『毘沙門天(びしゃもんてん)/ヴァイシュラヴァナ』は、仏教における天部の仏神である『四天王』の一人(四人組の時は意訳『多聞天』と言うが、独尊状態の仏像の場合は音訳『毘沙門天』と呼ぶことが多い)ですが、この神様も出自はインド系ですね。インド神話の財宝神クベーラが前身とされ、最初はお宝を守る神でしたが中国に伝わるとその姿も貴人から武将へと変貌して仏法の武神・守護神となり、仏教の教えでは『四天王』(東方守護が『』持国天、南方守護が『増長天』、西方守護が『広目天』 、北方守護が『多聞天』/『毘沙門天』)の一角で、七難を避け七福を与える北方守護の神仏とされます。
その勇壮な姿から、中国では武道・武術の神としても崇拝されていた様です。そして日本でも戦国時代頃までは、主に戦争の神として武士階級から信仰を集めました。
やがて我国では、単独の神様として信仰の対象とされる場合の『毘沙門天』は、仏敵を打ち据えるといった武神の面よりも財福の神という面が強まり、やがては「無病息災」の神という一面も加わります。室町時代末期には「福徳増進」の神として『七福神』の一員に選ばれ、江戸時代以降は特に勝負事(ギャンブル)に御利益(ごりやく)がある神様となりました。
日本における『寿老人(じゅろうじん)』と『福禄寿(ふくろくじゅ)』は本来は同一の神様と考えられ、中国の「南極老人星」信仰がベース。この場合の『南極老人』とは、「南極老人星(カノープス、りゅうこつ座α星)」という天体を神格化した道教の神のことです。中国の宋代以降に長寿と幸福を司る『南極老人』として神格化され、その姿は長頭短身の老人/仙人として表現されました。
つまり我国では『寿老人』も『福禄寿』も根っ子は同じ神様ですが、個々には『寿老人』は上述の『南極老人』そのものと考えられる道教の神仙(神)の一人であり、酒を好む長寿の神様とされます。彼は不死の霊薬入りの酒が入っている瓢箪を持ち、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従えています。また手には、これも不老長寿のシンボルである桃の実を携えています。
『寿老人』は、神社に祀られる時は『寿老神』と記されます。また別に『樹老人』とされることもあり、樹木の生命力が長寿を象徴しているそうです。尚、御供の鹿は『玄鹿(げんろく)』と呼ばれ、これも長寿を表しています。
方や『福禄寿』は、道教が追求する人生における三つの願い、即ち「幸福」(血縁のある実子に恵まれること)、「封禄」(高い身分と豊かな財産を得ること)、「長寿」(健康に恵まれて長生きをすること)の三徳を実現した道教の神仙のことです。
また『福禄寿』は本来は「福星(幸福)」・「禄星(身分)」・「寿星(寿命)」の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神様であるとされていました。この内の「寿星」が『南極老人』であり、「寿星」のみが単独で日本に伝わったのが『寿老人』となったという説が有力です。そしてこの理由については、中国から日本に伝来した『福禄寿』に関連する絵図などで、「福星」を蝙蝠(コウモリ)、「禄星」を鹿として表したものが多く、老人として描かれた「寿星」が蝙蝠と鹿を従えた神様に見えた様で、要するに「寿星」である『南極老人』が神様で、その脇に描かれたのはお供の動物と見做されたというのです。尚、蝙蝠・鶴・松で『福禄寿』を表すものや、『福禄寿』が鶴・鹿・桃を伴う場合もありますが、日本では彼は背が低くて長頭で白い長髭をはやし、手に持つ杖には経巻を結び、これまた長寿のシンボルともいえる鶴を伴っている姿が代表的です。
厳密にはこの様な違いがある『寿老人』と『福禄寿』ですが、どちらにしても長寿と福禄をもたらす神様であることには間違いありません。しかし『福禄寿』と『寿老人』は同一の神様と考えられていることから、『七福神』から何れかが外されたこともあり、その場合には、『吉祥天』(元はヒンドゥー教の女神である幸運を司るラクシュミー神で、仏教の守護神である天部の一人として御利益は『弁財天』に似ているが、財テク部分は薄くその分ノーブルな印象あり)や猿に似て人の言葉を理解し酒好きの想像上の動物『猩猩(しょうじょう)』を代わりに入れるとする説もあります。
尚、『福禄寿』は中国の宋時代(960年~1279年)に仙人となった道士で、当時、年齢は既に数千歳だったという伝承もあります。また、『太山府君/泰山府君』(十二天の一人である焔摩天/閻魔大王に従う眷属。中国・泰山の信仰と結びついて『泰山府君』とも書かれ、道教では『東嶽大帝』とも呼ばれる)のことであるとも云われます。しかし、あの優し気なお爺ちゃんが閻魔様だと云われると、これは随分と恐ろしい感じがしますが・・・。
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