驚愕!上田城には鉄道の駅まであった!? 〈17/38TFU03〉

今年のNHK大河ドラマは「真田丸」。知名度抜群の真田信繁(幸村)が主人公であることと、昨今の歴史ブームの後押しもあって、毎回高い視聴率で放映されています。真田氏といえば、信州・上田。観光の目玉である上田城も連日、多くの観光客でにぎわっているようです。上田城は真田氏が智略を活かして、徳川軍の攻撃を追い返した名城です。そんな上田城の堀の中に、駅の跡があるのを御存知ですか?なんと堀の中を電車が通り、ホームまで設置されていたのです。これも真田氏の作戦だったのでしょうか。

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上田城の堀にひかれた線路跡。トンネルの上は二の丸への橋。左手が城跡。

その正体は上田交通の真田・傍陽線。長野県上田市の上田駅と真田町の真田駅、傍陽駅を結ぶ路線でした。開業当初は「北東線」と称し、1927年(昭和2年)に開業しました。1939年3月に「菅平鹿沢線」と改称、さらに戦後には「真田・傍陽(そえひ)線」と名称を変えました。その路線の一部が、なんと上田城の堀の中を電車は走っていたのです。電車は信越本線の上田駅を発車すると、大きく右へカーブし街中をぬけて城の堀に入ります。堀はもちろん、水がはっていません。まるで切通しの中をぬけていくような光景です。そして、上田を出て初めの停車駅、「公園前」駅。

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トンネルから上田方向を見た図。左手にホーム跡がはっきり残る。

この駅は昭和2年の開業時に設置されました。上田城の真正面、二ノ丸橋の下でした。今も橋の真下にホーム跡がはっきり残っています。橋の下のアーチには、架線を支える碍子も残っています。駅舎もない無人駅でしたが、公園や野球場、公民館などへの利便性の高さが人気だったようです。

現在は線路跡が遊歩道になっています。

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近年の様子。風景にすっかり溶け込み、言われなければわからないほど。

線路はさらにその先も堀の中を走り、再び市街地の地平部分に出て、畑を抜け、30~40‰の勾配を上り、トンネルをくぐり、鉄橋を渡り約16キロの距離で終点の真田駅まで結んでいました。

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1985年ころの真田駅跡。線路跡は国道になっていましたが、駅舎とホームは形をとどめていました。

1972年(昭和47年)2月19日、この路線は廃止になってしまいました。この路線は電車が貨車を牽く、全国でも珍しい姿が見られました。また、ここの電車は様々な鉄道を走った経歴を持つ兵ぞろいでも有名でした。今回、掲載した写真の電車は廃止後15年経った1986年に撮影したものですが、この堀の中を走った電車です。

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上田駅に留置されていたサハ62。前身は東急のサハ3350。

撮影当時は、まさか真田幸村が大河ドラマの主人公になるなんて予想もつかず、上田城も歴史好きな人達が知っている状況でした。

もし、上田城の堀を走る電車が残っていたら、一躍ブームになったことでしょう。真田氏ゆかりの名城を走るレトロなローカル私鉄の旅、いいですね。

上田城
紅葉の上田城

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