《心に残る名言・格言・諺・成句》冬来たりなば、春遠からじ‥‥If winter comes, can spring be far behind? 〈3902JKI24〉

作者について

パーシー・B・シェリー

パーシー・B・シェリー(Percy Bysshe shelley)は、イギリスの叙情詩人で ロマン派の代表格のひとりでした。彼は、1792年にイングランド南部のサセックスに生まれます。少年の頃から理科教師ウォーカーの影響を受け、エラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin、有名な「進化論」の提唱者チャールズ・ダーウィンの祖父でイングランドの医師・詩人・自然哲学者)の流れをくむ思想に関心を持っていたと云います。

更に、実験や機械に興味を持ち、電気や天文学、エネルギーなどの科学分野に興味を抱いていたとされます。オックスフォード大学に入学してからも、電気や化学、火薬の実験や降霊術の実験などを繰り返していました。

やがてバイロンやキーツ、ワーズワースなどと同時期のイギリス浪漫復興期の代表的な詩人に成長しましたが、特にバイロンとは親しい友人関係にあったとされます。

代表作には『西風に寄せる頌歌の他に、『鎖を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound)』や『マッブ女王』、『アドネイス』などがあります。

彼はエイリエル号に乗船中にラ・スペツィアの沖合で海難事故(ヨット事故とも)に遭い、1822年に亡くなりました。享年、わずか30歳。墓石には彼の愛したシェイクスピアの『嵐(Tempest)』の一節(妖精エイリエルの歌う句)が刻まれています。

ちなみに、彼の妻であるメアリー・シェリーは小説『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus)』の作者として有名ですが、その着想のヒントはバイロンらから得たとも(「ディオダディ荘の怪奇談義」)。また彼女は、当時としては大変 進歩的で開明的な女性だった様ですが、流石に『フランケンシュタイン』出版当初は夫シェリーの序文を付けて匿名にて刊行しており、これはこの時代、女性がこうした書籍を著述し出版することが非常識とされていた為とされています。

※余談ですが、小説『フランケンシュタイン』は本来は単なるホラー・怪奇小説ではなく、(人間の本質や親子関係などの)哲学的な命題を掲げたゴシック系のロマン小説であり、登場する(名無しの)怪物も極めて知的に描かれていて、物語後半では多言語を操り多くの古典を読み漁ったりしています。また“フランケンシュタインという名も怪物のものではなく、彼を創造したヴィクター・フランケンシュタインという人物の名前でした。後年において原作とはかけ離れた翻案(映画や舞台劇など)が多くなされた結果、怪物の容姿や性格が世間に誤解されてしまったと云います。

 

翻訳について

この名訳の翻訳者は、一説には上田敏だとされていますが、同詩は『海潮音』(上田敏の訳詩集)はもちろんのこと『上田敏全訳詩集』(岩波文庫 1962年)にも掲載されていません。もしかするとこの説は、『シェリー詩集』(新潮文庫 1980年)の訳者である上田和夫と混同しているのかも知れませんが、ちなみに同氏の『シェリー詩集』では『西風に寄せる歌』という題で「冬来たりなば  春遠からずや」と訳されています。

『対訳 シェリー詩集』(アルビィ宮本なほ子 編、岩波文庫 2012年)では、『西風へのオード』という詩の最後が「冬が来たら、春はまだ遠いということがありえようか。」と訳されています。そして当該書の“まえがき”には、「‥シェリーの作品は‥明治以来、小原無絃、水上夕波、夏目漱石など何種類も翻訳があります。大正から昭和にかけては、斉藤勇、土居光知、矢野峰人、日夏耿之介などの研究があり、戦後になると、佐藤清、星谷剛一、上田和夫といった人たちの翻訳があります。」と記されており、これで多くの訳者が存在していることが解りますが、誰が最初に「冬来たりなば、春遠からじ」と訳したかは明確ではありません。

