孔子に学ぶ人生の節目の在り方・迎え方 〈1647JKI11〉

さて続いてはいよいよ“知命”についてですが、皆さんは「子曰く、吾(われ)十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず‥」までの孔子の言葉はよくご存知の様ですが、それ以降、つまり五十以降に関してはとんと知らない、という方がほとんど。

その続きは「五十にして天命を知る、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」となりますが、この有名な一節(「論語・為政第二」より)から、15歳を“志学”、30歳を“而立”、40歳を“不惑”、50歳を“知命”、60歳を“耳順”、70歳を“従心”と称する様になりました。

最初の“志学”「 十有五にして学に志ざす」とは、直訳すると15歳の時に学問に志したとの意味ですが、基礎的な学問を学び始めたのではなくて自分の希求する専門分野の勉強を始めたことを意味し、「学問で身を立てると決めた」とか「学問を究めると決心をした」ということになります。またその教えは「15歳くらいになったら、自分の興味・関心が何処に向いているのかを決めなさい」とも解釈出来ます。

続く“而立(じりつ)”「三十にして立つ」の、30歳にして立つとは、自分の精神性を確立したことを指します。「立つ」には「独立」するという意味があるのですが、現代の感覚では金銭的に問題なく自立して生活が出来る様になるのが30歳くらいであると感じるかも知れませんが、孔子によると30歳くらいになると自分の学問の基礎が充実してくるので、自分なりの考えをまとめることが可能になることを指している様です。言い換えると「この位の年齢になったらそれまでの学びを充実させて、独立した自説を持てるように成りなさい」ということです。

“不惑”「四十にして惑わず」は、40歳にして悟りが開け人生に対しての疑いを持たなくなったことを表わしますが、単に「自分の道に疑いなく進む覚悟が出来た」という意味とは少し異なる様です。そこには40歳程度になれば狭い枠にとらわれることなく自由に物事を見ることが出来るハズだとの教えがあり、「何が起きても動じることなく、それを受け入れる柔軟さを持ちなさい」という意味も含まれているそうです。

※真の“不惑”は“”不或だったとの説があるそうです。ここでの“不或”とは「区切らず」との意味で、本当は「四十にして区切らず」と解釈するべきであるというのです。それは40歳にもなればある程度の成果を得て、自分の行いに自信を持って迷いがなくなるのかも知れないが、その結果や方向性に固執せずに新しい領域にチャレンジしていかなければいけない、というメッセージの様です。ちなみにこの主張の根拠としては「惑」という字は孔子の時代には未だ存在しておらず、正しくは音と形が似た「或」であったとの推測が成り立つからだそうです。

“知命”「五十にして天命を知る」については、50歳にして自分の生涯における使命(天命)を見極め知り得ことを意味します。自分の人生に於いて最も重要な事や者・物は何かを理解したこととも解釈可能ですが、「これまでの人生を振り返り、この世における自分の役割とは何かを考えなさい」という教唆とも考えられます。

続いての“耳順”「六十にして耳順がう」とは、60歳にして自己修練が益々進み何を聞いても素直に受け入れることが出来る様になったとか、助言にしろ諫言にしろ他人の言葉を自然に聞き入れることが可能になったことを表しています。また「この位の年齢になると、どんな話が聞こえてきても動揺したり腹が立つことはなくなるもの」とも。

最期の“従心”「七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」とは、70歳にして自分の言動の全てが真理に適い、思うがままに行動しても道徳規範や自然法則から外れることのない悟りの境地を体得したことを意味します。云わば自分の欲望をコントロールすることが可能となり、また欲望に左右されない心の安定を保った「人間の理想の姿」に到達したということが出来ます。

 

ちなみに、“志学”の前段階として「礼記・曲礼上」に幼学という言葉があり、これは「人生まれて十年を幼といいて学ぶ」というものです。一説には、10歳が孔子が初めて師について学んだ年齢であり、このことから「学問を始める年齢」を指すと云われています。またここでいう「学問」とは学校等での勉強のことではなく、自発的な興味を持って行われる知的探索のことともされ、更には「何でもいいから、興味持ったことを勉強しなさい」という教えの様でもあります。

 

私は58歳で間もなく“耳順”、妻は52歳で“知命”をクリア。父は86歳で母は83歳になりますから二人ともとうに“従心”を過ぎています。しかし時折、互いに人生について語り合っては、まだまだ“不惑”の境地にも辿り着いていない、との結論に至ります。

「割って見せたや私の心、割れば色気と欲ばかり」という江戸時代の都々逸がありますが、凡人である私たちの心の奥底には、幾つになっても結局は色気と欲が存在しているのでしょう。

平均寿命の伸びが著しい現代では、“従心”の次ぎ(80歳)や次の次ぎ(90歳)の悟りの境地を用意する必要があるみたいですが、孔子の考えるレベルに沿うと、それはもう間違いなく神の領域に入ってしまうのではなかろうかと思ってしまいます‥。

-終-

 

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