去る6月15日、英国では「マグナカルタ(大憲章)」が制定されてから800年を迎えました。エリザベス女王やキャメロン首相が出席して盛大な記念式典も開催されましたが、ところで、「マグナカルタ(大憲章)」って何のことだか覚えてますか? 中学校の世界史の授業で習ったハズですけれど‥‥。
AFPが伝えたところでは、中世のイングランドにおいて、プランタジネット朝のジョン王が「マグナ・カルタ」を認めて署名したとされる英国南東部サリー州の町ラニーミードで開かれた記念式典には、英国のエリザベス女王やキャメロン首相、米国のリンチ司法長官らも出席しました。
この制定800周年記念の式典に参加したエリザベス女王は、式典プログラムに「大憲章の理念は誠に重要であり、かつ不朽です」とのメッセージを載せました。またキャメロン首相は、「この大憲章は正義と自由の議論を発展させてきました。私たちは、これからもこの原則を守り続けましょう」と話しました。
写本(コピー)された修正版は数多く存在しているものの、現存する「マグナ・カルタ」の原本(オリジナル)は4部のみで、ロンドンの大英図書館に2部、残りはソールズベリー大聖堂とリンカン大聖堂に保管されています。このところ英国では、「マグナ・カルタ」制定記念の様々なイベントが催されており、上記の大英図書館では保有するマグナカルタ原本の2つを公開しています。
「マグナ・カルタ(大憲章)」は、ラテン語ではMagna Carta 、英語ではthe Great Charter of the Liberties of England と言います。イングランド王国において1215年6月15日にジョン王により制定された憲章であり、イングランド国王の権限(王権)に関する制限が記載されています。
「マグナカルタ」は、対仏戦などで敗戦を重ねた結果、重税の課税など横暴な行いが目立ったジョン王に対し、イングランドの有力貴族(諸侯)やロンドン市民の代表らが一致団結して抗戦の末に認めさせた法律文書のことです。
国王の権力を法律で制限するとともに、臣下である貴族の既得権や都市の一定の自由権を認めさせ、その後の、王の専制から個人の権利を守る根拠となりました。後年の民主主義の成立に向けた歴史上の重要な文書といわれ、英国憲法の土台ともなったと云われています。また各国の憲法制定にも影響を与えたとされます。
より具体的には、ジョン王がイングランドで古来から守られてきた法や慣習を守らず、たびたび無視しては不法な政治を行ったことに反発したジョン王の臣下である封建貴族たちが、戦いで彼を打ち破り強制的に承認・署名させたのが「マグナ・カルタ」なのです。
王と諸侯がこの様な対立に至るまでの理由と経緯は、1199年に兄のリチャード1世が中部フランスで戦死したことで王位を継いだジョン王が、ライバルのフランス王フィリップ2世と1203年頃から1214年にかけて行った度重なる戦闘に敗れて多くの大陸の領土を失い、そして1209年にはカンタベリ大司教の任命をめぐって争ったローマ教皇インノケンティウス3世からは破門されてしまいます。教皇とは1213年、不敬を謝罪し教皇にイングランドを献上、再び賜る形で許されますが、この様な政治上の失敗から、多くの戦費と特に失った領土からの収入の補填の為に、イングランドの臣民に重税を課税しようとしたことが主な原因でした。
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