今日の思い出の1枚 赤電は苦い酒の匂い〈17/38TFU03〉

1970年代後半、私は常磐線沿線に住んでいました。中学校は都内にあったので、毎朝、常磐線の快速で通学していました。

常磐線の中でも、水戸やその先の平(今のいわき)方面からくる401系の交直流の中距離電車、通称「赤電」は通勤通学の列車らしからぬ電車でした。古ぼけた車内はセミクロスシート。4人掛けのボックスシートが並び、各ボックスにはテーブルがあり、ちょっとした「旅」の雰囲気でした。今の常磐線では考えにくいことですが、古くから常磐線を利用していた乗客は、持参の弁当を食べたり、朝から酒を飲んだりなどという光景もよく見られました。ガラの悪い電車というイメージが強かったのです。

その日、朝の7時台の上野行きは、我孫子からスーツ姿の通勤客が多く乗り込み、たちまち通路まで人が立ちました。ボックス席には、始発駅近くから乗ってきたのでしょう、作業員風の3人組がテーブルにワンカップ酒を並べて朝から宴会をしていました。

スーツ姿の男たちは、新聞で顔を隠し、赤ら顔で大声で笑い声をあげる彼らを視界から遠ざけようとしていました。ボックスの中に一人紛れ込んでしまった若いOLは、赤い顔をした3人にからかわれていました。「これ、食うか?」干物のタラか何か袋から出すと、社内は生臭い臭気がたちこめます。このころは喫煙可能だったので、タバコの煙と酒と肴の匂いで気分が悪くなってきました。嫌がるOLに缶ビールを勧めようとして、さすがにリーダー格の男にたしなめられていました。女性は泣きそうな顔をしていました。
次第にスーツ姿の男たちの他に、OLや学生服の高校生たちも白い目で3人を見ていました。

しばし沈黙が続いた後、窓側の体の大きな男が「赤電も乗りにくい電車になったっぺな。」茨城弁の強いアクセントで大声でぼやきました。「おめえら難しい顔したって、しゃあねっぺよ!」周囲の新住民の通勤客に挑発的に、赤い顔であおります。彼はさらに調子に乗って、亀有付近から並行して走る千代田線のドアまでびっしり立っている客に向かって、卑猥な言葉を投げつけていました。「ほれ、タクミ、やめとけって」さすがに他の仲間も口を出す。ふてくされたようにその「タクミ」と呼ばれた男は、タバコを吸って、窓から煙を吐いていました。
「気取ってんじゃねえぞ。コラ。」誰に言うでもなく、彼の声は寂しそうでした。数年前までは、地元の顔なじみばかりの朝の電車は、いつの間にかあちこちから移り住んできたニューファミリーの若いサラリーマンに乗りなれた電車の雰囲気を変えられようとしていたのです。柏、松戸といった沿線風景が急激に宅地化されていくように、彼も変わりゆく環境に居心地が悪くなったのかもしれません。

その後、赤電は白にブルーのラインに塗り替えられ昔日の面影を隠しながら、沿線の都会化、近代化にむりやり残された感じで走っていた。客層もすっかり変わった。「タクミ」という名の青年はどこに行ったのでしょう。赤電のくたびれた写真を見ると、寂しそうな「タクミ」を思い出します。

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上野駅に到着した常磐線「赤電」401系低窓車

 

 

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