【ミリタリーこぼれ話】“街道上の怪物”、その名は“KV-2”。 〈3JKI07〉

W.W.Ⅱに関する戦車や戦史ファンであれば、多くの方が既にご承知のエピソードかとは思うが、たった1輛で多数の敵軍の前に立ちはだかり、その前進を長時間にわたり食い止める――そんな活躍をした戦車の物語を紹介しよう。

 

その戦車は、ソビエト連邦が第2次世界大戦の緒戦時に開発した重戦車 KV-2(ロシア語では“カーヴェードヴァーと発音)の内の1台であった

KV-2とは

KV-2は本来、敵陣を強硬突破する部隊に協力・直接支援をする為の自走榴弾砲で且つ突破戦車とも云える車輌であり、先行モデルの重戦車 KV-1(41.5口径76.2mm戦車砲搭載)の車体に箱型の巨大な回転砲塔に大型の152mm榴弾砲(M-10)の戦車仕様 M-10Tを搭載したものを据え、そしてこの強力な砲と砲塔の正面装甲110mm・側面75mmと云われる重装甲が特色のやや特殊な戦車であった。

KV-2の勇姿

そして、その誕生に関しては極めて短期間に開発されたことが特筆されよう。1939年の“冬戦争”(対フィンランド戦)においてフィンランド軍の強固な防衛陣地に前進を阻まれた前線部隊から12月の時点で要請された内容(強力な火力支援戦車の投入要望)に対し、ソ連軍中央はわずか2ヵ月後の翌1940年の2月には試作車輌複数を完成させて実戦に送り込んだ。即ち、恐るべき短期日で開発・製造された急造戦車であったのだが、前線に投入されたその火力の絶大な威力は試作車の段階からソ連軍前線部隊の要望を充分に満たすものだったとされている。

KV-2の試作車は、1940年2月11日にはマンネルハイム線の一角であるスンマ地区で初めて実戦投入された。

その後、独ソ戦が始まると、KV-2はその火砲の威力と重装甲からソ連兵たちからは“ドレッドノート(ド級戦艦)”と呼ばれて大変頼りにされ、敵側の独兵からは“ギガント(巨人)”と名付けられて大いに恐れられた。

だが、この戦車においては大口径で強力な砲を搭載したことで砲弾が大きくなり、通常のような弾丸と火薬(装薬)を一体化させた砲弾を使用出来ず、発射用の火薬(装薬)と弾丸を別部位に分けた砲弾を使う『分離装薬式』となり、結果として装填と発射に非常に時間がかかった。またそれに伴って砲手以外に装填手が2名必要(通常の戦車では装填手は1名)であり、乗員は合計6名となって車内スペースは大いに手狭であった。

先行モデルのKV-1重戦車

また破格の大口径砲を載せた砲塔部分の寸法も高くなって人の背丈ほどもあり、敵軍の標的となり易かった。更にこの砲塔はベースモデルの KV-1よりも大幅に大型化しているにも拘わらずターレットリングの径は KV-1と同径であり、重量が数トンもある巨大な砲塔を支えるには極めてミスマッチな状態であったが、人力による手動旋回方式の為、坂道などで車体が傾いた状態ではまずこの重い砲塔は旋回させることが出来ないなど、せっかくの重砲の運用には大きな制限や支障があったとされる。また巨砲の搭載と装甲の強化によりその重量は50トンを超え、路上での最高速度も実質は 20km/h台となっていた。

※自重52トン、移動速度は整地で34km/h、不整地では15km/hとされていたが、現実にはそれ以下とされた。更に大きな欠陥として主砲の搭載弾数が36発と極めて少なかった。KV-1は98発、T-34/85で56発である。

こうして76.2mm主砲搭載で同じ12気筒液冷ディーゼル V-2Kエンジン(550馬力)を使用した乗員5名の KV-1でさえ大きな難があるとされたその機動力と機械信頼性は、益々、低下したのである。

※そもそも KV-2のベースとなった KV-1が、故障損失の方が戦闘損失よりも多いと言われるほど故障率が高く、重量過大により機動性も低かった。

※KV-2のバリエーションには、1940年型の KV-2Aがあり、これはKV-1Aの車体を利用したモデルだ。ごく初期型には122mm砲が搭載された。1941年型のKV-2Bは、KV-1Bの車体を利用したモデルで、砲塔側面が1枚板となっている。またKV-2-1は、主砲を長砲身85mm砲に変更したタイプで試作車のみが造られた。

 

KV-2はこの様に巨砲と重装甲を有した特殊な戦車であり、また運用面では多くの制約がある車輌でありながら、他の通常の(T-34等の)戦車と混成で同じ様な戦術の基で扱われた為に、充分な戦果を上げることなく、いたずらに損耗を重ねることになったとされている。そして結局、KV-2は開戦後ほどなく生産は打ち切られ、当時のソ連軍戦車としては比較的少数の総生産数で終わった。

※KV-1の3,000輛に対して、KV-2は1940年~1941年にかけて増加試作型を含め202両の生産に止まった。

この戦車は、当時において戦車砲としては例を見ないほどの圧倒的な重砲を装備、更に強固な装甲を纏ったことで(本エピソードの様に)局地的には活躍が可能であったものの、基本的な設計・構造の不備から早々と戦史から姿を消してしまった。

後の独軍が類似コンセプト(の強化版? )の歩兵支援用自走砲であるブルムベア(Brummbär)や、より強力なシュトルムティーガー(Sturmtiger)を防御用兵器として活用し、本土防衛や西部戦線で英米軍に対して大きな脅威を与えたことを考えると、間違いなくKV-2は用いる戦術の選択や運用方法を間違えたと言わざるを得ないだろう。

搭載臼砲が際立つシュトルムティーガー

※ブルムベア(Brummbär)は、IV号戦車の車台をベースに製造され15cm突撃榴弾砲(15cm Sturmhaubitze 43 L/12)を固定戦闘室に搭載した自走砲で、戦闘室前面の装甲は100mm、同側面は50mmだった。独軍の制式名称は IV号突撃戦車(Sturmpanzer IV)である。初期型のいくつかの欠陥が改良された後には、大変優れた火力支援戦車であると評価された。尚、総計生産数は306輌とされている。

シュトルムティーガー(Sturmtiger)は、主砲に海軍が開発した38cmロケット推進臼砲を使用。装甲は車体前面150mm、側面が80mmで、その車体には(損傷して引き揚げた)ティガーⅠ型を利用し戦闘重量は65トンに達した。鈍重な機動力はともかくとして、その強靭な防御力と軍艦(戦艦クラス)並の破壊的砲力は高く評価されたが、最終的な生産数は18輛と僅かである。

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