【鉄道模型を愉しむ】“想い出のレイアウト” ジョン・アレン氏のG&D鉄道とピーター・デニー牧師のB.G.C.鉄道 〈3784JKI51〉

Model Railroading With John Allen

年季の入った鉄道模型ファン!? であるのならば、多かれ少なかれジョン・アレン氏のG&D鉄道の魅力に影響を受けた方は多いと思う。もちろん、私もその中の一人だが、何故、その魅力は時代を超えて伝えられてきたのだろうか?

またピーター・デニー牧師のB.G.C.鉄道も、想い出深いレイアウトの一つで、普通ならばリバース・ラインを用いるところを、回転台を利用して列車が転向して戻って来るという斬新さにはビックリした。

G&D鉄道の雄大な自然描写、迫力ある山岳風景には常に圧倒されっぱなしで、また最終形の広さ(約36帖)を考えると、その存在は自分自身からは遠いものの様に思えたが、B.G.C.鉄道ならば小規模なスペースにアレンジしても充分その雰囲気は模倣可能な感じがして、実際にNゲージで初めてレイアウトを建設した時は、この鉄道のプランをプロトタイプの一つとして参考にしたのだった。

 

ジョン・アレン氏のG&D鉄道 

G&D鉄道の画像(線路配置図含む)

G&DGorre & Daphetid、日本語発音では「ゴリー&デフィーテッド」)鉄道は、米国カリフォルニア州モントレー在住のプロ写真家であったジョン・アレン(John Allen)氏のHOスケール鉄道模型のレイアウトである

※プロトタイプとしてアレン本人が名をあげている“Colorado Midland Railway”は、彼が長年にわたり続けたレイアウト製作の切っ掛けであり、あの後年の超大作G&D鉄道の世界観を創り上げる上での端緒だった。尚、実際のコロラドミッドランド鉄道(CM)は、1883年に建設開始された、コロラドスプリングスからリードビルまでの、かつて実在した鉄道である。

この素晴らしいレイアウトは、筆者が鉄道模型を趣味とし始めた時期、最も影響を受けたレイアウトの一つで、当時、周囲の鉄道模型ファンの多くにとって模型先進国である米国のレイアウトを代表するバイブル的な存在だった。

また筆者を始めとしたTMS読者の多くは、アレンが創り出した彼の鉄道の物語/ストーリー性に強い共感を覚えたものである。例えばある日の午後、港で資材を積んだ貨物列車が街中を走り抜け、次いで峠を越えて隣町の工場ヤードへと積荷を運搬していくのだが、いかにも現実の社会の生業を写したその姿に、日々の活動の縮図が見て取れたものだ。

そこにある表現には、優れた観察眼に基づいた本物志向の、アレンがプロの写真家として培った写実能力が大いに発揮されていたのである。そして更に重要なことは、それらのイメージを模型として実現する工作力とアイディアを彼が備えていた事だろう。

ごく初期のたたみ1畳(ベニヤ1枚)から始まったこのG&D鉄道は、狭小住宅における小型レイアウトの良き見本/典型でもあったが、やがて拡張を続けた同鉄道は36畳(17.8坪、異説在り)規模までに成長した。

※このレイアウトは大きく3つの区画に分けられる。最初の2つは、モントレーのアーヴィング通り140番地(140 Irving Street)のジョン・アレンの自宅で製作されたが、最後の区画は20年以上を費やして、モントレーのシエロビスタテラス9番地(9 Cielo Vista Terrace)のアレンの新居内の地下室に製作されたものである。

しかし、この(我国の視点からは)かなり大型のレイアウトは、アレン一流のセンスにより、小編成列車が走る急カーヴが多くて勾配も急な山岳路線が見物のレイアウトであり、そここに点在するコンパクト設計のストラクチャーの鄙びた雰囲気も素晴らしかった。

