが、彼が死して数十年を経た今なお解読には誰も成功していません。

 

1921年、ウィリアム・ロメーヌ・ニューボールドというペンシルバニア大学の哲学教授が、この手稿はロジャー・ベーコンについての暗号文書であると米国哲学学会で発表、暗号の解読に成功したと名乗り出たのです。

彼は、先ず記号をローマ字に変換。得られた17個の記号とラテン語の「conmuto(変化する)」という言葉をキーワードとして解読を進めると、逆綴りのラテン語の文章が現れたといいます。そしてこの文章を本来の順序に戻すと、なんとロジャー・ベーコンに関する著述となりました。(手稿を拡大して綿密に調べた結果、古代ギリシャの速記法の痕跡を発見。それを参考に解読を進めたともいう)

そこには、ベーコンが顕微鏡を発明、それを用いて生物の細胞や精子を観察したり、望遠鏡を製作してアンドロメダ星雲が渦巻状の銀河であることを発見したと記されていたといいます。

1926年にニューボールドは亡くなり、2年後の1928年には彼の友人のロランド・G・ケントがニューボールドの研究結果をまとめた『ロジャー・ベーコンの暗号』という書籍を出版しました。

 

しかし1931年には、シカゴ大学の英語学の学部長で言語学者のジョン・M・マンリー博士が、ニューボールドの解釈体系には現代(20世紀)の前提条件が多過ぎるとして、彼の説に大きな疑問を呈しました。

暗号専門家のデヴィッド・カーンも、ニューボールドの論じる方法では元々の文章を暗号化することは出来ても、その暗号文書を複号することは不可能に近い、として批判しています。(もしくは、その逆の複合は可能でも、暗号化が困難)

またニューボールドが発見した筆跡の特徴は、インクの自然なかすみである事が判明し、彼の説の根拠を弱める材料ともなりました。

 

1933年には、ライオネル・C・ストロング医学博士が部分的に解読に成功したと発表しました。イングランドのアンソニー・アスカムなる人物の薬草に関する秘本だというのです。しかし解読方法の詳細を公表しなかったので、世間からはまったく支持を得られませんでした。

同じ頃、暗号研究家のジョセフ・M・フィーリーが換字式暗号解読の技術(後編にて解説)を応用して、アルファベットをヴォイニッチ文字に割当てて解読を試みたが出来上がった文章は特に意味を為さず、彼の研究は失敗に終わりました。

 

その後、1945年に米国の暗号研究者ウィリアム・F・フリードマンが専門の学者を集めて解読チームを編成、謎の解明に向けたプロジェクトを開始しましたが、その年の内にチームは解散、研究は頓挫しました。しかし彼は、この手稿は暗号ではない可能性が高いと指摘しました。

フリードマン曰く、一般的に暗号作成者は文字・記号の反復を可能な限り少なくして、その反復部分から解読されることを防ごうとするものだが、「ヴォイニッチ手稿」では逆に普通の文章と比較しても反復部分が多いくらいだ、と。つまり、この手稿の作者は暗号化を考えていない、というのです。

以降、暗号ではない可能性に言及した研究者も多く、その点は【後編】で詳しく紹介したいと思います。

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