《ようこそ神様》 『七福神』と『宝船』、その由来は何でしょう? 〈1647JKI27〉

『布袋(ほてい)』和尚は、『七福神』の中で唯一実在の人物とされる神様で、中国の僧である釈契此(しゃくかいし)がモデルとなっています。彼は唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)で実際に暮らしていたといわれる伝説的な仏僧で、常に袋を背負って喜捨を求めて歩き回っていたことから『布袋』という俗称が与えられました。またこの『布袋』が背負っているその袋は、所謂「堪忍袋」(人が怒りを我慢できる限度を袋にたとえた慣用表現で、「堪忍する」とは許したり我慢すること)であるとされています。更に、彼が『弥勒菩薩』の化身であるとの信仰が現れて、中世以降、中国では『布袋』になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒仏の姿・形として描かれるようになり、我国でも『布袋』形のふっくらとした金色の弥勒菩薩像を見ることが可能です。

『布袋』は我国では、鎌倉時代に禅画の題材として広く受け入れられました。庶民からは福の神として人気を集め、室町時代後期には『七福神』のメンバー入りを果たします。彼の太っちょでおおらかな風貌や仕草は広い度量と円満な人格を表し、その手にした袋から宝物を出し与えてくれる「富貴繁栄」を司る神様と考えられてきました。一般的に『布袋』は、大きな袋を背負って背は低いがふくよかで、常に満面に笑みをたたえた愛嬌のある容姿を持った僧侶の姿で描かれます。(西洋の『サンタクロース(Santa Claus)』にどこか似ていますね・・・)

しかもこの僧は超能力の持ち主で、雪の中に寝ても少しも濡れなかったとか、諸国を放浪して預言や託宣を行い、優れた予知能力から人の吉凶を占っても百発百中だったとされていまが、きっと実在の釈契此のミラクルな行いや人徳とそのユーモラスな様子が時代と共に大きく膨らんで人々に伝わり、やがては福の神にまでなってしまったと思われるのです。

 

最後に、『恵比寿(えびす)』様ですが、彼は完全なる日本生まれです・・・。日本神話に登場する神様の『伊弉諾/伊邪那岐(イザナギ)』と『伊弉冉/伊邪那美(イザナミ)』の間に生まれた子(『蛭児(ひるこ)』)を祀ったもの(西宮神社の祭神)で、古くは「大漁追福」の漁業の神でした。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす性格に変化していきますが、七人の中で唯一100%日本国籍の神様です。

『恵比寿』は現在では『七福神』の一員として福神としての顔がメインとなっていますが、上記の様に古くから漁業の神であり、やがては留守神となり、また「商売繁盛」を招く商いの神様となりました。『夷』、『戎』、『胡』、『蛭子』、『蝦夷』、『恵比須』、『恵美須』などとも表記され、「えびす神社」にて祀られています。

『恵比寿』の由来は前述の『蛭子命(ひるこのみこと)』以外にも、『大黒天』であるとされる『大国主』の子であり託宣を司る神の『事代主(ことしろぬし)』とされることもあります。「えびす」は記紀に記載が無い神様である為に諸説がありますが、「えびす」を祀る全国の神社の祭神を調べると、『蛭子』由来説と同等かそれ以上に『事代主』由来説が多数を占める様です。しかしこうなると、『恵比寿』と『大黒天』は親子という関係になり、それ故に一緒に祀られることも多くあります。そして一般的に『七福神』の絵図などで描かれている、『恵比寿』が釣竿を持ち鯛を釣り上げた姿は、国譲り神話における『事代主』の釣り好きエピソードに基づくものとも云われています。

また、「えびす」という言葉自体(『夷』、『戎』など)が本来は異郷・異邦の者や辺境に住む人々を意味するところから、外来の神とされることもあります。これは古代の人々が「えびす」のことを、日常生活から隔たった遠く外部にある異郷の世界(ユートピア)から幸福をもたらす神様としてイメージしたからと考えられています。

また「えびす」の本来の神格は、(海辺の)人々の前にたまに現れる外来物・漂流物に対する信仰であり、海の彼方から現れる「海神」・「寄り神(漂着神)」とされるのです。この「寄り神」に関しては、主に漂着・座礁したイルカやシャチ・クジラやジンベエザメなどをまとめて「勇魚(いさな)」と言い、これらを指して「寄り神」=「えびす」と呼び、漁業神として祀る地域が多数あります。それはクジラやジンベイザメなどの大型海洋生物そのものの亡骸が人々に(食糧や副収入となる原材料/資源として)恩恵を与えると共に、それらが出現するとその後に近辺の漁場が豊漁となることが、この信仰の原点だと思われます。これが、漁の時に漂着物を拾うと大漁になるという信仰に繋がり、現在でも九州南部では、漁期の初めに海中から「えびす」の御神体とする為の石を拾うという風習があるそうです。

しかし『恵比寿』の、最もポピュラーな神様業のジャンルは商業の神様としての役割でしょう。平安時代末期には既に「えびす」を市場の神様(市神)として祀ったとの記録が残っており、鎌倉時代にも鶴岡八幡宮の境内では市神として「えびす」を祀っています。これは時代が古代から中世に移り、漁業などとは別に商業が大きく発達することに比例して「商売繁盛」の神様としての性格が促進・整えられたと考えられるのです。

また同時に、富を築く商いの神様の立場を一歩進めて、富や幸せを招く「福の神(福神)」としても信仰されるようになり、間もなく『七福神』の一柱となりました。しかしこの様にその由来には多種多様の側面がある為、「えびす」を祀る神社でも祭神が異なることがあるのです。

「福神」としての『恵比寿』は、烏帽子に狩衣、釣り竿と魚籠を持ち、釣り上げた立派な鯛を抱えています。そしてふくよかな笑顔、即ち「えびす顔」で描写されています。更に「えびす」は耳が遠いとされている為、神社本殿の正面を参拝する他に本殿の裏側に回りドラを叩いて祈願しなくてはならないとされます。そこで、今宮戎神社などでは本殿の裏にも銅鑼(ドラ)が用意されています。

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