※アレンは最初のレイアウト(第一期となる“定尺ベニヤ板サイズ”のもの)を、1944年~1946年頃には着工・製作していたとされる。手前の駅付近が少し出来てきたところでターンテーブルを手前に(1948年頃? )移動、更に路線延長+ナローゲージ、そしてその後、あの壮大なG&Dの世界へと進化していくのだった。

そして、アレンのレイアウト製作コンセプトに関しては、段階を追って徐々に拡大していったその姿が大変に参考となろう。いきなりムリをせず、可能な範囲での拡張に止めながら、一定のセオリーを確立してバランス重視で設計したそのレイアウトは、当然乍ら試行錯誤を経ながらも、結果的に大団円を迎えるのだった。そのプロセスがどれだけの多くの鉄道模型ファンに共感を与えたか解らないほどである。

また彼の製作した蒸気機関車や木造の客貨車などの車輌の多くは既製の模型を改造したものだったが、情感溢れるストラクチャー類や表情豊かなレイアウトの住人たちは、そのほとんどがワックスを使用した自作であつた。

特にシナーリ(シーナリとも)やストラクチャーの製作において、改めて彼の職業であるプロ写真家としての眼が、如何なく発揮されており、これも当然乍ら、自ら撮影した同鉄道を捉えた記録写真が素晴らしい出来映えであることも、このことに由来していると思われる。そして写真と云えば、(TMS̪誌に取り上げられたものを含めて)そのカラーグラフを見ると、その独特の色調に特色がある。

これはフィルムの種類選択に起因するのか、ジョン・アレンの写真家としてのセンス・感覚的なものに由来する撮影技法故なのか、もしくは(アレンが意図した)実際の米国における特定の時代が持っていた独特の雰囲気を描き出しているのかは解らないが、かつては日本人が製作した米国風のレイアウトの多くが、G&D鉄道の写真からの影響をそのシナーリやストラクチャーだけではなく、レイアウト全体の色調(トーン)や情景を描いた色彩面からも感じられるのだった。

アレンはその後、その模型センスと芸術的な技巧を開花させ、ある種のデフォルメされたものを含めた特色ある米国の情景を次々に再現していった。そして彼の成果は、全米模型鉄道協会(NMRA)の機関紙やモデル・レイルローダー、レイルロード・モデル・クラフツマン等の鉄道模型雑誌の記事として発表され、読者である数多くの鉄道模型ファンを魅了したのだった。そして長年にわたり彼のG&D鉄道は、全米の鉄道模型レイアウトの中でも最高峰の一つと評されたのである‥‥。

誠に残念なことに、1973年1月6日にジョン・アレン氏は心臓発作で急逝された。そして、その後間もなくして、G&D鉄道は原因不明の失火により(ごく一部を残して)その不世出の姿を永遠に失ったのである。

※ジョン・アレン氏は、1913年に米国ミズーリ州ジョプリンの出身である。1918年に両親が他界した後、カルフォルニア州の親類の元へ移住してカリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学するも、写真家となる為にアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに転校した。同校を卒業後、写真家となった彼は、第二次世界大戦の勃発と時を同じくしてモントレーへと移住したとされる。

ちなみにTMS誌での初出は、「J.AllenのG&D鉄道を紹介する」でTMS 86号における山崎喜陽氏の記事。他には、TMS誌 1971年7月の277号では、「特別カラーグラフ G&D鉄道」が、1971年12月の282号には「折込カラーグラフ G&D鉄道山岳風景」が掲載された。

 

ピーター・デニー牧師のB.G.C.鉄道

B.G.C.Rの画像(線路配置図含む)

ピーター・デニー(Peter Denny)牧師により製作されたB.G.C.R(Buckingham Great Central Railway)のバッキンガム・ブランチという英国のレイアト。

それほど大きくはないこのレイアウト(8畳規模?)は、筆者がNゲージで製作したタタミ2畳程度の架空の私鉄線『湘南急行電鉄』のプロトタイプとなったもの。当方のものは、返しのターンテーブルこそなく終端の処理は単純なループ線だったが、始発ターミナル駅(地方都市)~車両基地(工業地帯)~中間分岐駅(近郊住宅街)~単線片ホームの小型駅(山間の小駅)~終端駅(温泉地)と、途中から分かれた分岐線の終端駅(海辺のリゾート地)という構成だった。

