【ミリタリーこぼれ話】“街道上の怪物”、その名は“KV-2”。 〈3JKI07〉

独軍に鹵獲されたKV-2

こうしてソ連領への侵攻開始直後、怒涛の攻勢を続ける独軍に対し、たった1輛のKV-2が実行した側面攻撃が同型戦車数十両が行った正面攻撃に匹敵する効果を示したのだった。当時、精強を謳われた独軍装甲部隊でも当然乍ら弱点は有しており、つまり急進する部隊の背後の補給路の要衝を(偶然・無意識に? )痛打した事がソ連側に予想外の大きな戦果がもたらしたのである。

つまり、この戦車の行動が師団の作戦に従った組織的なものだったのか、単なる偶然によるものなのかは別として、もしもソ連軍が敵装甲部隊に対して同様の効果的な側面攻撃を成功させていたのなら、どれほどの遅滞効果が挙げられたのか、と考えない訳にはいかない。

※小林源文氏の劇画では、KV-2の乗員のソ連兵は「道に迷った‥‥」と述べている。またソ連軍第2戦車師団長のE・N・ソリャリャンキン将軍の指示により、当該 KV-2がラウス戦闘団の後方補給線を絶つ為に随伴の歩兵を若干伴って件の街道分岐点へと進出したとの記録もある様だが、それにしては単独で孤立無援の形で戦いながら独軍第6装甲師団の足止めに成功したこの KV-2の存在をソ連軍(大隊本部/師団司令部等)が知らずにいたことには少々疑問が残るが、いずれの資料にも当該のKV-2を組織だって支援するソ連軍の動きは描かれていない。即ち、この“街道上の怪物”のエピソードは、偶然に迷い込んだ1輛のKV-2が結果として英雄的な活躍を見せたと考えるのが妥当であろう。

更に巷に流布されている多くの説では、この KV-2は独軍第6装甲師団を足踏みさせただけではなく、第1装甲師団の進撃ルートを変更させることで、結果として第4装甲集団のレニングラード接近を遅らせることに寄与したとされる。

但し、戦況全般に関しては既に述べた通り、反撃に出たソ連軍第3機械化軍団の第2戦車師団を挟撃する為に、当該のKV-2が街道上に出現した時刻とほぼ同じ頃の24日13時30分には、独軍第1装甲師団は第41自動車化軍団長のゲオルク=ハンス・ラインハルト(Georg-Hans Reinhardt)将軍の命令を受けてヴォシルキス・グリンシキス地区へと転進を開始、更に独軍第269歩兵師団はこの時までにドゥビーサ川へと到達し、渡河に成功していた。

この結果、一旦は反撃に出たソ連軍第2戦車師団は独軍の3個師団により三方向から包囲される形となり、またこの時、戦車戦力では非力であった独軍部隊は前述の様に10.5cm榴弾砲等の野戦重砲を活用して戦い、数十両の KV-1及び KV-2を擁した第2戦車師団を全滅に追い込んだのである。

水平射撃準備中の独軍 10.5cm榴弾砲

※軽榴弾砲の10.5cm(105mm) leFH 18は、砲兵科用の装備砲で本来は自衛以外の対戦車戦闘は想定していなかったが、独ソ戦初期においては戦車猟兵が保有する対戦車砲の3.7cm PaK 36や5cm PaK 38ではタングステン弾芯の高速徹甲弾(Pzgr.40)を用いてもソ連軍の T-34中戦車や KV-1 or 2重戦車に苦戦を強いられたことから、88mm高射砲や他の野戦重砲と共にしばしば対戦車戦闘を実施した。また同砲の弾薬には軟標的用の榴弾以外に、硬標的用の徹甲榴弾も用意されていた。10.5cm徹甲榴弾であれば、KV戦車でも貫徹こそは困難でも破損・擱座させる事は可能であり、1942年以降に供給された成形炸薬弾なら貫通撃破も期待出来たのである。

重ねて指摘すると、一部の説で当該の KV-2が原因とされている独軍第1装甲師団の反転(進路変更)は、現実にはソ連軍第2戦車師団全体の包囲攻撃を目的とするものであった。しかも当該の KV-2がラウス戦闘団の補給路上に陣取っていたのは6月24日正午から翌25日朝までの間であり、6月24日の夜半以前においては独軍第41軍団はたった1輛の戦車を相手にしていた訳ではなく、もっぱら反撃に出たソ連軍第2戦車師団の全部隊との遭遇戦に忙殺されており、決して当該 KV-2とだけ戦っていた訳ではなく、この“街道上の怪物”の(偶発的な)奮戦に対する必要以上の過大評価は避けなければならない。

即ち一連のソ連軍第2戦車師団の全力攻撃によって、少なからず独軍装甲部隊の前進が阻まれたのであり、ソ連軍各部隊の積極的な反撃により第41自動車化軍団の進撃速度は平行して進撃するマンシュタイン将軍の第56自動車化軍団よりも遅くなり、開戦から1週間を経た段階において第56軍団に比べて3日行程ほどの後れを取っていたと云う。だが、当該 KV-2の(たぶん)偶然とも云える勇戦力闘が、この第2戦車師団の抵抗の一端を(人知れず)担ったことは確かである‥‥。

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