いよいよ連載2回目の今回では謎に包まれた事件の核心に迫りたいと思うが、数ある疑問点に触れる前にブースがリンカーン大統領の暗殺で目指した目的について整理してみたい。
ブース（もしくはその背後にいた首謀者たち）の元々の計画は、大統領を単に暗殺することではなく、大統領や複数の政府高官を誘拐して南部連合の首都リッチモンドに連行して人質とし、南北戦争を有利に進める（南軍捕虜との人質交換を要求する手筈であっとの説もある）ことだったという。
しかし誘拐計画は実施前に尽く失敗（中止）となり、そうこうする内に戦争の帰趨は南部連合の敗北に傾いてしまう。その為に、こんどは土壇場での合衆国政府の転覆を目指して、大統領他の要員の誘拐から暗殺に計画を切り替えたのだとされる。
ブースの狙いは、リンカーンをはじめとした合衆国政府の有力者を暗殺することでワシントンを恐怖と混乱に陥れ、合衆国政府の崩壊を図るというものであった。しかしリンカーンの暗殺には成功したが、スワード国務長官は命を取り留め、ジョンソン副大統領の暗殺は完全な未遂に終わる。結局、政府に大きな揺さぶりをかけるというブースの狙いは外れたのだった。
さて、それでは以下にこの暗殺事件の具体的な疑問点をあげていくが、読者の皆さんにもあまりに多くの謎があることがお分かり頂けると思う。
（1）本来、リンカーンは警備の厳重なグローバー劇場で観劇する予定になっていたのだが、当日になって急遽、警備の手薄なフォード劇場へと変更された事が第1の謎である。この変更を誰がどのような理由で指示し手配したのかは未だに明らかではないという。
（2）当初は、大統領夫妻に同行するのはユリシーズ・S・グラント（Ulysses S. Grant）将軍とその妻となっていたのに、その日になって突然に辞退され、急ぎリンカーンが軍人の中から代役を探した結果、ヘンリー・ラスボーン少佐とその婚約者のクララが同行する事になった。この件も不審な点が多く、当日、グラントは何らかの危険な動きについての情報を受け取ったのではないか、という説がある。そして断りの理由も「子供に会う為・・・」というものであり、それほど（翌日でも問題のない様な）至急のものではなく、大統領との事前の約束をドタキャンするほどの重要な理由とは考え難いものであった。またラスボーンの前にリンカーンが同行を依頼した陸軍省の長官副官エッケルト（Eckert）少佐については、本人ではなく何故かスタントン陸軍長官が「彼は忙しいので・・・」と言って断っている。
（3）事件後、この時の大統領一行は4人（リンカーン夫妻、ラスボーンとクララ）であったとされていたが、27年も経過してからチャールズ・フォーブス（Charles Forbes）という大統領の下僕がフォード劇場に同行していたと発表されている。事件後の捜査報告や裁判では、何故だか不可解なことに彼の存在は公表されておらず、長期間にわたり、劇場を訪問したのは4人であると伝えられていた。
（4）大統領一行は20時10分に馬車に乗って出発し、20時30分頃にはフォード劇場へと到着した。芝居は既に始まっていたが、観客たちの歓迎を受けながら大統領一行は2階の観覧／ボックス席へと案内される。この時、案内されたのは7号室と8号室だった。大統領夫妻が入ったのは8号室だったが、この部屋のドアの鍵は壊れており、7号室のドアには丁度、目の高さの所に覗き穴があった事が後の捜査で判明したのだった。何故故にフォード劇場の支配人は、この様な無用心な観劇／ボックス席にわざわざ大統領一行を案内したのだろうか。更に他の2階の観覧／ボックス席は、7号室と8号室以外は全て空席だったのに「満席」とされて誰も入場を許されなかった。これは警備の都合とも考えられるが、壊れた鍵や粗末な警備態勢（後述）を鑑みると、この点も疑問視されて不思議はない。
（5）この日、大統領の観覧／ボックス席の警備を担当していたのはジョン・パーカー（John Parker）という警官1人のみであったが、なんと彼は警備を開始してから数分後には持ち場を離れて劇場の外へ出て行き、近隣のバーで飲んだくれていたという。しかもこの警官は、普段から勤務態度が悪く、勤務中に飲酒をしたり、理由もなく銃を乱射したり上官に反抗するなど、とても大統領の護衛を任せられるような人物ではなかった。更に不可解なことには、彼は大統領が暗殺された後も、そのことを理由としては特に罰則等は受けていないのだ。
（6）犯行時間に二つの説があることも謎のひとつである。いくら150年も前の事とは云え、一国の大統領が殺害されるという大事件に関して、何故1時間も異なる説が存在しているのだろうか・・・。捜査が杜撰だったのか、何か別の理由があったのか。