【歴史ミステリー】 リンカーン大統領 暗殺の謎!? 《3》 〈248JKI54〉

ロバート・トッド・リンカーンの数奇な体験

最後に、リンカーン大統領の息子であるロバートが体験した奇妙な事件を紹介する。父親の暗殺事件となんらかの関連性があるのだろうか? 都市伝説的には・・・「絶対ある」、となるが(笑)。

尚、彼は共和党員としてジェームズ・A・ガーフィールド大統領およびチェスター・A・アーサー大統領の政権下で陸軍長官(!?)を務めた政治家である。

 

《その1・・・三度の暗殺の体験》

ロバート・リンカーンは、3人もの大統領の暗殺事件に遭遇していた。この奇妙な体験に関して、彼自身も不思議な出来事との感想を持っていたという。

最初は自身の父親の事件。1865年4月14日にリンカーン大統領が暗殺された時には、当初、ロバートはその現場にはいなかった。大統領が銃撃を受けたとの報に接し、ホワイトハウスからピーターセンハウスに移された父親のもとへと駆けつけた。

1881年7月2日にガーフィールド大統領の旅行に同行する為にワシントンD.C.のボルティモア・ポトマック鉄道の駅まで出向いたが、大統領は駅でチャールズ・J・ギトーに銃撃されてしまい、ロバートはこの事件(ガーフィールド大統領暗殺事件)の目撃者となった。

更に1901年9月6日には、マッキンリー大統領からニューヨーク州バッファローで開催されていたパン・アメリカン博覧会に招待されたが、大統領はレオン・チョルゴッシュに撃たれてしまう。この時、ロバートはこの銃撃騒ぎを直接は目撃しなかったが、当該事件(マッキンリー大統領暗殺事件)の発生時に会場内にいたのだった。

 

《その2・・・ブースの兄に助けられる》

ロバートは、ジョン・ウィルクス・ブースの兄でもあったエドウィン・ブースに、鉄道事故から救助してもらったことがあるのだ。

その事故とは、ニュージャージー州ジャージーシティ駅のプラットホーム上で発生した。正確な日付は不明(リンカーン大統領暗殺の前、ロバート自身は1863年終わりか1864年初めごろと記憶している)であるが、寝台車に乗車する為にプラットホームで待機していたロバートは、列車が急に動き出したために足場を失って転倒しかけた。そこに偶然居合わせたブースが、ロバートが着ていたコートの襟をつかんで引き戻してくれたおかげで、彼は九死に一生を得ることが出来たというのだ。

その後、グラント将軍の側近となったロバートは、同僚のアダム・バドー大佐にこのことを話した。そしてバドー大佐がブースにその咄嗟の行為を称賛する手紙を送り、そこで初めてエドウィン・ブースは自分が救助した青年がリンカーン大統領の息子であることを知ったという。

エドウィンの弟がリンカーン大統領を暗殺したのはそれから1年ほど後のことであったが、なんとエドウィン・ブースはリンカーン大統領支持派の一員であり、後々、彼にとってロバートの命を救ったことは、ささやかながら我が弟の大罪の贖罪となったとされる。

 

《その3・・・父の墓を暴かれる》

リンカーンの死後、遺体の盗掘とその身代金要求に関する未遂事件が発生した。そこで1900年頃にロバートは、遺体の盗掘を防ぐ為に地下墓所の建設を決定。1901年9月26日に元のリンカーンの棺は発掘されて、新たに造られた地下墓所に再び埋葬された。棺は数フィートの厚さのコンクリートに厳重に包まれて、岩石スラブの床上に安置された。

 

まさしくリンカーン暗殺事件は、数々の謎を残しながら現在にまで至っているのだが、こうしてみると、無関係な他国のよそ者まで(つまり私たち)を様々な謎解きや推理の醍醐味に惹きつける怪事件であり、100年後の別の大統領との繋がりまで見せるなんて大したものだなぁ、とつくづく感心してしまうのだ・・・。

-終-

【参考】 リンカーンは1864年8月別荘からホワイトハウスへの馬での出勤途上、狙撃され帽子を貫通された。これが財務省シークレットサービス(当初は偽造通貨・偽札の摘発機関、後に合衆国大統領の警護組織となる)が1865年7月5日に組織された理由の一つとの説もあるが、マッキンリー大統領の暗殺後に合衆国連邦議会がシークレットサービスに合衆国大統領の身辺警固を公式に課することになる。尚、現在は国土安全保障省(DHS)内の部局だ。

 

【歴史ミステリー】 リンカーン大統領 暗殺の謎!? 《1》・・・はこちらから

【歴史ミステリー】 リンカーン大統領 暗殺の謎!? 《2》・・・はこちらから

 

 

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