【歴史ミステリー】 リンカーン大統領 暗殺の謎!? 《2》 〈248JKI54〉

更に暗殺事件の後、関わった周辺の人々は精神に異常をきたすか、不可解な死を遂げる者が多かった。またそうでない者も、決して幸せな人生を送ったケースは少ない。

(10)先ずはファースト・レディーから一瞬にしてアメリカ最大の悲劇のヒロインとなった大統領夫人のメアリー・トッド・リンカーン…眼前で夫を射殺されて精神的に大いに不安定となり長期間にわたり精神病院に入院していたが、退院後も正気に戻ることはなかったとされ、1875年には自殺未遂を起こしている。彼女は1882年に63歳で死去。尚、4人の息子の内長男を除く3人が若くして死亡している。

(11)観劇をドタキャンしたユリシーズ・S・グラント将軍・・・南北戦争では北軍司令官の中で最高の英雄とされ、1868年には第18代大統領に就任した。しかし、側近(個人補佐官)や閣僚(陸軍長官)の汚職を見過ごしたり、南部の再建やインディアン対策に失敗するなどにより支持率は急落して1877年には辞職。歴代の大統領の中では最低クラスの評価を受けた。1885年に63歳で死去。ちなみに、リンカーンの死に際してグラントは「(リンカーンは)最も偉大な人物である」と激賞した。

(12)大統領に同伴したラスボーン少佐(とフィアンセのクララ)・・・事件から2年後、少佐はフィアンセのクララと結婚し3人の子供をもうけるが、1883年には発狂し妻のクララを殺害して子供たちと心中を図るも失敗した。その後は精神病院に監禁されて余生を送り、1911年に狂ったまま74歳で死去した。

(13)事件を処理したスタントン陸軍長官…彼はリンカーン大統領暗殺に関与した共犯者らを迅速に逮捕することに陣頭指揮を振るったことで、事件後、暫くは国民の多くから支持されたが、やがてその強引で不可解なやり方には疑問も呈された。彼はリンカーンの次の大統領アンドリュー・ジョンソンの時にも引き続き陸軍長官を務めたが、大統領との仲は険悪だったとされている。またその傲慢な行動は議会からも猛烈な反発を受け、ついには大統領から更迭されかけるが、長官室にバリケードを築いて立て籠もった末に大統領の更迭手続きのミスなどで更迭を逃れた。そしてその後の1869年、連邦最高裁判所の判事に任命されるものの、わずか4日後に55歳で死去(自殺したという説もある)した。

(14)ラファイエット・C・ベイカー大佐・・・彼は事件後(4月26日)に准将への昇進をジョンソン大統領に約束(指名)されたが議会が承認しなかった。しかし犯人捜索にかけられていた懸賞金100,000ドルの内から多額の分配を受けたとされている。ところが翌年には(険悪な関係となっていた)ジョンソン大統領からの告発を受けて軍情報局長(government spymaster)の職を解任された。その後には、前述の自著にてリンカーン暗殺事件当時の数々の謎(ブースの死体の処理や日記の欠落したページのこと等)に触れている。

彼は1868年1月3日には狩猟時の事故による怪我の痛みからすべての仕事を辞し、同年7月3日にフィラデルフィアで41歳で死亡したとされる。この時のベイカーの死因は髄膜炎であるとされるが、しかし彼はリンカーン暗殺の秘密を守る為に、髄膜炎などではなく、陸軍部の手先であった義理の弟のウォーリー・ポラック(Wally Pollack)によって(ヒ素を徐々に盛られ)毒殺されたとの説もあるのだ。

(14)ブースを射殺したとされるコーベット軍曹…多額(約1,600ドル)の報償金を政府から受け取ったが、軍を除隊後に発狂して発砲事件を起こして精神病院に入院。その後、不思議なことに1894年には森林火災に巻き込まれて行方不明となった。

(15)事件当日の警備担当者ジョン・パーカー・・・事件から約3年後、勤務中の不行跡(居眠りとされる)により懲戒免職となる。その後は大工や機械工として生活し、1890年に60歳で死去したとされる。

(16)エヴァートン・コンガー大佐・・・15,000ドルの報償金を得る。以降、地方裁判所の判事などをやりながら生活。1918年に84歳で死去した。彼は直接、事件の暗部に関わらなかったせいか、比較的安穏な生活を送った様だ。

 

以上の様に謎だらけのリンカーン暗殺事件であるが、次回の連載第3回目《3》は、最終回としてこの暗殺事件の『謎の解明とまとめ』の回としよう。またリンカーンと幾多の(不思議な)類似点があるというケネディ大統領についても触れてみたいと思う・・・。

-終、《3》に続く-

【歴史ミステリー】 リンカーン大統領 暗殺の謎!? 《1》・・・はこちらから

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