【艦これファンに贈る】真実の第六戦隊!! 〈3JKI07〉

古鷹と衣笠123 Furutaka_and_Kinugasa_1941
近代化改装後の『古鷹』と『衣笠』 (1941年11月初頭の撮影)

「艦隊これくしょん」(以下、「艦これ」)は、DMM.com にて配信中の艦隊育成型シミュレーションゲームのこと。擬人化された艦艇「艦娘(かんむす)」を集め、自分だけの艦隊を編成して任務をこなしていくゲームだが、このゲームの中では本記事で解説している日本海軍 第六戦隊のメンバーを主役とする任務(ミッション)が多く設定されており、この部隊とそこに所属する艦艇が非常に人気を集めているらしい。また「艦娘」たちは、実際の性能や戦歴はもちろんのこと、現実の艦艇にまつわる幾多のエピソードを反映してゲーム中でのその性格(キャラ)・態度、そして能力(ステータスやパラメータ)や行動が設定されている。

そこで、史実の第六戦隊の太平洋戦争における戦跡を振り返って、その奮闘ぶりと活躍を辿ることにしたので「艦これ」ファンだけでなく広く戦史好きの方々にも同部隊の戦歴を再確認して欲しい・・・。

現実の太平洋戦争における日本海軍の第六戦隊は、重巡洋艦『古鷹』・『加古』・『青葉』・『衣笠』の4隻(もしくはその一部)で編成されていた。この記事は史実の戦記に則り、激戦相次いだ南太平洋に散った第六戦隊の各艦の奮闘ぶりを振り返るものである。

※本記事で解説の第六戦隊の編成や所属に関する変遷は、全てを網羅したものではないことをご理解頂きたい。

 

巡洋艦『古鷹』型(単装の20cm砲を6基6門搭載)のネームシップ『古鷹』と2番艦が『加古』であり、元々、『古鷹』型の3・4番艦として起工したものの建造中に設計変更した準同型艦(20cm連装砲塔3基6門を搭載)が『青葉』と『衣笠』で、後の近代化改装により4艦とも主砲を軍縮条約上限の20.3cm(8インチ)連装砲3基6門装備に変更し、その他もほぼ同内容となったことにより、太平洋戦争の開戦時には実質的に同型艦とされた。

※『古鷹』要目:基準排水量は7,950トン(8,700トン)、公試排水量が9,544トン(10,630トン)。全長 185.166m、全幅 16.55m(16.926m)。公試成績での速力は 34.6ノット(32.95ノット)。航続距離、14ノットで7,000海里。乗員は627名。尚、( )内は改装後の数値。

※『青葉』要目:基準排水量は8,300トン(9,000トン)。全長 185.17m、全幅 15.83m(17.558m)。速力は 36.0ノット(33.43ノット)。航続距離、14ノットで7,000海里(8,223海里)。乗員は643名(657名)。尚、( )内は改装後の数値。

※改装後の主な兵装は、50口径20.3cm連装砲を3基6門、45口径12cm単装高角砲が4門、次発装填装置付きの61cm4連装魚雷発射管2基8門を装備(魚雷は九三式魚雷を16本搭載)。水偵も1機増えて2機搭載に強化。

 

加古267 H97701
主砲換装前の『加古』 (1928年撮影)

彼女ら(この4隻)は、もともと従来の我国の軽巡(『天龍』型や5,500トン型各級)では太刀打ち出来ない、米国のオマハ級(常備7,500トン・6インチ砲12門・34ノット)や英国のホーキンス級(常備9,750トン・7.5インチ砲7門・31ノット)に対抗するべく計画された軽巡洋艦であったが、7,000トン超の軽量な排水量であるにもかかわらず、20cmの主砲を持つ為に重巡と規定されてしまう。

※ワシントン軍縮条約により、補助艦艇である巡洋艦については、排水量が1万トン以下で8インチ砲(20.3cm)以下を搭載したものが重巡洋艦、6.5インチ砲(15.5cm)以下を装備したものを軽巡洋艦とすることが決められた。

※『古鷹』の就役は1926年(大正15年)3月31日で、『加古』竣工が同年7月20日である。『青葉』の竣工は翌1927年(昭和2年)9月20日、『衣笠』は同月30日である。

※1927年(昭和2年)12月1日、『青葉』と『衣笠』は第二艦隊所属の第五戦隊に編入され、この時の第五戦隊には『加古』、『古鷹』、『青葉』、『衣笠』の実質同型艦4隻が勢揃いした。

※1931年(昭和6年)12月1日、『青葉』と『古鷹』は予備艦となる。第五戦隊は当分編制しないことになったが、翌1932年(昭和7年)12月1日、『青葉』、『衣笠』、『加古』でまた第五戦隊を編制するが、1933年(昭和8年)5月20日、再び第五戦隊は解隊した。

※第六戦隊が編成されたのは1933年(昭和8年)5月20日から。同年 11月15日には『古鷹』、『衣笠』、『青葉』の3隻編成となる。

※1935年(昭和10年)には『衣笠』、『青葉』で第七戦隊が編制される。1936年(昭和11年)2月15日、『古鷹』も第七戦隊(司令官、古賀峯一少将)に編入。

※1939年(昭和14年)11月15日、第六戦隊が『加古』、『古鷹』により再編。それまでは第六戦隊は『利根』、『筑摩』で編成されていたが、2艦ともにそっくり第八戦隊に移行。1940年(昭和15年)11月15日、第六戦隊に『青葉』が編入され、同隊は重巡『青葉』、『加古』、『古鷹』の3隻編成となる。

※1941年(昭和16年)3月1日、『衣笠』が第六戦隊に編入された。

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