【ウイッチーズ・ファンに贈る】 真実のエース・パイロットとその戦歴 カールスラント&ドイツ空軍編 -1 〈3JKI07〉

4. ハイデマリー・W・シュナウファー(Heidemarie W. Schnaufer)大尉

アニメ声優は植田佳奈が担当している。劇中での生年月日は1929年2月16日で、1944年当時の年齢は15歳である。本名はハイデマリー・ヴァルプルガ・シュナウファー。身長は158cmで、所属はカールスラント空軍第1夜間戦闘航空団第4飛行隊であり、統合戦闘航空団(WITCHES)に配属はされていないが、劇場版ではメインキャラクター級の扱いで第501統合戦闘航空団(501 STRIKE WITCHES)のメンバーと共に大活躍している。 また劇場版では少佐に進級している。その 固有魔法は、「魔導針」(広域探査)や夜間視能力であり、使用機材はBf110G-4、使用武器はMG42やMG151/20となっている。使い魔は「シロハヤブサ」だ。そしてイメージモデルはハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー(Heinz-Wolfgang Schnaufer)少佐である。

彼女の通称は“サン・トロンの幻影”という。カールスラント最強のナイトウィッチであり、1944年末時点で100機に迫る撃墜数を夜間戦闘のみで達成した。エーリカやマルセイユ、そしてルーデルと並ぶ“カールスラント四強”の一角である。

カールスラント南方地域のガリアとヘルウェティアに近いカルフの出身で、幼少時から魔法力が発現し、その優れた夜目故に10歳でナイトウィッチ候補者としてウィッチ養成学校に入学を果たした。養成学校卒業後は、少尉に任官して第1夜間戦闘航空団第2飛行隊に配置された。

性格は繊細で内向的、引っ込み思案であり人付き合いも苦手なタイプで自分の殻に閉じこもりがちである。だが実際には、本人は気付いていないがその独特の(少し神秘的な)雰囲気や常に健気に頑張る姿を観て周囲の戦友からの人気は高い

夜戦でそのレーダー魔導針と夜間視力を活かして大活躍を見せる。また、おとなしく口下手な性格の割にはその戦闘指揮能力は高く、大尉に昇進すると同時に第4飛行隊の指揮官となる。だが強い夜間視力の反動の為か通常時の視力が弱く、かなり度の強い眼鏡(メガネ)をかけている。更に劇中では車(自動車)が苦手な様子が描かれており、また羽目を外して遊んだりすることがなく常に抑制の効いた穏やかな生活を過ごしている。

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現実のハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー少佐は、 1922年2月16日に生まれ1950年7月15日に亡くなった独空軍の夜間戦闘機パイロットで、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章の受章者。

トータル撃墜数の121機は全て夜戦で達成したものであり、これは夜戦における史上最多記録である。敵国側の連合軍兵士からは“サン・トロンの幽霊(The Night Ghost of St. Trond)”と渾名されたが、サン・トロンはシュナウファーが指揮官を務めた第1夜間戦闘航空団第4飛行隊の基地飛行場があった場所である。また彼の搭乗機は、夜戦仕様のメッサーシュミット Bf110である。

1939年11月、パイロット訓練生として独空軍に入隊、1941年4月に少尉に任官して第1夜間戦闘教練航空団に配属された。1942年2月には第1夜間戦闘航空団第2飛行隊においてツェルベルス作戦での航空支援に参加して初の実戦を体験した。初戦果は1942年6月1日から2日にかけてベルギーでおこなわれた戦闘で達成、その後の1943年7月1日には中尉に昇進したが、この時点までに撃墜スコアは17機となっていた。

1943年3月には第1夜間戦闘航空団の第4飛行隊長(Gruppenkommandeur)に着任、更に5月1日には大尉に昇進している。同年6月24日には撃墜スコア84機の功績により柏葉付き騎士鉄十字章を受賞、7月30日にはスコア89機で更に剣が加わった。

シュナウファーの率いる第4飛行隊は1944年9月にドルトムントへと拠点を移し、彼は10月9日には夜戦撃墜スコア100機を達成し、10月16日には柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章を授与された。11月4日には若干22歳にして独空軍最年少の航空団司令となり、第4夜間戦闘航空団司令(Geschwaderkommodore)に任ぜられて12月1日には少佐に昇進しているが、以降、164回の出撃で121機(内、114機は英空軍の4発重爆撃機)の撃墜を達成。

1945年5月にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州のエッゲベクで英軍の捕虜となったが、同年11月には釈放され、その後は家業のワイン商を引き継いだ。その後の1950年7月13日、ワインの買い付けの為にフランスを訪れていたシュナウファーは、ボルドーで自動車事故に遭遇、頭部に重傷を負ったシュナウファーは7月15日に収容先の病院で死亡した。

