【ミリタリーこぼれ話】“街道上の怪物”、その名は“KV-2”。 〈3JKI07〉

復刻版『街道上の怪物』

劇画集『街道上の怪物』や最近のアニメでの活躍

このエピソードは、我国には当初は KV-1の物語として誤って伝えられた様で、小林源文氏の著作でも KV-1を主役としてこの話が劇画集『街道上の怪物』の中に収録されており、小林氏の言によると「これ描いた頃は資料がなくてね、当時は KV-1の話と思ってました。資料にはKV戦車となってたかな」とのことである。大日本絵画刊の『モデルグラフィックス』誌に連載された後、1986年1月に加筆して単行本化(「月刊モデルグラフィックス1月号別冊」)された。

※筆者所有の劇画集『街道上の怪物』は、「月刊モデルグラフィックス1月号別冊」(1968年1月25日発行)であり、1988年11月刊の『MGコミック 街道上の怪物』(大日本絵画刊)とは表紙のデザインが全面的にが異なり、掲載写真の2013年10月刊行の復刻版(ゲンブンマガジン刊 )とも表紙下部の表記(GENBUN MAGAZINEの部分) が異なる。

ツクダホビーの「タンクコンバットシリーズ」(ボードタイプのウォー・シミュレーションゲーム)の“パンサー”(1983年11月発売、1941年6月22日以降から終戦迄のソ連軍と独軍の東部戦線における戦車戦がテーマ)にも、同様に KV-1を用いたシナリオがあり、解説文にも KV-1となって記載されていたそうである。

※またデジタル化された戦争ゲームにおいては、数多くの戦車シュミレーション・タイプのゲームにおいて KV-2は登場している。

※この話は、上田信氏の1997年3月刊行『戦車メカニズム図鑑』(グランプリ出版)にも取り上げられている。

肩車されている女の子がカチューシャ隊長

尚、アニメ『ガールズ&パンツァー(ガルパン)』では、1940年型のKV-2がプラウダ高校の所属戦車として登場。同校隊長のカチューシャは、KV-2の車高が高くて、車長ハッチに乗車時の眺めが良いからと云う理由で“かーべーたん”もしくは“頼れる同志”と呼んでいたく気に入っていた。更に同『ガールズ&パンツァー』の劇場版では、“かーべーたんに乗車するプラウダ校のニーナ(装填手)が「“街道上の怪物”を舐めんなょー!」とのたまわり、そして KV-2のもう1人の装填手アリーナは、撤退戦の際に 搭乗車“かーべーたんの大きさを活かして盾となることで、カチューシャ隊長を逃がすことを進言するが、これらのシーンはアニメファンの間では有名な話。

同じくアニメの『ブレイブウィッチーズ』第5話にも登場。主人公の雁淵ひかり軍曹たちが猛吹雪の中で乗り捨てられた KV-2を発見し、車内に入って吹雪を凌ぐ姿が描かれていた。

 

小林源文先生の短編『街道上の怪物』は忘れられない名作ミリタリー劇画。重戦車 KV-1を意識したのもこの作品以降だと思うが、しばらくして実際に活躍したのが KV-2だと知って、妙に納得した記憶がある‥‥。改めて考えてみても、ソ連軍も独軍に負けない位の「相当に強烈で半端ない怪物(ほとんどゲテモノに近いモンスター)!?」を実際に数多く戦線に送り出しているのを思い知らされるのであった。

-終-

【参考:ドキュメント“街道上の怪物”】

・独軍側の証言

「1941年6月23日、第4装甲集団はドゥビーサ川に到達し、いくつかの橋頭堡を確保した。撃破された敵の歩兵隊は森や小麦畑の中に隠れ、ドイツ軍の補給線を脅かすようになった。6月25日、ソ連軍は第14戦車軍団(原注:これは誤りで、実際は第3機械化軍団)を繰り出し、こちらの意表を衝いてラセイニャイ南部方面の橋頭堡に反撃をかけてきた。敵は第6オートバイ大隊を蹂躙、橋を占拠し、街を目指して前進した。敵主力の進撃を食い止めるため、第114自動車化連隊と2個砲兵大隊、そして第6装甲師団の戦車100両が投入された。しかしながら、彼らは今まで知られていなかった型の重戦車大隊と激突することになったのである。これらの戦車は歩兵隊の間を通過し、砲兵陣地へ突入した。ドイツ軍の砲弾は、敵戦車の分厚い装甲に弾き返されるばかりであった。100両のドイツ戦車が、敵軍のドレッドノート20両との戦いを持ち堪えられずに損害を出している。チェコ製のPz.35戦車は、敵の怪物どもに蹂躙された。最後まで射撃を続けた150mm榴弾砲中隊も同じ運命をたどった。200メートルの距離からのものを含め、数えきれないほどの命中弾を与えたにも拘わらず、榴弾砲は1両の戦車をも破壊できなかった。状況は危機的であった。ただ88mm高射砲のみが数両のKV-1を破壊し、残余の戦車を森の中へ撤退させることができたのである。」(フランツ・ハルダー上級大将を含むドイツ人捕虜グループによる戦後の報告書より)

