旧日本海軍潜水艦“伊58潜”と米海軍巡洋艦“インディアナポリス” 〈3JKI35〉

重巡-インディアナポリス

“インディアナポリス (USS Indianapolis, CA-35)”は、米海軍の条約型ポートランド級重巡洋艦の一隻である。

1930年3月31日、ニュージャージー州カムデンのニューヨーク造船所で起工され、1931年11月7日に進水、フィラデルフィア海軍工廠で1932年11月15日に竣工した。

【性能・要目】
排水量:9,800トン、全長:186m、全幅:20m、吃水:5.28m、主機:ホワイト・フォスター式重油専焼水管缶8基 + パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進、最大速力:32ノット、航続距離:  、乗組員:1,269名、兵装:55口径8インチ20.3cm)3連装砲3基9門、25口径5インチ12.7cm)単装砲8基8門、他に40mm機関砲、20mm機銃、12.7mm機銃多数、艦載機:水上機2機

1945年7月26日にテニアン島へ広島と長崎へ投下予定の原子爆弾用の部品と核材料を運んだ後、レイテ島へ向う途中の7月30日にフィリピン海で“伊58潜”の雷撃により沈没したが、“インディアナポリス”は第2次世界大戦で敵の攻撃により没した最後の米海軍の水上艦艇であった。

同艦は被雷後(“伊58潜”は合計6発の魚雷を発射、内3発が命中した模様)第2砲塔下部弾薬庫の弾薬が誘爆、大爆発を起こし12分後に転覆、海没した。

また“インディアナポリス”は、その極秘任務の為に艦船位置表示システムから外されており、付近の米海軍艦艇に沈没の詳細な情報が伝わらなかったともされる。

乗員1,199名(1,196名とも)の内、約300名が雷撃時に死亡したとされるが、残りの約900名は哨戒機によって8月2日に発見されてから5日後に救助が完了するまでの間、救命ボート等も無い中で大海を漂流し続ける中で多数の乗組員が死亡し、最終的に救助された生存者はわずか316名であった。

そして戦死者の主な死因は、水や食料の欠乏、海水中での体温の低下、これらによる気力・体力の消耗などが挙げられるが、更にサメによる襲撃が彼らに多大な心理的圧迫や恐怖感を与えたとされる(映画『ジョーズ』では、漂流中の“インディアナポリス”乗組員のサメとの遭遇と恐怖が描かれている)。

 

同艦の艦長であったチャールズ・B・マクベイⅢ世大佐は生還したが、1945年11月に開廷した軍法会議では雷撃回避の為のジグザグ航行を怠り艦を危険に晒した、として有罪が言い渡された。しかも米国は第2次世界大戦で約700隻の艦艇を失ったが、戦闘で撃沈された艦艇の艦長が軍法会議にかけられたのはこのマクベイ艦長ただ一人であった。

しかしこの軍法会議の結論は論議を呼ぶ。当時の米海軍がこの艦の護衛を怠り(護衛艦無しの単独航行)、危険な状態に放置していたという証言や証拠があったともされ、また“伊58潜”の橋本艦長は予備審問の際に、たとえ同艦がジグザグ航行をしていても充分撃沈は可能だったと証言していた(本審では、証言の機会が与えられなかったことが後に判明)。

だがこの有罪判決は1946年2月23日に撤回され、マクベイは無罪となり現役復帰して少将に昇進した後に1949年に51歳で退役した。だが一旦有罪になったことで、事実上、その後のマクベイの海軍での軍歴は絶たれたも同然だったのである。更にその後、生存していた乗組員たちからの擁護はあったものの、彼は死んだ乗組員の遺族から厳しく責め立てられたことが原因となって、1968年になり自殺してしまった。

さて、この軍法会議から50年以上の後、当時12歳の男子学生であったハンター・スコット少年が、映画『ジョーズ』を切っ掛けにこの事件を知り、夏休みの宿題の課題として更に詳しく過去の事情を調べ始めた。

そしてその後、スコット少年の調査結果や“インディアナポリス”生存者の努力により、救援・救出作業が遅れた原因は当時の米海軍が“インディアナポリス”の位置をしっかりと把握・管理していなかったことが大きな理由の一つであり、また救助作戦における怠慢や失敗を隠蔽し、同艦が沈み沢山の犠牲者を出した責任の一切をマクベイ艦長ひとりに負わせようとした当時の多くの海軍関係者の存在が、(議会や議員等の政治的な思惑などもあって)次第に証言や資料で明らかになっていく。

2000年に米国議会は、マクベイ元艦長の記録について「彼はインディアナポリスの損失に対し無罪である」という形に変更すべきとの決議を可決した。そして10月30日には、ビル・クリントン大統領もこの決議にサインし了承を与える。しかし、マクベイ元艦長の名誉回復に尽力していた橋本中佐(ポツダム進級で最終階級は中佐)は、その5日前(10月25日)に死去していた為に、遂にその知らせを聞くことはなかった。

 

ところで、海没した“インディアナポリス”の位置は凡そ判明していたが、2001年7月〜8月のソナーなどを使用した調査では発見出来なかった。だが2016年7月に新たな情報(米海軍の戦車揚陸艦“USS LST-779”が、撃沈される11時間前の“インディアナポリス”の傍を通過した事)が発掘され、従来予想されていた位置より西方に40kmほど離れた場所が沈没地点であると予測された。

そして2017年8月18日、マイクロソフトの共同創業者ポール・アレンが率いる民間のチームが、フィリピン海の海面下5,500m(18,000フィート)の海底で、沈没した“インディアナポリス”の残骸を発見したのである。

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