【漢詩の愉しみ】 春暁 孟浩然 〈3817JKI11〉

さてここからは筆者の裏読み・邪推を披露すると、先ずは注目点としては、作者の「暁を覚えず」の部分の真意を考えてみます。多くの解説では「暁」を単純に「夜明け」と訳しています。しかし中国古典における「暁」は現在の午前3時過ぎのことですから、「暁」と現実の夜明けまでには凡そ2時間以上の開きがあり、実際には春季でも戸外はまだ真っ暗な状況です。つまりこの午前3時頃という時間帯は日付が変更される時刻を意味し、だから「暁」は現実の日の出の様子ではなく、日時が翌日に変わる時間的な節目を意味するのです。

また古の中国における「暁」(午前3次過ぎ)には、かつての同国の役人(高級官吏)たちは仕度を済ませて役所/宮殿に入らなければなりませんでした。ですから、この「暁」は役人の出勤時間を指す時間帯なのです。その為、遠回しには「暁を覚えず」は、「出勤時間を気にしないですむ」という意にもなる? のです。

つまり大事な出勤時間を気にしなくてよいということは、作者が役人(高級官吏)ではないからなのです。ここがある意味大きなポイントであり、孟浩然は一見自由人のようでありながら、その実は科挙(中国の官吏登用試験)に合格出来きず進士(科挙合格者の中で最も上位者のカテゴリー)になれなかったことを大いに悔いていたのかも知れません。

即ち多少深読みかも知れませんが、この漢詩は単なる晩春の朝寝の心地良さ・気儘さを描いたものではなく、「(なれなかったので)役人ではない我が身」、だからこそ「朝寝坊が許される自分」の存在に関して、ある種の後悔や自嘲の念といった屈折した想いが含まれているとも受け取られますし、そう考えると改めてこの漢詩の真の意味・ニュアンスが解るような気がします。

この筆者の推測は少しばかり飛躍しているかも知れませんが、この詩に関して「(出世は出来ずとも)思う存分に朝寝坊が出来る、そんな自由気儘な生活を謳歌している自分を描いた」との解釈では素直過ぎて、それは作者・孟浩然の本当の気持ちではなかったのでは、と思うのです。

更に異(珍)説には、この漢詩は科挙に落第した彼が憂さ晴らしに妓楼を訪れて蘇州一の名妓・小真娘と一夜を共にした翌日の朝の心境を詠んだとされ、表面上は小真娘を花に例え、また彼女との睦事を雨風などの到来に擬した娼妓との叶わぬ恋の詩として仕立てたものだが、その本意は役人(高級官吏)となれなかった自らの境遇のことを、娼妓に溺れ、時間に縛られない身であるとして皮肉ったのだ、というものです。

 

作者について

孟浩然は、襄州襄陽(湖北省襄陽市)出身の盛唐時代代表的詩人です。字は浩然。嗣聖6年689年)に生まれ、開元28年(740)に亡くなりました。青年時代は郷里の鹿門山に隠れ棲んだと伝わり、その後も各地を放浪し、義侠の振る舞いで多くの人々と交流を持ちました。40歳頃に長安に出て科挙を受験するも落第し生涯を通じて官途に不遇で、後に一旦、張九齢の招きで任官するも間もなく官職を辞し、その後は江南地方を放浪して一生を終えました。

その生涯は、立身出世にはあまり関心がなく縁も無かったものの、その詩才は高く評価されています。李白や前述の張九齢らと交流があり、また王維と並んで「王孟」とも並び称されました。尚、李白には「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」という有名な詩があります。更に中唐の韋応物や柳宗元と並び「王孟韋柳(おうもういりゅう)」とも呼ばれました。特に自然を詠んだ詩に名作が多く、山水詩に長じている詩人とされます。

但し彼には、ポンコツでダメ人間ぶりを伝える逸話が多く、自分を気に入ってくれた韓朝宗(唐代の政治家・吏部侍郎を務めた高位の官僚)との面談をすっぽかして就職の可能性を失ったり、王維の紹介で唐の玄宗皇帝の前に列した際にも、不平不満を詩に詠んでは呆れられ任官をふいにしたと伝わります。

そしてその最後は、背中に腫物が出来て苦しんでいたところに、友人の王昌齢が訪ねて来たので喜んで酒食を共にしている最中に容態が急変して死んだとされます。

 

春季になると、環境の変化が大きく体調を崩してしまう人が少なくありません。私たちの身体は冬季の間には体温を逃がさない為に交感神経が優位に働いて血管を収縮させるのですが、徐々に暖かくなってくるとその必要が薄れ、代わって心身をリラックスさせる副交感神経の動きが活発になってきます。

こうした自律神経の活動は自分自身では意識して制御することが出来ないので、季節の変わり目では体の状態が不安定になり、体調不順として現れたり、身体バランスの不均衡に悩まされる人が多くなるのです。

また春季、特に晩春のこの時期、確かに心地良い気候に誘われてついつい眠くなることがよくありますが、実はこれは上記の活性化した副交感神経の働きによるものなのです。でもこれは人体の機能が自然と求めるものに基づいており、その結果、いつも以上に寝過したり、二度寝などに陥りがちとなる様ですが、だからと言って安易に「惰眠を貪る」ことが許される訳ではありませんので、皆様も充分にご注意ください(笑)。

-終-

【番外】この漢詩の文学性の高い意訳を紹介します。先ずは、土岐善麿(ときぜんまろ)の訳詩です。善麿は明治時代の人で漢詩にも造詣が深い歌人で国語学者でした。また、石川啄木の友人だったことも有名です。

春あけぼの(の)うす眠り 枕にかよう鳥の声
風まじりなるよべの雨 花散りけんか庭もせに

「うす眠り」とか「枕にかよう」という表現が巧みで趣があります。また「庭もせに」は、「庭も狭しとばかりに」の意ですから、花が庭中に沢山散った様子となります。

もう一つは井伏鱒二の訳詩(井伏鱒二 著「厄除け詩集」から)です。

春の寝覚めのうつつで聞けば 鳥の鳴く音で目が覚めました
夜の嵐に雨まじり 散った木の花いかほどばかり

尚、井伏のこの訳詩の最後は「いかほどばかり」と、疑問形ですね。同じく原詩末尾の「多少」を少ないというニュアンスでとらえて、以前はこれを疑問形と考えて「どれくらい散ったのだろうか」と訳するものが多かった様です。しかし最近では多いことを前提として、「沢山散ったことだろう」と推量形で訳しているものが主流のようです。

 

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