塗色変更した市販車輌やプラ板自作の電車(17m級)たちが合計10数量の他、自由形ボギー電機と2軸貨車数量が活躍するこの鉄道は、着工から約4年ほどの後に解体された。

さて、1971年11月号のTMS誌において、山崎喜陽氏が名物コラム“ミキスト”で、ロンドンで開催された全米模型鉄道協会(NMRA)の大会に合わせた1971年8月に「ロンドンから汽車で7時間、西端のニューキーというところに行って有名な”Buckingham Branch”を撮ってきた」と記していたが、その後、TMS誌 1972年新年号(通巻283号)で16頁にわたり掲載されたのが、このレイアウトであった。

1/76サイズ、軌間18mmのEMゲージで、その面積はわずか8畳程度だけれど、細部まで精密に作り込まれたシナーリは、G&D鉄道とはまた違った英国のレイアウトならではの落ち着いた感動を、当時の私たちに与えてくれた。

特筆すべき点は、その運転/運用方法であった。いわゆるポイント・ツー・ポイントではあるが、櫛形ホームの始発駅を発車した列車は、路線終端の大きなターンテーブルで列車ごとひっくり返されて、再び元の始発駅に戻ってくるという仕掛けである。

更に重要なことには、現実の鉄道と同様にダイヤに則って定時運行をするという概念を導入していたことだ。またこの当時において既に運行管理に一種のコンピューターを使用していたことが特筆される。

TMS誌 1975年2月号(通巻320号)には、デニー牧師本人の解説記事が9頁掲載されたが、この時、列車運行用の機械のことを“バッキンガムのコンピューター”と冗談めかして紹介している。また文末のコメントには「(ダイヤを守る為に時間に追われて)”それでリラックスした気分になりますか?”と問われれば、私は”イエス”と答えます。こんな忙しいめにあっても、模型列車の運転は本当に楽しいもの」と書かれていた。

即ち、単なる自動運転とは異なり、模型の世界でも現実の鉄道と同じくオペレーターの役割を楽しみたいと考え、その為にレイアウトを作るのであり、そして全てを定時運行に合せて稼働させる目的でバックアップ・システム(ATC)すらも用意したのだった。

この様に、欧米のレイアウト(特に大型の倶楽部レイアウトなど)では、運転指令(オペレーター)の指示で複数の運転者が列車を制御する形の運用がよく見られる。きっとこの方式は面白いに違いないのだが、我国ではこのスタイルは極めて稀である。順調に動いている場合は勿論、また事故や遅延などの事態に遭遇しても、それを上手に切り抜けられた時の達成感が大きいと米国の模型ファンが述べているのを海外の模型誌で見掛けたことがある。

更に、作業指示に従っての貨車等の入れ替え作業や編成コンテストなどの遊びとか、時刻表に沿って(時間をスケールダウンして)時間厳守で運転/運用を進めていくタイプも、我国ではあまり見かけない。

やはり大型で路線の長く複雑なレイアウトでないと、こうした遊び方には適していないから、日本の様な中小型レイアウトがやっとの住宅環境/スペース事情では、その導入は難しいのであろう。

※入れ替え作業や編成コンテストなどは、レイアウトセクションでも充分楽しめるので、我国でももっと普及しても良いと思われる。

 

いずれのレイアウトも、大変素晴らしい写真や線路配置図などが公開されているが、本稿では著作権等を考慮して直接の掲載を控えるものである。二人の製作者の抜群のセンスを、是非ともリンク先などで確認して欲しい。両者とも対照的ではあるが、英米の個性を如何なく発揮した筆者にとって想い出のレイアウトであり、且つまた、両レイアウトの存在を我国鉄道模型界に紹介してくれた故・山崎喜陽氏の尽力を讃えたい。

-終-

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