NHK大河ドラマ『真田丸』の人々 ~主人公以外の主要登場人物の解説~ 女性編 〈25JKI39〉

真田丸1 51t5zEidmOL._SX351_BO1,204,203,200_先日、大河ドラマを観ていた娘から、主人公の堺雅人さん演じる「真田信繁(幸村)」は、「きり」(役者は長澤まさみさん)と「梅」(役者は黒木華さん)のどちらと結ばれるのか?と聞かれたのですが、その結果は「両方」で「それぞれとの間に子供をもうけた・・・」と答えて顰蹙を買いました(笑)。でも史実ではそれが本当とされているので、この先のドラマでもそうなるハズです。ちなみに、(意外かもしれませんが)なかなか女性関係に関してお盛んな信繁には、この二人の他に正妻の「竹林院殿」(大谷吉継の娘)や側室の「隆清院殿」(豊臣秀次の娘)などがおり、他にも未詳の側室がいましたが、大河ドラマではどの様に描かれるのやら??存在自体がスルーされちゃうのでしょうか・・・。

さて、側室争いの話題の際に我が家人から、多くの資料に恵まれている信繁、そして父親の「昌幸」や兄の「信之」を除くその他のドラマの主要な登場人物についての解説を求められたので、少々、調べてみました。そこでこの記事では彼ら彼女らの実像を紹介したいと思いますが、いずれの人々も資料に乏しく、また不明確な事柄が多いことをご了承ください。また、当初の予想よりも対象人数が多くなったので、前後編(女性編と男性編)に分けて公開することにしました。

尚、昌幸や信之に関しては、信繁の祖父である「幸隆/幸綱」や伯父の「信綱」などとともに別稿で取り上げたいと考えています。

参考:NHK大河ドラマ『真田丸』 登場人物相関図 ⇒ http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/cast/index04_02.html#mainContents

 

それでは、そもそも信繁の側室ふたりについての話からこの調べものは始まったので、女性編を先に紹介しましょう。

●先ずは信繁の祖母である「とり」から。とりは、「河原隆正」(当初「海野棟綱」に仕え、後に幸隆の家臣となる)の妹で幸隆の正室(一時期は武田家重臣の「飯富虎昌」の娘が正室であったらしい)とされ「河原氏」(法名は「恭雲院」)と呼ばれており、幸隆の息子たち(信綱・「昌輝」・昌幸・「信伊」・「高勝」)すべての実母(高勝は除くとの説もあり)とされています。今回の『真田丸』では草笛光子さんが演じていますが、ドラマの通り、「滝川一益」の人質から「木曽善昌」の手に移され、その後は徳川家へ引き渡されますが、やがては解放されました。天正20年(1592年)5月20日もしくは文禄2年8月1日に亡くなったとされています。法名は「恭雲院喜山理慶大姉(きょううんいんきざんりけいだいし)」です。一説に河原氏の一族ではなく、「羽尾幸全」の娘(『羽尾記』)ともされていますが、その根拠は薄い様です。さて、演じる草笛光子さんは流石の貫録で、戦国ゴットマザーに相応しい演技です。

●次に信繁の母である「薫」(役者は高畑淳子さん)について。昌幸の正室で「山之手殿」と呼ばれていましたが、昌幸が亡くなった慶長16年(1611年)頃には出家し「寒松院」と称していたようです。信之・信繁の生母で、一説には「菊亭晴季」(公卿:右大臣)の娘で「武田信玄」の養女となり昌幸に嫁いだとされますが、現在ではこの可能性は極めて低いとされています。京から下向した人物である可能性は高いのですが、それほど身分が高かったとは考えられていません。昌幸が「豊臣秀吉」の配下になった時点からは人質として豊臣家の元へ赴きました。後に夫の昌幸と次男の信繁が高野山に追放された際には同行せずに、長男の信之の元に残りましたが、慶長18年(1613年)6月3日に亡くなりました。この「薫」については、如何にもお公家出身のチョイ我儘な雰囲気充分の高畑淳子さんの演技が光ります。

