【太平洋戦争】 優駿 日本海軍 巡洋艦物語!! 第1回 重巡洋艦 『鳥海』 -前編-  〈3JKI00〉

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宿毛湾における『鳥海』 (昭和14 年4月~5月頃 撮影)

昭和16年(1941年)12月8日の太平洋戦争開戦時、南遣艦隊の司令長官小沢治三郎中将は艦隊旗艦として重巡洋艦の派遣を要請。そこで山本五十六連合艦隊司令長官は、第四戦隊から『鳥海』を南遣艦隊に編入し、旗艦は練習巡洋艦『香椎』から『鳥海』に変更となった。

こうして『鳥海』(艦長、渡辺清七大佐)は南遣艦隊の旗艦として、マレー半島攻略部隊の支援と英国海軍の東洋艦隊邀撃に参加することとなる。尚、この時の南遣艦隊の主な編成は、旗艦『鳥海』並びに第七戦隊(栗田健男少将指揮。重巡『最上』、『三隈』、『鈴谷』、『熊野』)や第三水雷戦隊(橋本信太郎少将指揮、旗艦『川内』と駆逐艦多数)、第四潜水戦隊(吉富説三少将指揮、旗艦『鬼怒』、特設潜水母艦『名古屋丸』に潜水艦多数)、第五潜水戦隊(醍醐忠重少将指揮、旗艦『由良』、特設潜水母艦『りおでじゃねろ丸』及び潜水艦多数)、更に工作艦『朝日』、その他には第12航空戦隊(特設水上機母艦『山陽丸』や同『神川丸』、同じく『相良丸』)と第22航空戦隊の基地航空隊(元山海軍航空隊、美幌海軍航空隊)や第9根拠地隊(急設網艦『初鷹』)などの雑多な部隊から成っていた。

12月10日には、『鳥海』が英東洋艦隊主力の一部、Z部隊の新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と古豪の巡洋戦艦『レパルス』他と遭遇する寸前、両艦は基地航空隊(第11航空艦隊所属の第22航空戦隊・元山航空隊の九六式陸攻及び一式陸攻が美幌空・鹿屋空と協同で攻撃)により撃沈された。

しかしこの時、実は南遣艦隊以外に南方作戦支援の為に派遣された第三戦隊第2小隊の戦艦『金剛』と『榛名』が英国の二戦艦と対峙する形となっていたが、さすがに砲撃戦となった場合は、彼我の砲戦力から鑑みて互角な結果となっていたかも知れない。しかも後に、この両部隊は一時は『プリンス・オブ・ウェールズ』の主砲射程圏内にまで接近していたことが明らかになっている。

また、ちなみにこの際、英軍Z部隊に対して夜間攻撃に出撃した陸攻部隊(第22航空戦隊)が『鳥海』を英戦艦と誤認して攻撃開始の寸前、『鳥海』は無線封鎖を緊急に解除して「照明弾下にあるは味方なり」を連呼し、あやうく同士討ちを免れたという。

 

『鳥海』は1942年(昭和17年)1月から2月にかけて、第1南遣艦隊(1942年1月3日以降、従前の南遣艦隊が改名。別名、馬来部隊とも)の旗艦としてオランダ領東インド、ボルネオ島の攻略作戦に従事する。

2月15日、『鳥海』偵察機と空母『龍驤』の偵察機がガスパル海峡を北上する敵戦艦1隻を含む巡洋艦3隻・駆逐艦8隻のABDA《オーストラリア・イギリス・オランダ・アメリカ》連合艦隊(司令官カレル・ドールマン少将、ヨーク級重巡『エクセター』ほか軽巡4隻、駆逐艦8隻)が北上中と報告した。

この時、第四航空戦隊司令官の角田覚治少将は空母『龍驤』の九七式艦上攻撃機による反復攻撃を実施するが、効果は薄かった。更に基地航空隊の陸攻部隊も攻撃を行うが、同様に戦果はなかった。

しかしほぼ無傷のABDA連合軍艦隊も航空機の援護のないことが不利と判断して反転し、ジャワ海へと避退して行った。尚、(『鳥海』は参加していないが)このABDA連合軍艦隊は2月27日以降のスラバヤ沖海戦と引き続き発生したバタビア沖海戦により壊滅する。

『鳥海』は2月22日、セント・ジャックス岬付近で暗礁に接触して損傷したので、27日には修理のためシンガポールに移動。修理後はスマトラ島のイリ、アンダマン諸島上陸を支援した後に、ビルマのマーグイに寄港した。

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