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5. グンドュラ・ラル(Gundula Rall)少佐

アニメ声優は佐藤利奈が担当。劇中の生年月日は1926年3月10日の年齢18歳(1944年末)で、身長は169cmとされている。原隊はカールスラント空軍第52戦闘航空団第3飛行隊で、同隊の司令を務めていた。 階級は中尉(第52戦闘航空団 第8中隊)を経て大尉(第52戦闘航空団 第3飛行隊)から後に少佐へと進級。固有魔法は偏差射撃で、これは発射から着弾までのタイムラグの間に目標がどう動くかを予測して正確に射撃することが可能な能力。また使用機材はBf109G-2及びBf109K-4で使用武器はMG42、使い魔は「狼」である。彼女のイメージモデルは、ギュンター・ラル(Günther Rall)少佐である。

彼女は第502統合戦闘航空団(502JFW “BRAVE WITCHES”)の隊長であり、劇中ではエーリカ・ハルトマンゲルトルート・バルクホルンに次ぐカールスラント空軍第3位のスーパーエースという設定だ。見越し射撃の名人で芸術的な空戦技能を持つ人物だが、1940年の「小ビフレスト作戦」では第52戦闘航空団(JG52)から派出されて西方へ避難する一般市民を援護する為にベルリン防衛戦に参加、作戦完了後は残存兵力を率いスオムスに脱出した。その後、翌1941年の「バルバロッサ作戦」に参加するが、1941年11月のカールスラント撤退戦の折にペテルブルク近郊での空戦中、撃破したネウロイの破片で視界を遮られるという不運から被弾して脊髄骨折の重傷を負い、ブリタニアで療養生活を送るが、移送先のブリタニアで出会った治癒魔法使いのウィッチの手助けを受けて懸命なリハビリと治療を行った結果、負傷後9ヶ月後(1942年8月)に原隊復帰に成功した。復帰した当日に早くもネウロイ撃墜を果たし、その月だけで30近い撃墜数を上げている。しかし以後の空戦時には、背中の古傷を保護する目的で魔法繊維で編んだコルセットを着用している。

また、その言動はさばけた姐さんタイプの典型だが、問題児扱いされていたハンナ・ユスティーナ・マルセイユ大尉(本記事の続編で記載)の才能をいち早く見抜くなど、鋭い人物観察眼を持っている。第502統合戦闘航空団(502JFW “BRAVE WITCHES”)の新編にあたり隊長に就任したが、くせ者揃いの同航空団がまとまっているのは、彼女の求心力と人物配置の妙があってこそとされている。また前述の背骨骨折の後遺症の為か、現場指揮はアレクサンドラ・I・ポクルイーシキン大尉(502JFWの戦闘隊長)に一任していることが多く自身が戦線に出ること少ないが、物語終盤では前線でウィッチとしての高い戦闘能力や隊長をしての指揮能力や人望の厚さも見せている。

→ グンドュラ・ラルの画像

現実のギュンター・ラル(Günther Rall)少佐は、1918年3月10日に生まれ2009年10月4日に亡くなった独空軍の軍人である。著名な撃墜王であり、そのトータル撃墜数は275機とされる。

1936年に一旦は士官候補生として陸軍に入ったが、翌年には空軍に転属し、1939年末には第52戦闘航空団 (JG52) に少尉として配属された。1940年5月12日、フランス上空でホーク75Aを撃墜して初戦果を記録、次いで“バトル・オブ・ブリテン”に参加して同航空団第3飛行隊第8中隊の中隊長に昇進している。

その後、クレタ島攻防戦やブルガリア駐屯を経て、独ソ戦が始まると戦果は急に増してゆき36機に達したが、11月28日に撃墜されて不時着し、背骨を3か所で折り、下半身が一時麻痺するなどの重傷を負う。ウィーンでの療養を経て、わずか9ヶ月後の1942年8月には第一線に戻り、コーカサス戦に参加してスコアを伸ばした。9月には早くもスコアが65機に達して騎士鉄十字章を授けられ、10月下旬には100機目を撃墜して柏葉付騎士鉄十字章を受け取った。翌1943年4月にエーリヒ・ハルトマンなどエースの多い第3飛行隊の飛行隊長に昇進した。

クルスク戦以降、8月9日に175機、20日後には全軍で3人目の200機撃墜に達した。更に少佐に進級して、11月28日にはヴァルター・ノヴォトニーに次いで2人目の250機撃墜を記録した。1944年3月、ドイツ本土防空を任とする第11戦闘航空団第2飛行隊(II./JG11))の飛行隊長に異動。5月12日にベルリンで撃墜され左手の親指を失う重傷を負う。さらに病院内でジフテリアに感染し、11月まで入院した為に撃墜スコアは止まり、翌年5月8日の敗戦を第300戦闘航空団(JG300)司令として迎えた。

ラルは631回(700回以上とも言われている)の出撃で275機(内、戦闘機は241機)の戦果を挙げた。また見越射撃(defrection shooting)の名手として知られているが、自身も8回ほど撃墜されている。

1956年、新設されたドイツ連邦空軍に入隊し現役復帰。1970年に中将に昇進し空軍指揮司令部総司令官に就任する。1971年から1974年まで最高幹部である空軍総監に登りつめた。2009年10月2日に心臓発作を起こし、二日後の10月4日にバイエルン州バートライヒェンハルにあった自宅で死亡したことが確認された。享年91歳。

→ ギュンター・ラルの画像

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