《ゆるカワ絵師列伝》 松屋 耳鳥斎の巻 〈25JKI37〉

また耳鳥斎の活動時期とほぼ同じ頃、鉄鳥斎や越鳥斎などと名乗る「鳥」の字がつく画家が上方で活動しており、彼らの作品は正確には贋作ではありませんが、耳鳥斎の作品を模倣したり、その画風に影響を受けたこれらの絵画は、それなりに面白くて評価出来る物が沢山あります。

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天明8年(1788年)頃の作品 『梨園書画』下巻より 五代目市川團十郎と初代中村歌右衛門

※鉄鳥斎は、耳鳥斎の門人ともされる人物で、文化4年(1807年)に大坂で刊行された金太楼(伊藤蘭洲)作の洒落本で大坂版『一文塊(いちもんにんぎょう)』の挿絵を描いており、画風は耳鳥斎に酷似しています。また越鳥斎は、安永年間(1772年から1780年頃)に活躍した『画図絶妙』の作者、山本信厚のことだとの説もあります。

※他の「鳥」がつく同時代の絵師を紹介すると、先ずは鳥文斎栄之(ちょうぶんさい えいし)ですが、彼は宝暦6年(1756年)生まれで、文政12年7月2日(1829年8月1日)に亡くなった江戸時代後期の旗本で浮世絵師。寛政から文化文政期にかけて活躍、武家出身の浮世絵師らしく、清楚で慎ましやかな全身美人画で人気を博したと云います。次いで鳥橋斎栄里(ちょうきょうさい えいり)は、宝暦9年(1759年)に生まれましたが没年は不詳で、江戸時代中期の御家人で浮世絵師、つまり彼も武士階級の出身です。最後に鳥高斎栄昌(ちょうこうさい えいしょう)を紹介すると、この人は生没年ともに不詳で鳥文斎栄之の門人とされており、昌栄堂とも号しました。作画期は寛政5年(1793年)から寛政11年(1799年)にかけてとされています。

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享和3年(1803年)の作品 『絵本かつらかさね』より

さて、耳鳥斎の作品は、江戸時代は勿論ですが明治維新以降の、とりわけ大正期から昭和の初めにかけて人気が高く、その作風は粗画中心であり一見稚拙で素人画家の作品とも見える事からか、同時期に大量の贋作が作られました。

真贋の鑑定には、筆致や紙質、絵具・墨などの状態(意外だが、過度な表具を施した作品には贋作が多い)、また落款(款記・署名・印など)による真偽確認が必要ですが、他にも耳鳥斎はかなりの達筆であり、作品中の墨書の出来・不出来で真作か贋作かは見分けがつくとされます。

↓耳鳥斎の作品画像へリンク
『Google 耳鳥斎 画像集』

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絵本水や空 by 耳鳥斎 on iBooks

耳鳥斎 作 かつらかさね   on iBooks

 

皆さん、耳鳥斎の世界、如何でしたか? 彩色されている作品も相変わらず“ゆるカワ”で、どの絵を見ても気分が和みます・・・。とにかく、「可愛さサイコー!!」の表現が一番ピッタリ。興味・関心が沸いた方はリンク先の画像集などを是非、観て下さい。

ところでこの人、本当に200年以上も前に生きていた人なのでしょうか? そして改めて彼の作品を観るにつけ、(その成立年代を考慮すると)まさしく時代を超先取りにした画風なのですが、しかし彼の存在以上に、このテイストがすんなりと受け入れられた江戸時代の上方庶民文化の余裕と云うか奥行きに関しては、“凄い”の一言しかありません。でもそこら辺を掘り下げると、鳥羽僧正以降の千年にわたって引き継がれた、現代日本人の漫画好きのDNAというかルーツの在り方が見え隠れする様にも思うのですが・・・。

また尚、この手のアートが大好きな方には今更感!?が満載の内容だったかも知れませんが、私の周りの友人・知人にも未だ耳鳥斎のことを知らなかったという人もちらほらといましたので、敢えて紹介させて頂きましたことをご了解願います。

初回でいきなり真打登場といったところでしたが、次回以降も江戸時代の《ゆるカワ絵師》を順次紹介していこうと思いますので、ご期待くださいネ!!

-終-

 

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