こうしてキューベルワーゲン“Typ-82”は、当時、軍部で多数使用されていたサイドカー付き自動2輪(オートバイ)よりも各種の点(スピード・操作性・積載量・安定性その他)で圧倒的に有用と評されたのだった。但し、牽引力については自重が軽く2輪駆動なことが災いして、小型の対戦車砲さえも牽引することが困難であったとされる。
だが逆にこの車重が軽いことで、溝に嵌ったり泥沼等に乗り入れても数名の兵士により簡単に押し出せたと伝えられ、またコンパクトな車体にそれ程は大出力ではないエンジン(排気量は985cc・出力23.5馬力)を搭載していたが、整備された道路であれば最高速度は80km/h以上に達した。
更に、冷却方式が空冷であった為に冷却液が不要であり、厳冬時などでの冷却液の凍結の心配も無く、極寒の東部戦線などでも問題無く走行が可能であったと云う。また酷暑の砂漠地帯・アフリカ戦線でも優れた耐久性や整備性を発揮し、他の戦線と同様の活躍が可能であった。
尚、量産化を念頭に生産性の向上を目指した結果、曲線を廃した直線的で角ばったデザインを採用し、最低地上高を高めながらも重心は出来るだけ下げる形で設計された、やや平べったいシンプルな函型ボディを持つこのキューベルワーゲン(“Typ-82”)は、プレス加工されたボディー素材を組み立てるという生産方式により目的通り高い生産性を獲得、軽量化目標もクリアしたのだった。
だがそのメーター類は速度計だけであり、燃料タンクに関しても当然ながら装甲も施されおらず燃料漏れ対策のゴム梱包もない裸状態で設置されていた。しかもこのタンクが運転席・ダッシュボードの直ぐ奥に隣接してあった為に、運転席での喫煙は厳禁だったともされる。
また因みに、折り畳み式幌の屋根も、大戦中盤以降の最前線ではあまり使用されなかった。ほぼ制空権を奪われた当時の独軍部隊では、常に上空への警戒が求められ、よほどの悪天候でない限りはオープントップ状態での広い視野を維持したと伝わる。
ところで、このクルマの呼名の由来だが、“キューベルワーゲン”とは当初は“Typ-82”及びその派生型車輌に限定したものではなく、同様の小型軍用車輌全般に用いられていたとする。だが“Typ-82”とそのファミリー車両が他の小型軍用車輌を圧倒して大量に生産され、独軍各部隊に数多く配備されて方々の戦場で活躍していく内に、これらの車両ことを“キューベルワーゲン”と呼称する習慣が定着した模様だ。但し、それは独軍の敵対勢力(連合軍など)側での認識とされ、独軍内部ではあくまで“フォルクスワーゲン”の軍用ヴァージョンと受け止められていた、とする説が有力である。
※『パンツァーマイヤー(Panzermeyer)』こと、クルト・マイヤー(最終階級はSS少将、第二次世界大戦で装甲部隊を率いて獅子奮迅の活躍した独軍将校)は、その著書『擲弾兵』の中で“Typ 82”を一貫して「フォルクスワーゲン(Volkswagen)」と表記している。
ところで“Typ-82”は、必要な際にはターポリン(耐水性のキャンバス地)の折り畳み式の幌を屋根としたオープントップ形式であり、また全て座席が簡易型のバケットシートを用いたタイプであった為、初めは“バケットシート自動車 (Kübelsitzwagen = Kübel + Sitz + Wagen)”と呼ばれていた。
しかし後にこの“バケットシート自動車”の呼び方から“シート”が省略されて、スチール製でプレス加工された、函型のシンプルなボディを持つことから、本来ドイツ語では「キューベル」が“バケツ”の意味であることと併せて“バケツ自動車(キューベルワーゲン Kübelwagen = Kübel + Wagen)”と呼称される様になったとされる。ちなみにドイツでは、バケツは丸くなく四角いものが多いと云う。
《広告》