間もなく更なる量産試作車の調達が企図され、1940年11月14日には国防諮問委員会の助言によって、3社に各1,500輛づつの量産試作車を発注することに決し、早速、11月19日には契約が締結された。但しこれは、量産試作車の審査認証を得てからという条件付きであり、しかも強引な割り込みで契約に参加した印象が強かったフォード社との契約調印は、世間の批判をかわす為にも1ヶ月以上延期されたと云う。
そして零細企業であるバンタム社の生産能力を危惧した需品科は、その設計図・製造ノウハウをウィリス社とフォード社にも公開して改良試作を命じた結果、量産試作車はバンタム社、ウィリス社、フォード社の競作となった。
※この車輛の分類は汎用車輛とされていたので、当時、開発に関しては(大手企業との癒着や不正行為が噂されていた)米陸軍需品科の管轄下にあり、それが不透明で不合理な状況に結び付いたと唱える人々は多い。また実際にバンタム社が、特に生産能力に欠如があったとは考えられていない。更に需品科の同車開発に関する弊害には、各兵科から度重なる要請があったにもかかわらず、(バンタム社有利とされた)4輪操舵方式(4WS)の採用に反対し続けたことが挙げられる(結局、4輪操舵方式は不採用)。
こうしてバンタム社は自社1次試作車の改良型を、また、ウィリス社は“クァッド(QUAD)”、フォード社は“ピグミー(Pygmy)”と称するプロトタイプをそれぞれ11月末迄に開発して陸軍に納入した。
ウイリス社もフォード社も、先行作であるバンタム社の試作車を詳細に観察・研究しており、また需品科からその設計図面と仕様書類を入手していたので、各車ともその外観はバンタム社のデザインに極めて似ていたが、この時点では重量超過の問題はウィリス社もフォード社にも解決が不可能であった。
この課題については、ウイリス社のデルマー・ルース(既述)も、バンタム社のプロブスト(既述)と同じ結論に至り、即ち、ウイリス社は堅牢さと強力なエンジン性能を自社の利点・長所とすることにして、重量超過に関しては敢えて目をつむり、さほど重視しない姿勢を見せた。
重量問題は結局、軍が自ら自重の制限値を2,160ポンド(≒981kg)へと大幅に緩和して、「強度確保を重視した設計を採用した」との言い訳のもとに方針を転換したのだった。こうして車体重量の上限は、約585kgから約980Kgへと大幅に引き上げられたのだ。
そして肝心な各車の性能比較では、バンタム社の量産試作車はウィリス社やフォード社のものよりも燃費面(燃料の経済性)で優れており、良好な操縦性や制動性能と共に高く評価された。
ウイリス社の試作車は断然エンジン性能が他社のものよりも優れていたが、フォード社の試作車は変速レバーや手動ブレーキレバーの配置が良く、ヘッドライトの性能に優れ、乗員の快適性が高いと評された。
だがウィリス社とフォード社の全般的なデザインはバンタム社による基本設計を模倣したものであったから、比較対象は主としてエンジンの性能となったが、ウィリス社の試作車の搭載エンジンは排気量2,200ccで60馬力、フォード社が1,950cc、バンタム社が一番小さくて1,836ccであった。またフォード社とバンタム社のエンジン出力は、ほぼ46馬力で同等であった。スピード性能も最高速119km/hをマークしたウイルス社のものが最高で、登坂テストでもトップの評価を得たのだった。
この様にエンジン性能で優位に立ったウィリス社の試作車が米国での予備審査の総合評価でも1位となり、バンタム社が2位、フォード社の試作車は3位に終った。またバンタム社の試作車は“BRC40”、ウィリス社のものは“ウィリスMA”、フォード社の試作車は“フォードGP”と呼ばれることになったが、この各1,500輛の量産試作車は緊急生産されて、1941年上半期中には欧州戦線や独ソ戦線で実戦に投入された。そして詳細に評価された後に、“ウィリスMA”が一連のトライアルの勝者となった。
ところがこうした審査の結果にも関わらず、懲りない需品科により当該の小型偵察車(以下、ジープと呼称)の量産に関してはフォード社へと発注することが仮決定するが、さすがにここに来て生産管理局が介入して、このフォード社との契約は見送られた。
そして一台当たりの価格が最も安価で、性能評価も上位であったウィリス社に発注先は変更され、1941年7月23日には合計16,000台(18,600台とも、最終納期は1942年1月18日)の生産契約が締結された。
そしてこの“ウィリスMA”に、他の試作車の優位点も極力取り込んで改良を加えて統合した車輌が、“ウィリスMB”と名付けられて米軍制式採用の所謂、ジープとなったのだが、フロントデザインはバンタム車ではフェンダー上に配置されていたヘッドランプを、ボンネット内にフロントグリルと共に配置した“フォードGP”の機能的なデザインを採用したものであり、これが以後のジープ・ファミリーのあの独特な風貌の始まりとなった。
またタイヤの変更、車輪の強化、19ℓ入り予備燃料缶の取り付け器具や貨物用1/4t(250kg)トレーラーへの尾灯用配線コネクターの装着、更にジーブが移動無線基地として使用される際のスパーク・ブラグヘの雑音防止装置の取り付けなど、数多くの改造が行われて、量産が進行した。
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