木村佳乃さんが演じる「松」ですが、正式には「村松殿」と呼ばれ永禄8年(1565年)に生まれたとされています。昌幸の長女で母親は上記の山之手殿とされ、『加沢記』によれば信之の1歳年長の姉とされています。武田家旧臣の「小山田茂誠」の正室となりましたが、武田家滅亡後(天正18年)に茂誠は昌幸の臣下となります。この時、村松郷という処に領地を与えられましたが、この地名が夫人の「村松殿」という名の由来です。夫婦仲が円満であったことに加えて、弟の信之や信繁とも大変、仲が良かった様子で、互いの身を案じる手紙などが実際に残っています。彼女は寛永7年(1630年)6月20日に亡くなりました。墓石は真田家の菩提寺である長国寺に夫の茂誠のものと並んでいます。「松」についての木村佳乃さんの演技もなかなかいい味を出していて、軽妙でいながら兄弟や両親・夫などとの間柄の表現、即ち家族の絆をよく体現しています。

●「梅」(役者は黒木華さん)は、真田家家臣の郷士である「堀田作兵衛興重」の妹で信繁の側室となり、長女「すへ」(「於菊」とも)と次女の「於市」を産みました。残念ながら、それ以外の詳しいことは解かりません・・・。

●そして長澤まさみさんが演じる真田家重臣「高梨内記」の娘が、三女の「阿梅」と四女の「あぐり」を産んだとされる「きり」です。しかし阿梅の実母に関しては信繁の正室である「竹林院殿」とする説もあります。売れっ子女優の長澤まさみさんにしては役不足の感が否めませんが、黒木華さんの「梅」ともども、詳しい事績や履歴が不明の人物であればあるほど自由に描ける利点を活かしての三谷配役なんでしょうね・・・。また、黒木華さんと長澤まさみさんの女優としてのコントラストが、“落ち着きのある静”の「梅」と“少々おっちょこちょいで動”の「きり」の違い浮き彫りにして、各々の存在感をより際立たせているようです。

●信之の最初の正室がドラマでは「こう」(演じるのは長野里見さん)と言われている「清音院殿」です。昌幸の長兄で信之の伯父である信綱(隆幸の嫡男)の娘でした。元々は正室でしたが、信之が「小松殿」を迎えてからは側室に退きます。昌幸が長兄・次兄の戦死を受けて急遽家督を継いだ関係から、長兄の信綱の娘を自らの嫡男である信之に娶せて家督継承の正当性を示したものと考えられます。文禄4年(1595年)には嫡男の「信吉」を産んでいますが、後に信吉の生母は小松殿とされてしまいました。元和5年(1619年)9月25日没。ドラマでも病弱で薄幸な人として描かれてはいますが、三谷幸喜さんの脚本は、夫役の大泉洋さんや姑役の高畑淳子さんとの絡みの場面において、長野里見さん演じる「こう」のその(コメディタッチの)所作などが、どことなく笑いを誘います。

吉田羊さんが演じる「稲」は、「小松姫/殿」と呼ばれ徳川家の重臣「本多忠勝」の娘で「徳川家康」の養女(「秀忠」の養女とも伝わります)として信之の正室となりましたが、彼女は元和6年(1620年)2月24日に48歳で亡くなったとされています。真田家菩提寺所蔵の『長国寺記』においては「稲姫」と記されていますが、何故他の資料で「小松」と尊称されたかは不明のようです。また残念ながら、沼田城での昌幸への入城拒否事件(関ヶ原の合戦時に、息子の信之と敵対した昌幸が、信之不在のどさくさにに紛れて城を乗っ取ろうとした時に、留守を預かっていた小松殿が一喝して入城を断った、との故事)は創作で、事実ではないとされています。記録によれば彼女は、実際には当時は大阪の真田屋敷にいた模様だからです。この話、徳川家随一の豪傑、本多忠勝の娘故に人一倍剛毅な性格だったと後世の人々が勝手に考えたからでしょうが、しかしこのエピソードはドラマでは重要な見せ場のひとつとして欠かせない場面になるでしょうね・・・。こういった小松殿のイメージからすると、やはりこの役は(メリハリの効いた)吉田羊さんにはピッタリかも知れません。

-終-

 

《スポンサードリンク》