《ファンタジーの玉手箱》 ナルトもビックリ、本当の“九尾の狐”伝説!! 〈2354JKI40〉

こうして、先ずは数百名を従えて京の都から下った陰陽頭・安部泰親が那須へと到着し、那須宗重の道案内で登った那須野(那須ヶ原)の南方にある黒髪山の山腹に修法の檀を設置します。泰親はここで妖狐が飛行して逃げ去ることが出来ない様に、陰陽道の術で封じ込める祭儀を執り行いました。

楊洲周延 作『九尾狐の図』

これに合わせて三浦介が率いる軍勢は那須野の東方から、また上総介の軍勢は西方より、那須宗重と家臣たちは北方から、更に南側にも多くの兵士を配しては鐘や太鼓を打ち鳴らし、法螺貝を吹きながら皆が鬨の声あげて、那須野の各所に火をつけて妖狐の居場所を包囲して攻め込みました。

攻撃を始めてからちょうど3日目の未の刻を過ぎる頃になり、遂に“白面金毛九尾の狐”が姿を現しましたが、その妖狐の身の丈は凡そ7尺余り(212cm~)で尾の長さは1丈5尺(452cm程度)くらいでした(あれれ、意外と小さいんですね、ゴジラばりに巨大な怪獣かと思ってましたが…)。

そして包囲された妖狐は大暴れをし、噛み殺される人馬も多数を数えましたが、泰親の術の為に那須野の外へと逃げ出すことは出来ません。

そこで三浦介が諏訪神から授けられた弓に矢をつがえ、狙いを定めて矢を放つと見事に妖狐の脇腹を射貫きました。これに怒った妖狐が三浦介に向かって突進してきましたが、そこにすかさず二の矢を放ち、これが首筋に当たります。この時、三浦介は「安房国の住人、三浦介義純、悪狐を射とめたり!!」と大音声で名乗りました。

 

しかし、妖狐はひるまず三浦介に襲い掛かって来ます。そこで上総介が、高良神から授けられた長刀で切り付けると、妖狐は長刀の刃を咥えて抵抗します。ここで広常もまた「上総国の住人、上総介広常、妖狐を仕留めたり!!」と大きな声で叫びました。

そこへ周囲から多くの武者が駆け寄って、一斉に妖狐を切り付けたり叩き伏せたので、流石の“白面金毛九尾の狐”もとうとう打倒されたのでした。

 

しかし、この“白面金毛九尾の狐”始末の顛末に関しては、他説が幾つかあります。例えば、“九尾の狐”を発見した討伐の軍勢はこれを打ち倒そうとしたものの、破格の神通力を持つ妖狐をそう簡単に討ち滅ぼすことは適わず、仕方なく一度は撤退して準備を整え、再び那須野に出向いて妖狐を狩ろうとするも、7日を経ても成果が上がりません。

この事態に再び三浦介が神に妖狐討伐の成就を祈願すると、その日の夜、三浦介(那須貞信とも)の夢の中に妙齢の美女が現れては、「どうか命ばかりは奪わないでくだされ」と泣き落としにかかってきました。三浦介は、これは妖狐が弱っている証拠と思い、翌日には機を得たとばかりと一大攻勢に打って出るのでした。そして逃げる狐に三浦介が放った矢が見事命中し、ようやく“九尾の狐”は息絶えた、と云うのです。

また別の話には、こういったものもありました。即ち、妖狐退治を命じられた三浦介義純や上総介広常らは事前に犬(の尾)を狐(の尾)になぞらえた狐狩りの修練を行い、これが後世に「犬追物」と呼ばれる狩猟イベントの始まりとされると云うのです。ちなみに、この妖狐退治の為に(栃木県の)都賀郡で多くの犬を飼育したところが、今でも犬飼村と呼ばれています。

そして今度は、三浦介や上総介が率いる大勢の武士と勢子は「犬追物」の要領で妖孤を囲い込み、三浦介が遂に“九尾の狐”を射止めたのでした(那須貞信が仕留めたとの話もあり)。尚、現実にも、那須与一で有名な那須神社(栃木県大田原市金丸)には、三浦介が妖狐を射た弓が奉納されたとの伝承があります。

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