《心に残る名言・格言・諺・成句》冬来たりなば、春遠からじ‥‥If winter comes, can spring be far behind? 〈3902JKI24〉

冬たけなわの今日この頃、そこでまさしく連載シリーズ《心に残る名言・格言・諺・成句》の第一弾に選んだのは、「冬来たりなば、春遠からじ」です。

その意味は一般的には「寒く厳しい冬がやって来たということは、間もなく明るく暖かい春が必ずやって来るということ」から転じて、字義通りに春の到来を待ちわびる意にも、「辛い時期を耐え忍んでいれば、いずれ幸せが必ず巡って来るという例え」にも用いられています。

さてところで、この人口に膾炙された言葉の由来は何処から来たものでしょうか。その漢文調の名調子から、中国や我国の古典(名言・成句や漢詩・和歌の一節など)が原典の様にも思えますが‥‥。改めて調べてみましたので、披露させて頂きます。

 

原典を探る

もし漢詩などが原典ならば、原文は「冬来春不遠」となり、訳語は冬来たりて春遠からず」などの表現が妥当かも知れません。逆にこれを中国語に直訳すると、「冬天来(到)了, 春天还会远吗? 」と言った形になるのでしょうか。 

実際のところ中国でも、このパターンの言葉が(散文や韻文/詩などの)文章中に使用されることはよくある様ですが、このフレーズの前に「秋」をつけて「秋去冬来春不遠」(秋去りて~)という形で使われることが多いとされます。

しかし詳しく調べると、この「冬来たりなば、春遠からじ」の原典は意外なことに英詩であり、イギリスの詩人シェリー(後述)の長詩『西風に寄せる頌歌(Ode to the West Wind)』の最後の一節によるものとされています。

※“Ode(オード)”とは、特定の人や物に寄せる壮麗で手の込んだ抒情詩(韻律)の一形式を指します。その日本語訳には“頌歌(しょうか)”や“頌詩(しょうし)”、“賦(ふ)”などがありますが、単に“”と記している場合(例えば西風の歌』)もあります。

 

詩の内容

長編の詩なので、最後の二節の部分だけを掲載すると、

The trumpet of a prophecy !  O Wind,
(おお西風よ、予言の喇叭(ラッパ)を吹き鳴らせ !)
If Winter comes, can Spring be far behind ?
(冬が来たならば、春は間近いのだと =冬来たりなば、春遠からじ ? )

となり、この “ If Winter comes, can Spring be far behind ? ”が「冬来たりなば、春遠からじ」の原典となりました。

far behind=かなり遅れる、はるかに遅れる。

英語の原詩(全文表示)

 

尚、この詩の形式は、全五連から構成されており、各々は三韻句法の四つのまとまりと各連末尾の対句から出来ています。更に賛美歌の様な「形式的呼びかけ」によってそれぞれが接続されており、どことなく読み手に宗教的な感覚と独特のリズムを感じさせます。

またこの詩は、1819年、作者シェリーが27歳の時にフィレンツェのアルノの麓で書き上げたものとされており、10月のある激しい西風が吹く日没に一気に作り上げたと云われていますが、同時期に彼は二人の子供を相次いで失ったとも伝わります。

シェリー自身は、アルノの麓でいつもの様に詩を書いていると、突然、強い風が吹いてきて空が曇り雷が落ちてきたことがあり、その時の経験からこの詩を思いついた、と言います。即ち、単に彼の何らかの個人的な精神の高揚・昂ぶりを詠んだものだと云うのですが、有力な異説には、同じ時期(1819年頃)にシェリーがイギリスの労働者弾圧を糾弾する詩を幾つか書いており、それらとの関連性が明確であろうとの見方もあって、この詩は革命歌だと捉える識者も多数いる様です。

上記で省略した原詩の始めの部分で、西風は厳しい自然である以上に破壊的な暴君(破壊者)として描写されています。しかしやがて西風は、過酷な抑圧の季節である冬を招来しながらも、やがては圧制者の惰眠を吹き飛ばす勇気の強風(革命の象徴)となり、最後には生命に満ちた春をもたら創造(復興の象徴)へと変貌することを宣言し、詩人は虐げられた者たちへと声援を送るのです。そして予言の喇叭(ラッパ)とは、革命の合図の響きであり、この詩は社会を変革しようとする意気込みに燃えた人々を鼓舞し覚醒し続けたのです。

こうしてシェリーは、新しい時代が到来することを期待し、この詩には現在の苦境を耐えぬけば幸福・繁栄の時期を迎えられるという希望が込められていると云うのです。

 

訳文の構造

この詩の題は『Ode to the West Wind』 で、まさに“西風”に呼びかけた詩です。定冠詞 the がついていますから特定の西風を指すのでしょう。つまり1819年の秋にフィレンツェのアルノの麓で暴風に出遭ったシェリーは、その時の激しい西風に荒ぶる、そして変革の“”を見出したのです。また Winter や Spring が大文字で始まっているのは、冬や春を擬人化しているからで、所謂、擬人法personification)というやつです。

やはりそれよりも英語の原詩に関しては末尾の疑問符の方が気になるところで、つまり ? が付いているということは、基本的に疑問文ということになりますから、本来は訳文も疑問文となるハズです。

しかし、ここは誰でも分かる通り最終節は疑問形/反語調の修辞疑問文(rhetorical question)になっているのであり、断定を強める為に使われるレトリックなのでした。だから「冬来たりなば、春遠からじ」は答えを要求しない疑問文であり、決して通常の疑問文ではなく、この ? の付いた最後の部分を反語的に訳して「春遠からじ」となったのです。

ところで訳文の「来たりなば」は、文語動詞「来たる」の連用形+文語の完了の助動詞「ぬ」の未然形+接続助詞「ば」で、“来たならば”という意味です。また「遠からじ」は、文語形容詞「遠し」の未然形+文語の打ち消し推量の助動詞「じ」で、この「じ」が推量の否定の働きをして「そんなことはないであろう(春は遠くないぞ・春は近いぞ)」という含みを強め、上記に沿った“遠くはない”という意味になりました。

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