〈「日本」の読みや呼び方について〉
こうして7世紀の後半の国際関係から生じた“国号”「日本」は、当時の国際的な読み方(音読)では「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測されているが、何時頃から「ニホン」という読み方が加わったかは定かでない。
ちなみに漢音は7・ 8世紀、奈良時代後期から平安時代の初め頃までに、遣隋使・遣唐使や留学僧などにより伝えられた音のことである。中国語の中古音の内、「唐」中頃の長安地方の音韻体系(秦音)を多く反映したもので、他の呉音や唐音に比べて最も体系的とされている。一方、呉音は漢音より前、奈良時代中期以前に建康(南京)から持ち帰られて既に日本に定着していた字音のことだ。逆に唐音は、鎌倉時代以降に中国から入ってきた宋以降の字音である。(唐音での「日本」は「ニェ、プオン」の様な発音か)
だが平安時代では漢音が正音とされたのであるから、この年代の「日本」の発音は正式には「ジッポン」であったと考えられるし、それはその後も続いていたと思われる。そして仮名表記では「にほん」と表記されたが、平安時代には「ひのもと」と和訓されるようになった。
但しそれ以降、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人や西洋人などとの交渉事等の外交的な場面に限定されていて、自国民の間での日常会話では、専ら「ニホン」や「ニッポン」が用いられていたのではとの推測も充分可能である。またちなみに、英語の『ジャパン(Japan)』はマルコポーロの『東方見聞録』における『ジパング』(黄金の島)という表現が由来とされていることは周知の事実であり、そこでの「グ」は「国」という意味である。
関が原の戦い(1600年)の頃にポルトガル人が編纂した『日葡辞書』や『日本小文典』等には、「日本」の読みは「ジッポン」・「ニフォン」・「ニッポン」と三種類が表記されているそうだ。また、その用例から判断するとフォーマル(公的)な場面や“国号”を強調したい場合には「ニッポン」が使われており、日常生活での使用例では「ニホン」が使われていたとも云う。
尚、当時のハ・ヒ・フ・ヘ・ホの発音は fa・fi・fu・fe・foであり、その為に「ニフォン」という発音がまだ残っていた。そしてこの頃、即ち江戸幕府の開闢当初にはまだ「ジッポン」という言い方が存在していたことにもなり、「ニッポン」や「ニフォン」と合せて三種類の発音があったことが窺えるのである。
つまり江戸時代の初め頃まで活きていた「ジッポン」が消えて、それ以後、「ニホン」もしくは「ニッポン」という二通りの読み方を選択したのは当時(江戸初期)の日本人だったということになる。
余談ながら、なぜ日本の“国号”の明確な成立時期が解らないのか、その理由は、それは我が国の古代には王朝の完全交替(易姓革命)がなかったからだ、とする説がある。中国や朝鮮半島などの国家において各王朝が国の内外にその存在を示す為には、“国号”を制定することが不可欠だったが、古代の我国の場合は前王朝を完全に否定する様な王朝の興亡は起こらなかった。
しかし前述の通り、かつて我国も朝鮮半島の一部地域を領有することを国家の目標とした一時期において、即ち新羅を属国とみなす考え方が高まっていた時期に、朝貢国である新羅に対して自国の“国号”を「日本」として示したのでは、と考えられている。この「日本」という呼称は初めは中国において使われたものだが、やがて百済で我国を呼ぶ表記として成立し、“国号”として公的に採用される以前から私的な表現として「ヤマト」を「日本」と既述する史料等が存在しており、その様な流れの影響で我国“国号”の用法として定着していたのではないかと推測する向きもある様だ。
「日本」の呼び方については、昭和9年(1934年)の文部省臨時国語調査会において、一旦、「ニッポン」に統一されて、英語等の外国語での表記も 『Japan』を廃して『Nippon』を使用することと決め、一時期はその読みや表記方法が定められていた。但しこの時期でも、東京の『日本橋』と『日本書紀』だけは例外的に「ニホンバシ」・「ニホンショキ」と発音されていたと云う。しかもこの決定は、政府レベルで正式に採択されたものではなく、国家として公的な決定がないまま現在に至っているのだ。
現在でも日本政府は「日本」の正式な読み方を定めておらず、「ニホン」でも「ニッポン」でも良いとしている(2009年6月30日に閣議決定)。また内閣法制局によると、『日本国憲法』の読み方についても特に規定はなく、「ニホンコクケンポウ」でも「ニッポンコクケンポウ」のどちらでも問題は無いとしている。
更に意外なことに、現在、我国では自国の“国号”を「日本国」または「日本」と直接かつ明確に規定した法令は存在しないとされている。そして日本国の公印である『国璽』についても、明治時代に作製された『大日本國璽』が現在でも使用され続けているというのだから、少々、意外な感じがするのだ・・・。
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