また、A.S.M.ハッチンソンの小説『冬来たりなば(If Winter comes)』を木村毅が翻訳(改造社の『世界大衆文学全集 第55巻』1930年)した際に、本の扉に添えられていたシェリーの詩を「冬来(き)なば、春遠からじ」と訳しています。更に加藤正治郎の訳した『シェリー詩集 1』(昭森社 1955年)に「冬来たりなば、春の訪れ遠からじ」という訳文があるそうです。尚、大和資雄の『英文学に於ける浪漫主義』(研究社  1958年)では、「冬が来るなら、春が遥かに在り得ようか?」となっています。平井正穂の『イギリス名詩選』(岩波文庫 1990年)では「冬来たりなば春遠からじ、と私は今こそ叫ぶ!」とありました。

結局のところ、訳者によっては微妙に(or 大幅に)表現が異なっているのですが、筆者としてはシンプルな「冬来たりなば、春遠からじ」を超える適切な日本語訳文は見当たらない様に思えます。

 

小説と映画の『冬来たりなば』

イギリスにおいて1922年度に最も多く売れた書物の1つは、小説家A.S.M.ハッチンスン著の『冬来たりなば(If Winter comes)』(既出)でした。そしてベストセラーとなったこの小説が、アメリカのフォックス社により翌年には映画化(監督 ハリー・ミラード)され封切られます。

あらすじは、理想主義者で夢想家の主人公(マーク・セイバー)が周りから誤解され、妻(メイブル)からさえ疎まれる様になりますが、その後、冤罪に陥れられて病気になった主人公を慰めてくれたのは、今は未亡人でかつての恋人ノーナ)だったという内容ですが、主人公を演じたパーシー・マーモントの好演が高く評価されました。また当時では、この様な本格文芸作品がしっかりと映画化されたことは少なく、人道主義を高らかに歌う雄大なストーリーが好評でした。

この映画が上映されて以来、「冬来たりなば」という言い方が広く知られる様になったとも云われていますが、やはりこのフレーズが最も語感がしっくりとくる様に思えますが、如何でしょうか。

しかし結論から云うと、戦前や戦後当初においては、漢文調の「冬来たりなば、春遠からじ」という訳文の方がその他の表現よりも受け入れ易かったというのが、単純にこの名訳の普及の最大の理由だと思われます。

 

ところで、原詩の最後からひとつ手前の節を見ると意外に威勢がよく、ポジティブ感が強いですよね。著名な邦訳文では、少しだけネガティブさを漂わせながら耐え忍ぶ雰囲気を醸し出した感じが強いとも云えますが、それはそれで日本人の感性と相性が良かったらしく、翻訳時の訳者のセンスが好結果を産んで独特の漢文調が格調高い響きとなり、古今の名句となったのでしょう。

しかし原詩では、冬の寒さ厳しさを耐え忍ぶことを慰めるというよりは、「あともう少しだ、頑張れ!」と鼓舞する様な、前向きの詩に思えます。これが既述の作詩の背景や作者シェリーの個人的な性向の反映故か、それとも日英の国民性の違いに由来するものかは議論の余地があるかも知れませんが‥‥。

-終-

 

【余談】本稿は《記憶に残る名言・格言・諺・成句》の第1回目の連載でもあり、共通テーマに掲げた名言格言成句の意味やその違いについて簡単に触れてみたいと思います。

・名言とは、確かにそうだと感じさせるような、優れた言葉。または、事柄の本質をうまくとらえた言葉のこと。

格言とは、簡単に言い表した戒めの言葉。金言とも。短い言葉で、人生の真理や処世術などを述べ、教えや戒めとした言葉のこと。

・諺とは、昔から言い伝えられてきた、教訓・風刺などを内容とする短い句・言葉。生活体験からきた社会常識を示すものが多い。

・成句とは、習慣的に使われる二語以上から成るきまり文句や諺。または昔から言われて広く世に知られている文句。

ご参考まで。また本シリーズは、複数の執筆者によるリレー形式の連載スタイルをとる予定であることを、事前にお知らせしておきます。読者の皆様には、よろしく、ご了承ください。

 

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