《ファンタジーの玉手箱》 ナルトもビックリ、本当の“九尾の狐”伝説!! 〈2354JKI40〉

《我国の『玉藻前』伝説》
我国の奈良時代、聖武天皇の御代(724年~749年)に遣唐使・吉備真備が日本へ帰国する船に、いつの間にか美少女が一人こっそりと乗り込んでいました。この少女は司馬元修の娘で『若藻』といい、密航が露見したのは既に船が玄界灘まで来たところだった為に、今更、唐へ返すことも出来ずにそのまま乗船を許可されて、その後、博多の湊に上陸した彼女はたちまち姿を消してしまいます。

そうです、この若藻と名乗る少女が中国や天竺(インド)の国々を乱した妖狐であり、その後、我国へと渡来した“白面金毛九尾の狐”の変身した姿なのでした。

そして彼女が行方知らずとなってから三百数十年後の平安時代末期、鳥羽上皇の頃に北面の武士・坂部庄司蔵人行綱の拾い子で、『藻(もくず)』と名乗る美少女が宮中に仕えて女官となりました。

ところが、この辺の経緯も出典元の書物等によってはまちまちで、ある話では彼女は最初は『藻女(みくずめ』と呼ばれていたとされ、子に恵まれない夫婦の手で大切に育てられて美しく成長し、やがて宮中に召し出されます。

また他の話では、藻が自作の和歌を鳥羽上皇に献上したところ、歌の見事さだけではなくその手蹟の美しさにも驚いた上皇が是非にと彼女を宮中に招いたと云うのです。

歌川国貞 作『豊国揮毫奇術競/玉藻前』より(大判・錦絵)

更に別の話では、彼女の呼名である『玉藻前』の由来について以下の様なエピソードを伝えています。それは、内裏で行われたある宴席でのこと、一陣の強い風が吹いて灯火が全て消えて辺りが暗闇に包まれてしまったところ、その場に居合わせた藻の体から不思議な光が発して周囲を明るく照らし出しました。その時の光景がまるで玉が光り輝く様であった為、この不思議な出来事に深く感じ入った上皇は、以来、彼女を玉藻前と名付けて親しく傍に置く様になります。そしてこの娘は、ただ美しいだけでなく非常に博識だったことから上皇の寵愛を篤く受ける様になったとされています。

但し異説には、藻は鳥羽上皇ではなく関白・藤原忠通の寵愛を受けて栄華を極め、その後、都では彼女をめぐって多くの貴族たちが争い、殺し合いまで始めたとされます…。

さて鳥羽上皇説に戻ると、玉藻前をすっかり気に入った上皇は彼女を溺愛するのですが、間もなく上皇は病に臥してしまいます。侍医が診察しても原因が解らず、日に日に病状は悪化するばかりでした。

そこで陰陽頭の安倍泰親が上皇の御病状を占ったところ、その病気の原因が玉藻前にあることが判明したのでした。彼女の正体は妖狐であり、上皇に近づいてその命を縮めては朝廷を混乱に陥れ、日本の国を乗っ取ろうという魂胆だったのです(『絵本三国妖婦伝』など)。

ちなみに、ここで登場する陰陽師についても諸説があり、泰親の子の泰成であるとか初代の安倍晴明ともされていますが、晴明では年代的に大きくミスマッチですね。そして泰成であるとの説も多いのですが、どちらかと言えば筆者は史実にも記録が残る安倍泰親の青年期から壮年期にかけての頃ではないか、と考えています(後述)。

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