NHK大河ドラマ『真田丸』の人々 ~主人公以外の主要登場人物の解説~ 男性編 〈25JKI39〉

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック 真田丸 (NHKシリーズ) 61HQtWvh4EL._SX350_BO1,204,203,200_本稿は、NHK大河ドラマ『真田丸』に登場する人物の、主人公である信繁や準主人公とも言える父の昌幸や兄の信之を除く、その他の重要な人々についての簡単な解説記事です。もともと個人的な我家の家族のリクエストに応えて調べたものですが、せっかくですから広く皆さんにご披露いたします。では、前編の女性編に引き続き、男性編を紹介しましょう。尚、相関図は下記を参考にしてください。⇒ http://www.nhk.or.jp/sanadamaru/cast/index04_02.html#mainContents

 

栗原英雄さん演じる「真田信伊」について。信伊は主人公の信繁(幸村)の叔父(父の昌幸の弟)であり、当初は別稿で扱う予定でしたが、今回のドラマではわりと頻繁に登場しており、信繁にとっての影響も大きい人物として描かれていますので、この男性編のトップで解説することにしました。彼は信繁の祖父、幸隆(幸綱)の四男であり、隠岐守を称しました。また正室は、武田家重臣の「馬場信春」の娘でした。長篠の戦いで討死した、武田家の親類衆である加津野家を継いだ幼少の出羽の名代として、一時的に加津野家の家督を相続(天正5年頃)して「加津野昌春」を名乗ったとされており、『甲陽軍鑑』には御鑓奉行に任じられたと記されています。また天正7年(1579年)以降は、武田家の朱印状奉者としての活動も記録に残っています。やがて武田家滅亡後は一旦、「上杉景勝」につきますが、その後は兄の昌幸の配下へ移りました。そして天正10年(1582年)頃には既に徳川家に加担していたようで、『寛永諸家系図伝』によれば天正12年には正式に「徳川家康」の家臣となっています。天正13年の第一次上田合戦においては、『加沢記』によれば昌春も真田方として参戦したと記されていますが、この説には否定的な意見が多いようです。しかしその後、経緯は不明ですが彼は徳川家を出奔し会津の「蒲生氏郷」に仕えました。これ以降、真田隠岐守信伊と名乗りますが、主人の氏郷が死去した際に蒲生家から退去し、慶長7年(1602年)には再び徳川家の臣下となり甲斐国に領地を与えられて旗本(3,000石、後に4,000石)となります。信伊は長命で寛永9年(1932年)5月4日に86歳で没しますが、慶長19年の大阪冬の陣には徳川方の使番として参陣。この時、甥の信繁(幸村)に対して寝返りを働きかけたとされますが、この工作は失敗に終わります。今回の大河ドラマでは、主人公の信繁(幸村)はこの叔父を尊敬しながらも、その真田家の交渉役・謀略担当としての生き様にいくばくかの不信感を抱いてもおり、たぶん今後のドラマでもこの大阪の陣での寝返り工作のエピソードは重要なシーンとして描かれるでしょう・・・。尚、三谷さんの脚本も、栗原英雄さん演じる信伊については兄の昌幸を命がけで盛り立てる誠実な弟として描いており、またその演技も正統派に徹しています。

●「矢沢頼綱」(役者は綾田俊樹さん)は、真田頼昌(信繁の曽祖父)の三男で昌幸の叔父とされ、即ち真田家中では一門の重鎮として重きをなしていました。受領名は薩摩守。天文10年(1541年)の海野平合戦の敗戦後は村上義清に従属していましたが、後に兄の真田幸隆(幸綱)とともに武田家に仕えました。また長年、上杉家をも巻き込んだ外交戦術を駆使(昌幸との関係性は維持しながら上杉家の配下となる)し、沼田城を北条勢から死守(一時期、織田家の滝川一益が入部)したのでした。豊臣秀吉の命で一旦手放した沼田領も、北条氏滅亡後には真田家に返還されます。そして頼綱はその後に沼田城に入った信之の藩政を補佐しながら慶長2年(1597年)5月7日に亡くなりましたが、享年には諸説があります。さて綾田俊樹さん演じる頼綱は、ドラマでは温厚さを感じさせてさほど目立たない役柄ですが、実際は当時の真田一門のキーマンであり、一族のサバイバルには欠かせない知将でもあり勇将でもあったのです。

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