ところで、こうして旗艦設備が充実していた『高雄』型の『妙高』型との差異であるが、実は外見上の違いに反して、基本設計が同じである故に、根本性能にはさほどの違いはないとされる。
それでも改良点として、(後年の近代化改装後は『妙高』型もほぼ同様の兵装となるが、誕生時の差異としては)先ずは主砲口径を条約制限上限の20.3センチ(8インチ)としたことが挙げられる。またその最大俯角も70度として対空射撃も可能な両用砲(但し、実際には砲塔旋回速度や発射速度が遅く、有効な射撃は不可能だった)とした。また魚雷兵装を大幅に改善(次発装填装置を装備、魚雷頭部位置に防弾板を設置)して魚雷発射管をオープン・ハンガー式(開放式格納型)の発射管室に収めて上甲板へ移設、弾火薬庫や舷側装甲の防御強化(最厚部をNVNC甲鉄を用いて『妙高』型より1インチ厚い127ミリとした)、電気溶接を導入(重量軽減に貢献)した点、などが挙げられる。
『高雄』型の建造中にロンドン条約が締結された為に、日本が保有する条約型重巡は制限保有量を満たしてしまう。そこで条約型1万トン重巡の建艦は『高雄』型が最後となった。
『鳥海』は昭和3年(1928年)3月26日に三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工され、同年4月13日附で『鳥海』と命名された。昭和6年(1931年)4月5日に進水、昭和7年(1932年)6月30日には艤装員長の細萱戊子郎大佐の指揮下で就役したが、前述の通り、姉妹艦の『摩耶』と同日附の竣工であった。
尚、『鳥海』は幾度となく艦隊や戦隊の旗艦を務めたが、これは客船建造の経験豊富な三菱造船が建艦を担当したことから、他の同型艦と比較して艦内設備・艤装/居住性が優れていた為といわれている。
しかし旗艦任務が多かったことで長期間の改装工事の時間が取れなかった為に、その生涯において一度も大改修を受けていない艦、となってしまう。つまりは、『高雄』と『愛宕』の様な大改装や『摩耶』の様な徹底した対空火器の強化(3番主砲塔を撤去して40口径12.7㎝連装高角砲を2基設置するなどの他、高角砲の増設と対空機銃の大幅な増備等)も施されず、『高雄』型で唯一、原型を留めていた艦であった。
『鳥海』の完成時要目
・就役 昭和7年(1932年)6月30日 ・喪失 昭和19年(1944年)10月25日
・基準排水量 9,850トン ・全長 203.76m ・全幅 18.999m ・吃水 6.11m
・最大速力 35.5ノット ・航続距離 14ノットで8,000海里
・主砲 50口径三年式II号20.3cm連装砲5基10門 ・高角砲 45口径十年式12cm単装高角砲4門
・機銃 毘式40mm単装機銃2基 ・魚雷 八九式61cm連装魚雷発射管4基8門
・搭載機 水上偵察機3機(呉式二号三型射出機2基) ・乗組員 竣工時定員760名
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