・ソ連軍側の証言

「(前略)しかしながら、KV-1戦車のうちの1輛は北の橋頭堡に集結したドイツ軍の輸送線まで到達することができ、数日にわたってこれを封鎖した。何も知らずに補給品を積んでやって来た最初のドイツ軍車両は、この戦車に焼き払われてしまった‥。当時採用されたばかりの50mm対戦車砲を装備した第450砲兵中隊が戦車の破壊を試みたが、人員と機材に大きな損害を出しただけで効果はなかった。14発の直撃弾を浴びたにも拘らず、戦車は傷を負っていない。砲弾は装甲をへこませるだけであった。このため擬装した88mm砲が呼び寄せられたが、戦車は慌てることなく砲が600メートルの位置に着陣するまで待ち、相手が発射する前に砲員もろとも砲を始末してしまった。夜陰に乗じて戦車を爆破しようとした工兵隊の試みも、同じく失敗に終わっている‥。最終的な勝利を収めたのは、ドイツ軍の策略であった。50両の戦車が三方から攻撃をかけるように装い、それぞれの方角へ注意を惹きつけるよう命じられた。こうした陽動作戦を利用して、別の88mm対空砲が擬装したまま戦車の後方へ進入し、今度は砲撃を行うことができた。この砲が記録した12発の直撃弾のうち3発が貫通し、戦車を破壊したのである。」(『大祖国戦争軍事史料集』に収録されている「第二次世界大戦におけるロシア軍の戦闘法」より)

・当時、第6装甲師団第11装甲連隊の第2大隊副官であったヘルムート・リトゲン(後に大佐)の証言

「このKV-2戦車はドゥビーサ川に架かる北の橋まで到達し、これを封鎖してしまった為、ラウス戦闘団の展開する橋頭堡との連絡線が切断された。同戦車を排除する試みは、88mm砲による攻撃や工兵隊の夜間攻撃を含め、全て失敗に終わった。」(ヘルムート・リトゲン大佐の証言より)

・第6装甲師団第11装甲連隊の戦闘詳報から

「ラウス戦闘団は橋頭堡の維持に成功した。正午までに、強化された中隊1個と第65装甲大隊本部が予備戦力に指定され、ラセイニャイ北東部の十字路に至る左のルートを通って後退することになった。その間に、ソ連軍の重戦車がラウス戦闘団の連絡線を遮断してしまったのである。このため、同日午後及び続く夜の間、ラウス戦闘団との連絡は絶たれたままであった。指揮官の命令により、88mm高射砲中隊が敵戦車と戦うために派遣された。しかしながら、前線の観測所から指示を受けつつ砲撃を行った10.5cm砲中隊と同様、高射砲も成果を挙げることができなかった。さらに、工兵強襲班による戦車爆破の試みも失敗に終わっている。機関銃の猛射に妨げられ、戦車への接近自体が不可能であった」(第6装甲師団第11装甲連隊の戦闘詳報より)

・独ソ戦緒戦のソ連軍の抵抗がもたらしたもの

「途切れることなく行われ、非合理的で、しばしば無益ですらあるソ連軍の攻撃は、ドイツ軍の戦闘力を知らず知らずのうちに削いでいき、損害を生じせしめ、結果としてヒトラーが戦略を変更する原因となり、最後はヴェーアマハトがモスクワ近郊で敗北を喫するための条件を作り出すこととなった。それら(攻撃)の中で困難に直面し、高い代償を払いながら戦いの洗礼を受けたソ連軍将兵は、最終的にこうした速成教育の結果を活かし、自分たちを苦しめた敵軍に恐るべき損害を与えたのである」(米国の歴史家デヴィッド・グランツの言葉より)

 

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