583系ラストラン その日の秋田駅点描 part2 〈17/38TFU03〉

秋田駅を出たころから降り始めた雨は、弱いながらまとわりつくようなよく濡れる雨でした。私は,一旦駅の近くのホテルにチェックインしたあと、夕食を済ませ、20時には、気もそぞろで早くも1番線ホ一ムに立っていました。昼間とは明らかに異なる人の顔触れ。家族連れ、老夫婦、カップル。19時のNHKニュ一スで,先程の出発式の様子が流れたので、その影響もあるのでしようか。マ二アよりもふくれあがった人達は、みな行儀よく583系の入線を待っていました。車内灯を消した701系電車が2編成,ひっそりととまっていました。広い秋田駅の構内はレ一ルが雨にぬれて銀の筋がいく筋も闇の先に続き、構内信号などの赤や青のあかりの散らばりが、暗い海に浮かぶ何隻もの船の明かりのようでした。583系の最後にはふさわしい幻想的な夜の風景です。

遠く遠く,光の輪が近づいてきました

そして20時30分、遠くから3つの光輪が大きくなってきました。濡れた車体をきらきら輝かせながら、闇の中から583系の大きな車体が見えてきた時、「わあ」とも「おお」ともつかぬ声と、 シャッタ一の音が歓迎の拍手のように大きく鳴り響きました。やはり583系は夜が似合います。寝台電車としてかつては日本中の夜の幹線上で、583系のこんな姿が見られたのです。

車内の様子が見えましたが、けだるい雰囲気が漂っていました。なぜか、寝台車のベッドに備え付けの浴衣を着こんだグル一プがいたり、手作りの「ありがとう583」などと書かれたカ一ドを手にする人々もいました。ホ一ムに停車して、折戸が開くと、名残惜しそうに次々と客が降りてきます。

濃いブルーには,夜のホームがよく似合います。
高い天井。網棚の上の折りたたまれたベッド。

私は車体に近寄り、車内の様子を収めました。まだ車内に残っていた乗客の中には、シートのクッションを引き出して、ベッドを組み立てようとしている輩もいました。確かに、ベッド姿も最後に見ておきたかった、そう思っていたら,なんと途中の車両の中に、セットされた寝台もありました。子供のころは、高嶺の花。583系のベッドで寝てみたいと何度も思ったものでした。特に、他のベッドより天井の高いモハネ582のパンタグラフの下、通称「パン下」はプラチナチケットで、私は一度もそこで寝ることはできませんでした。

通称「パン下」の中段寝台がセットされていました。

そんな記憶を胸に、各車両をのぞいて回りました。幸い、先頭部にカメラを持った人が集中していて、中間車はゆっくりと車体を眺めることができました。
ホームの蛍光灯が映り込んだブルーとクリーム色の車体。もうこれが見納めかと思うと、かえってカメラを向けられませんでした。どこを撮影していいかわからないし、この目にしっかり焼き付けておきたいという心が大きく働いたのかもしれません。カメラを手に下げたまま、しばし見とれていました。

もうこんな光景も見おさめ。

最後に少しでも先頭車の近くで、583系がホームを離れる姿を見たいと歩き出したところ、人の波に押されるようにして、運転台の真下まで来てしまいました。

そこには駅員や警備の人達が厳重にガードして、マニアはますますカメラを構えにくくなっていました。私もスマホのカメラしか出せない(つまりカメラを持って肘を広げられない!)状態でしたが、なんとか記録を納められる状態でスタンバイできました。

そしてついに20時35分、大きくタイフォンが鳴り、「583系ラストランでございます。これまでの長らくのご愛顧ありがとうございました。」のアナウンスが流れる中、何度もタイフォンを鳴らしながら、6両の583系は秋田運転センターに向けて静かに走り始めました。本当に、これが最後だ。そう思うと今までの583系に乗った記憶や、写真をとりに行っていた頃が次々と思いだされ、胸が熱くなりました。誰もがいつまでも走り去るテールライトを見送り続けていました。

583系が去ったホームは、とても空虚で、多くの人々がいるにも関わらず、静かでした。いつしか強くなった雨はホームの屋根を叩き、ホーム天井に着いた蛍光灯の白い光の列が、冷たさを放っていました。ホームをうろうろしていた人達はやがて、名残惜しそうにしながらも,やがて少しずつホームを後にしました。

583系ラストランの秋田駅は,こうして静かになっていきました。。(終わり)

ありがとう、そしてさようなら583系

 

 

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