昭和17年(1942年)8月28日、六駆は空母機動部隊(第三艦隊)に編入され、この時をもって『薄雲』は第二十一駆逐隊に転出する。そして9月、第六駆逐隊はソロモン諸島方面へと向い、修理中の『響』を除いた3隻でガダルカナル島方面の作戦に従事することになった。
10月25日には、『暁』・『雷』に『白露』を加えた臨時編成で挺身攻撃隊を編成してガダルカナル島のルンガ泊地への強襲を敢行している。曳船『セミノール』と哨戒艇を撃沈、また掃海艇『ゼーン』を損傷させ、陸上陣地へ砲撃を行う。
※この作戦の時、『電』は別任務を遂行中であり、『響』は前述の通り修理中だった。
その後の第六駆逐隊は、昭和17年(1942年)11月に「第3次ソロモン海戦・第一夜戦」において『暁』を失い、彼女は12月15日に除籍となる。
その時の状況は、ガ島ヘンダーソン飛行場・基地への砲撃(艦砲射撃)を目的とした挺身艦隊の一部である『長良』麾下の第十戦隊と行動を伴にした第六駆逐隊は、11月13日の「第三次ソロモン海戦・第一夜戦」において、『暁』が米軽巡洋艦『アトランタ』に探照灯を照射するが、しかしそれにより敵艦の集中砲火を受けて瞬く間に轟沈、同艦に座上の駆逐隊司令、山田勇助大佐も『暁』と運命を共にした。その後、『雷』と『電』は、戦艦『霧島』と駆逐艦『照月』と協力して砲雷撃で米巡『サンフランシスコ』を撃破(大破)し、駆逐艦『夕立』が単艦にて米艦隊に突入する。
※この時、当初の六駆の3隻は旗艦『比叡』の右舷斜め前方を航行していたが、艦隊は、スコールで視界が不良となったり暗闇で進撃を一時中止したりと、再三 Uターンを繰り返したことで陣形が崩れてしまう。
※先頭を走っていた『暁』は、軽巡『ヘレナ』と駆逐艦『アーロン・ワード』に機関室を砲撃されて、その直後に火薬庫が誘爆、転覆したとも伝わる。また暗夜での乱戦において、3番艦の『雷』は米軽巡『アトランタ』に魚雷一斉射(9本)を放ち内 3本を命中させたとされるが、自身も戦闘終了時には敵の砲火を浴びて機銃以外の武器は使えなくなっていた。尚、『アトランタ』には日本軍の魚雷は2本が命中、との史料もある。また『暁』を撃沈したのは『アーロン・ワード』ではなく『オバノン』ともされる。
日本軍はこの第一夜戦で、『暁』の他に戦艦『比叡』を失い、奮戦した駆逐艦『夕立』も戦没し『天津風』・『村雨』も小破した。また『雷』も大破(中破とも)するが、機関が無事だったことで何とかトラックへと帰投に成功する。更に日本側は別働隊の重巡『衣笠』が空襲を受けて沈没した。
これに対して米側は軽巡2隻(『アトランタ』・『ジュノー』)と駆逐艦4隻(『カッシング』・『ラフェイ』・『バートン』・『モンセン』)を喪失、重巡『サンフランシスコ』と『ポートランド』、並びに駆逐艦『アーロン・ワード』が大破、駆逐艦『ステレット』が中破、軽巡『ヘレナ』と駆逐艦『オバノン』が小破した。
翌11月14日、『電』は六駆で唯一損害が無かったことから、『白雲』・『初雲』などと共に戦艦『霧島』や重巡部隊(第四戦隊の『愛宕』・『高雄』)の護衛として「第三次ソロモン海戦・第二夜戦」に参加し、『電』は軽巡『長良』や『五月雨』・『綾波』と協同で米駆逐艦3隻(『ウォーク』・『プレストン』・『ベンハム』)を撃沈した。
幸いにして『電』はこの海戦から生還するが、日本軍は戦艦『霧島』と駆逐艦の『綾波』を失った。米側は、新鋭戦艦『ワシントン』に『サウスダコタ』がこの戦闘に参加していたが、連携の不味さから『サウスダコタ』が中破し戦場を離脱する。他には駆逐艦『グウィン』が中破を被った。
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