1980年3月 旭川駅の宗谷本線317列車急行「利尻」稚内行き。車両の際からスモークが立ちこめます。旧型グリーン客車のスロ54 504から、私は寒いホームに降りました。
当初、私が札幌から指定席をとった4号車は、息が詰まるほどほ満席。しかも、進行方向を後にした私の席は、初老の3人組の真ん中。居心地の悪さは満点でした。寝台車も連結していた「利尻」で、私はスハネ16のレトロな寝台に変えてもらおうと、車掌に交渉しました。ところが、寝台は満員!グリーン車は全く予想もしていなかったのに、車掌に勧められ、学生の身分でも無謀にも、なけなしの金をはたいて、岩見沢付近からグリーン車に収まりました。
スロ54 504。もとは東海道本線の特急車両のスロ53です。車内は独特の雰囲気でした。テーブルがなく、カーテンキセがエンジ色。読書灯はほの暗い、白熱灯。サウナのように暑い、洋式トイレ。
旭川に23時57分到着。冬だというのに、暑い車内を飛び出し、身も凍えるような旭川のホームに。0時の時報がホームに、眠気を覚ますように響きました。喉が渇いたので、ホームの自動販売機を見つけたら、オロナミンC以外は売り切れでした。私は、咳をして仕方なくオロナミンCを買って、汗をかくほど暑い車内で飲み干すと、リクライニングシートを倒しました。「こんな時間から、元気はつらつになってどうするんだろ?」そんな疑問を乗せたまま列車は最北端の地を目指して、ホイッスルと共に動き始めました。
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