《ファンタジーの玉手箱》 ナルトもビックリ、本当の“九尾の狐”伝説!! 〈2354JKI40〉

歌川国芳 作『三国妖狐図会/華陽夫人老狐の本形を顕し東天に飛び去る』より

ところがその後、『妲己』の死後から700年の時が過ぎて、“九尾の狐”は今度は釈迦在世の頃の西域インド/南天竺の耶竭陀国(まがだこく)の王子である『班足(はんぞく)太子』の妻、『華陽夫人』として再び地上に現れました。この班足太子も、妖狐が化けた華陽夫人に操られて残虐非道な政(まつり)ごとを行ったのですが、例えばこの時、妖狐は自身の意にそぐわない臣民千人の首を刎ねる様に太子を唆したりしたと云われています。

しかしここでも、古代インド第一の名医と謳われた『耆婆(きば)』という人物が華陽夫人を悪の妖狐と見破って、「薬王樹」で作った杖で夫人に打ち掛かると、たちまち“九尾の狐”の正体を現しては北の空へと逃げ去ったのでした。この一連の話の流れは、『妲己』の物語とほぼ同じ内容であり、太公望こと呂尚の役柄が耆婆に引き継がれています。

 

そして再び“九尾の狐”は中国へと出現するのでした。インドの耶竭陀国から逃走した妖狐は、今度は周の武王から12代目の『幽王』の寵姫『褒似(ほうじ)』となって世に現れました。

褒似は類稀なる美貌によって幽王を惑わせては、とうとう正妃(太后)となります。本来、太后だった申氏と太子は廃され、やがて襃姒の子の『伯服』が太子となりました。

この様に寵愛を一身に受けた褒似でしたが、彼女は常に笑わぬ王妃でした。幽王は彼女を何とか笑わせようと手を尽くします。だが、あれやこれやと試してみたのですが、全ての試みは無駄に終わりました。

ところがある時、外夷が侵攻して来た時に上げる烽火を上げたところ、国家の非常事態ということで諸侯が軍勢を引き連れて右往左往しながら慌てて都に集まって来たのを観て、その様子が可笑しいと褒似が大いに笑ったので、気をよくした幽王はその後も何度も繰り返し烽火を上げてしまいます。

その結果、次第に誰もが外敵の攻撃を受けたことを信用しなくなり、遂には本当に敵襲(太后だった申氏の父の申侯が蛮族の犬戎の軍勢と連合して反乱を起こした)が発生、異民族が侵入してきた際に誰も集まらず、幽王は驪山の麓で殺されてしまい、捕えられた褒似も首を刎ねられて周(西周)は滅亡するのです…。また他の亡国の理由としては、幽王が佞臣の『虢石父』を登用して政治を一任したので人民はその悪政に苦しみ、幽王の政治を怨む様になったとも伝わります。

やはり基本的なストーリーはどれも一緒で、妖狐が化けた絶世の美女が皇帝や王様を誑かして悪政を敷き、その結果として国が亡ぶが正体がバレてその妖狐は逃げ去る、と云うものです。そしてこの様な話の類型としては、古代中国の夏の最期の皇帝である『桀』の妃『末喜(ばっき)』をも“白面金毛九尾の狐”の化身だとする話も存在していますが、彼女のパターンも他の悪女たちと全く同じです。

ちなみに、華陽夫人の出現と褒似の登場の順番が逆となっている説も一部にはあり、“白面金毛九尾の狐”に関連した伝承の中では出現の年代的な齟齬から、褒姒のエピソードが省略されることもあるのです。

またこれらの話が朝鮮半島に伝わり、“クミホ(구미호、九尾狐)”と呼ばれた妖狐伝説となりました。“クミホ”は美少女の姿に化けて男性を誑かしてはその命を奪う、悪意ある存在として描かれてきました。また“クミホ”は人間になりたいと願っていて、男性の命を奪う理由も千人分の人の心臓ないしは肝を食すことで人間になれるからとされています。そして近年でも、映画『クミホ』(1994年)や劇場版アニメ『千年狐ヨウビ』(2007年)、TVドラマの『僕の彼女は九尾狐』(2010年)などがこの“クミホ”を題材として扱った作品となっています。

更にベトナムにおいても同様の悪狐が、そのものズバリ “Cửu vĩ hồ(九尾狐)” と云われています。この“九尾の狐”は、ハノイのタイ湖(西湖) (vi:Hồ Tâyに棲んでいましたが、『玄天鎮武神(Huyền Thiên Trấn Vũ)』という神様によって退治されたことになっており、現在でもこの玄天鎮武神は、チャンクオック寺(鎮国寺) (vi:Chùa Trấn Quốc(別名、鎮武観)に祀られているそうです。

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