北海道新幹線乗車記(前編) 思い出のローカル私鉄と共に北へ 〈17/38TFU03〉

2016年3月26日に新幹線は青函トンネルをくぐり、ついに北海道開業を果たしました。いずれは乗ってみたいと思っていた筆者でしたが、ついに念願の日がやってきました。
今回は、仙台から新函館北斗まで、思い出を胸に乗車の記録をつづってみたいと思います。

私が乗車したのは仙台発8時6分(東京発6時32分)の「はやぶさ1号」でした。この列車は秋田新幹線の「こまち1号」との併結です。仙台駅のホームもすでに列車を待つ客は、各ドアの前に15~20名くらいが並んでいました。乗客の意外な多さに驚きながら、入線を待ちました。

8時3分頃、E6系+E5系の併結された入線してくる列車の車内をみると、ほぼ満席。私の乗車した4号車は、車内の半分の客が仙台で下車し、その代わりそれより多い客がぞろぞろと車内に乗り込みました。私のシートは3A。進行方向右手窓側でしたが、隣も前も、通路を挟んだ3列シートもすべて埋まり、仙台を発車する時点では満席でした。

定刻8時6分、ゆっくりと仙台を発車。市街地の中を東北本線と並走します。車内は次第に落ち着きを取り戻していきました。客層はサラリーマンと旅行客が半々くらいでした。新聞を広げる人、お弁当を食べ始める人、シートを倒してすかさず眠りにつく人。岩切駅東方で東北本線をまたぎ、やがて右手に利府の新幹線車両センターが見えてきます。そのあとは丘陵地帯に入ります。短いトンネルが続く、退屈な景色。8時18分 古川通過。そのあとうとうとしていると、平野部に出て、くりこま高原駅を通過しました。
迫川を渡ると、2007年に廃止となったくりはら田園鉄道の廃線跡が見えてきます。かつては栗原電鉄といい、オリジナル車両や西武鉄道の古い電車が活躍していました。筆者も写真を撮りに訪れたことがあります。

1955年生まれのM15形電車。オリジナルの車両で,当時のローカル私鉄車両ではデラックスな車両でした。
1950年生まれのED20形電気機関車。車体よりも台車の幅が大きいという異色のスタイルでした。

栗原地方の鉱山資源や農林開発を目的に設立された鉄道で、細倉鉱山をはじめ多くの貨物列車でかつてはにぎわいました。その鉱山も輸入品に押されて衰退し、1987年には貨物廃止。

鉱山を経営していた三菱マテリアルは1993年には鉄道事業から手を引いてしまい、第三セクターとなりました。かつては電車が走っていたのに、1995年から廃止まではディーゼルで運行していました。

その後は丘陵地のトンネル区間になり、再び東北本線と並走するようになると、大きな建物が増えてきて、一ノ関を通過。一ノ関からは東北本線と左右に分かれ、こちらは北へ、北へと田園風景の中を走ります。しばらくして、水沢江刺、北上と通過。このあたりは主に田園地帯を走ります。新花巻を過ぎても田園地帯は続きます。
北上川、雫石川と渡ると、町が広がりだし、列車は8時45分に盛岡に到着。分割作業で4分の停車時間です。

ここで、秋田行きのこまち1号とわかれ、列車は右へカーブしながら「いわて銀河鉄道」の線路と並走するように住宅地の中を走ります。車窓左手の遠方には岩手山が見えてきます。丘陵地帯に入ると山間部をトンネルの連続で走ります。いわて沼宮内を過ぎてから、ここからは約60キロに及ぶロングレール区間となります。東京からだと茅ヶ崎あたりまでレールの継ぎ目のない区間が続くことになります。やはり、快適です。トンネルを何度かくぐり、9時10分、二戸停車。
そのあと、またうとうととしてしまい、気が付くと9時22分、八戸に停車。八戸は2010年までは東北新幹線の終着駅。筆者もここから先は未乗区間です。缶コーヒーをぐっと飲んで、寝ないようにします(笑)

八戸から、列車は左手に大きく高架でカープ。直進すると海に行ってしまいます。右手に車庫が見えてきて、カラフルなでディーゼルカーが並んでいます。トンネルくぐり、ぐんぐんと加速。トンネルが続きます。農村風景の中を進み、9時34分 七戸十和田に停車。駅前は駐車場。売店もないホーム。この車両は、乗降はひとりもありませんでした。付近にはかつて南部縦貫鉄道が走っていましたが、1997年に休止(のちに廃止)となりました。

1962年生まれのレールバス。全長10メートルあまりの二軸車両。車体は折り戸に,シフトレバーなど,まさにバスでした。

南部縦貫鉄道はレールバスの走るユニークな鉄道で、筆者も乗車しましたが、草ぼうぼうの線路を上下左右に揺れる車体で貴重な乗車経験ができました。もともとは製鉄の原材料輸送を行うべく1962年に開業した鉄道会社です。ところが政府主導であったその計画も、1965年に頓挫。会社更生法の適用や、1968年の十勝沖地震の大打撃など幾多の苦難を乗り越えてきた鉄道です。1984年には貨物が廃止。鉄道以外の事業(給食や清掃など)で事業を存続させ、新幹線開業にともないアクセスも期待されましたが、荒廃著しく復活を断念。2002年に廃止となってしまったという悲しい歴史があります。1990年代の鉄道雑誌を見ると「新幹線との共演も?」と書かれていますが、それも叶いませんでした。

仙台を出て1時間30分。旅はまだ続きます。青森は?青函トンネルは?そして新函館北斗は?期待を胸に、さらに北へ向かいます。(後編に続きます)

 

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