先日、ある祝事で配られた『宝船』の置物、せっかくの縁起物ですから居間の棚に飾らせていただきましたが、よく観るとなかなかバラエティに富んだ神様たちが乗船してるんですよネ。今風に言えば何となく「ブサカワ」な方が多いのですが、妙に興味を引く風体の神様たちです!!
ところでこの『宝船』とは、福の神とされる七人の神様である『七福神』が乗る、各種の財宝を沢山積み込んだ船のことですが、『宝船』に仲良く乗っている『七福神』は、実は別々の国出身の神様の集まりなんです。厳密には本来は無関係なんですけれど、あの御目出度いオーラの統一感は半端ないですよネ・・・。
と言う事で、それでは順番に『七福神』の由来をみていきましょう・・・。
先ずは『大黒天』ですが、この神様はインドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身であり、サンスクリット語で『マハーカーラ』と呼ばれます。このお名前の音を漢字にすると『摩訶迦羅』となり、「マハー」は大きいこと、「カーラ」は黒い色を指すので『大黒天』と訳されました。我国では、同じ音(ダイコク)である日本古来の『大国主命(おおくにぬしのみこと)』(日本神話の神で、国津神の代表的神)と結び付いて(習合して)神道の神となり、食物や財福を司る神様になりました。当初(インドで)は破壊と豊穣の神でしたが、中国を経由して日本へと伝わる内に豊穣の神という面のみが残り、恐ろしい形相も次第にマイルドなものに変化していき、室町時代以降は微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると現在よく知られる米俵に乗って福袋と打出の小槌を持った姿となりました。
またインドの寺院の厨房の柱には、金の袋を持った小柄な『マハーカーラ』(大黒天)が祀られており、この神様は厨房・食堂の神様でもありました。日本においても、最澄が『毘沙門天』・『弁才天』と合体した『三面大黒』を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりとされています。
さて、私たちの日常生活でよく使われる「大黒柱」という言葉の意味ですが、その柱は家の中心となる太くて重要な柱のことで、転じて家族を養うと共にその中心となる人物のことを指しますが、その柱を何故「大黒柱」と言うのかは、かつてはその家の中心となる柱に『大黒天』を祀ったからと云われています。そしてこの柱は台所にも隣接または近く、台所の神という条件も満たしていたそうで、そこから「大黒柱」という名前がついたとの説が有力なのです。但し、より単純明快に富を司る神である『大黒天』に肖(あやか)ったともされ、国の中の柱「大国柱」が転化した説などの他説もあります。
次に『弁財天』ですが、『七福神』の中では紅一点の彼女は元はインドのヒンドゥー教の女神である『サラスヴァティー』という水の神様です。『サラスヴァティー』の「サラス」は「水」を意味し、西北インドにあった大河の名前だったとされます。また河がもたらす自然の恵みから豊穣の女神となり、サラサラと流れる河の音が音楽を奏でる様子を連想させて、音楽の女神ともなりました。更に、言葉の女神『ヴァーチュ』と同一視されて、言葉(弁論)を操る才能に優れた神様、つまり『弁才天』となり、弁舌や学芸、そして智恵の女神となっていきます。
こうして彼女は様々な異名と共に、音楽神・福徳神・学芸神・戦勝神などと幅広い性質を有していましたが、この点は仏教化された時にも引き継がれ、『弁才天』は音楽・弁才・財福・知恵に関するマルチな徳を持つ天女となります。しかし我国での『弁財天』信仰は、もともとの性格を反映して各地の水神や海上神の『市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)』等と習合して、いずれも海や川、湖などの水面(みなも)に関係している場所で祀られていることが多い様です。また室町時代に『弁才天』が『七福神』のメンバーに加えられた頃から、彼女は琵琶を弾く妖艷な姿として描かれだしたと考えられます。
近世になると『七福神』の一柱としても信仰され始め、江戸時代の文化・文政期(1804年~1830年頃)になり、予め決められたコースを巡って『七福神』を参詣するという「七福神詣で」が流行(はやり)だすと、『弁才天』の役割や性格も変化しだしました。やがて蓄財の神として信仰され財宝神としての性格が強くなると、「才」の音が「財」に通じることから『弁財天』と記述される事が多くなります。因みに、縁日の「巳」の日に『弁財天』にお参りして御礼をもらうと、多くの財産を獲得出来ると信じられる様になりますが、「巳(み・し)」=「蛇(へび)」は水神の使者とされています。
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