米国大学の不公平(かも知れない)入試制度!? 〈1647JKI34〉

我々日本人にとっては、間違いなく差別的で不公平・不公正なものに感じられる米国の大学入試制度について、改めて解説したいと思います‥‥。

東京医科大学に端を発した不正入試問題ですが、昭和大学医学部でも同様の問題が発覚しました。性別や浪人年数で合否判定に差をつけるなどの不公正な対応が問題視されていますが、他にも順天堂大学医学部などで女性差別の不公平な合格操作が行われていた疑いが持たれています。

また昭和大学医学部では、同窓生の親族を優遇していたとされ、補欠合格者や合格圏外の同大学同窓生の子女を優先的に合格させていたと云います。

しかし本記事では、これら一連の我国大学の不正入試問題について掘り下げて扱うのが目的ではなく、こういった差別的な入試の在り方を考える上で、参考もしくは比較するべき対象の一つとして、米国の大学における同様の(日本人からみると)差別的な入試制度について、ご紹介しようと思います。

米国の大学入学審査

既にご承知の方も多いかも知れませんが、米国の大学入試においては、幾つかの差別的? な入試制度が存在しています。これらの制度は、我々日本人にとっては間違いなく差別的で不公平・不公正なものに感じられますが、米国においては一部から強固な批判を受けながらも多くの人々に支持される制度として定着しているものです。

そもそも米国の大学入試は、審査であって、日本の様な入学試験でありません。その審査では、全国学力テストとでも云うべき「SAT」(Scholastic Assessment Test、大学能力評価試験)や「ACT」(American College Testing Program)といった試験のスコアと、高校での成績や課外活動への参加状況、スポーツや音楽などの実績、ボランティア活動での成果、そして小論文等が主たる選考ポイントとなり、総合的な評価により選考されているとされます。

特に、学業・成績以外で学校に対する貢献度の有無・大小を評価します。例えば、優秀なスポーツ選手や秀でた特技の保持者は非常に重要とされます。

有名校であればあるほどスポーツに長けた生徒を積極的に入学させる傾向が強く、アメリカンフットボールやバスケットボールは私立大学が営むビジネスの中でも大きな割合を占めており、そういったスポーツを担う選手・学生たちはVIP待遇で入学が可能なのです。

但し、この入学試験に替わる入学審査制度は著しく透明性に欠けているともされ、大学毎に異なる非公開の基準で選んでいて、所謂「ブラックボックス」的なものとなっています。

不公正ともとれる入学審査の仕組み

それでは早速、順を追って不公正ともとれる独特の選考の仕組みを解説していきましょう。

●レガシー・アドミッション(レガシー入学制度)

最も有名な制度として、レガシー・アドミッション(legacy admission)/レガシー・プリファレンス(legacy preference)があります。これは特に一流の私立大学に見られる制度で、卒業生の親族や関係者が優先的に入学出来るシステムです。

特にアイビー・リーグでは、新入生の10%~15%(最大30%とも)がこの制度で入学しているとされますが、これは私立大学にとって、成功した著名な卒業生は大学の宣伝塔にもなり、また多大な寄付をしてくれたり、ビジネスチャンスや研究機会を与えてくれる大変有難い存在であり、この為、こうした恩恵を母校に提供してくれる彼ら彼女らの親族や関係者を優遇するのは当然であると考えているからなのです。

即ち、代々にわたり母校を愛する気持ちが強く、且つ裕福な家系の子孫や関係者たちを自校の学生とすることの利点を最大限に活用するべく、当たり前の制度として入学審査に適用しているのです。

※ハーバード大学では、教授の子女などの近親々族・縁故者は50%、卒業者や大学関係者の子女などの近親々族・縁故者ならば30%程度の確立で入学が許可されると云います。

※第一次世界大戦以後にかなり一般的な制度として定着したとされるこの制度ですが、アイビーリーグやリベラルアーツの大学の約75%にレガシー・アドミッションが存在するとも聞きます。その基準は、大学院卒は除く学部卒の子弟のみという厳しい大学もあれば、兄弟や孫にまで対象を広げている大学もある様です。

単なるコネ入学ではない

但し日本人が誤解し易い点は、この制度を縁故(コネ)入学と勘違いすることでしょう。米国のレガシー・アドミッションでは、(”legacy”は受け継ぐというニュアンスで)対象受験者は卒業生である人物との親子性や血縁が強く意識されるものであり、親族以外のアカの他人を(ビジネスや金銭目的で)強引に入学に導く様な制度とは異なる様です。

※日本の一部大学でも、定員確保などの為に子弟推薦枠を設ける例はある様です。

※卒業生以外の大口寄付者の子弟などが入学審査で優遇されることもありますが、これは厳密にはレガシー制度の適用外と考えられます。

反対派の主張

しかし、親の立場(や寄付などの行為)、並びにOB/OGの血統に生まれたというだけで、受験に有利であると云うこのレガシー制度は、富裕階級が何世代にもわたって政治・経済界に君臨し続ける悪しき要因だという声も多々聞かれます。

現地米国でも「レガシー・アドミッションは大学を金で売っている」との意見は強くあり、この制度は「大学入試における学力考査を軽んじ、寡頭制(少数の人が社会を牛耳ること)や金権政治を定着させる原因の一つである」とか、「富裕層に対してカースト制度がごとき抗い難い利得を与え、社会における富の流動性を妨げる」といった発言も表明されています。

この制度に対する反対派は、オックスブリッジらの英国の大学や他のヨーロッパの有名大学ではレガシー・アドミッションやスポーツ選抜の様な制度を実施しておらず、更に公立学校におけるレガシー・アドミッションの実施は合衆国憲法に違反すると主張しています。

賛成派や一般世間の見解

しかし、この制度が殊更に問題̪視されていないのは、よく「アメリカでは入学することは簡単だが、卒業することは難しい」と言われる様に、入学出来たことが卒業出来ることを保証しない側面もあるからとされています。

つまり米国の大学では、在学中の勉学に対する評価が極めて厳しく、そう簡単に卒業を認められないので、結果として卒業生の質は充分に確保されているというのが多くの世間の見方であり大学側の見解なのです。

逆にレガシー制度適用者の大多数は、入学時点の待遇が恣意的であることが知られているだけに、一族の名誉を守る為に必死の努力で勉学に勤しんで卒業を目指すことから、そこに人間としての成長が期待出来る、とさえ評されたりもしています。また成績不振であれば、他の大学に移ったり退学させられることが普通なのですから、特段の問題はないというのです‥‥。

ここで少し視点を変えてこの制度を論ずると、独立前に米国の宗主国であった英国において、どれだけ学問に秀でた者を輩出しても代々の家名がなければ名家として認められなかった事と比較して、二代から三代くらいの短期間であっても、結果を出せばレガシーな家系の仲間入りが可能なシステムとして構築されてものであり、それこそ富裕階級が何世代にもわたって政治・経済界に君臨し続ける悪しき伝統に抗う制度として近代米国知識層に受け入れられた、とも考えられるのではないでしょうか。

●マイノリティー特別枠制度

米国の大学では、入学審査の方針としてアファーマティブ・アクションの一環によるマイノリティーとされる人々(特にアフリカ系アメリカ人ヒスパニックネイティブ・アメリカン)のテスト結果に関して、点数をかさ上げしたり、特別な入学者枠を設けて彼らが合格しやすい様にした制度があります。

※アファーマティブ・アクション(affirmative action)積極的差別是正措置」とは 弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に踏まえて是正する目的で実行される改善措置のこと。

但し、この制度が特にアフリカ系アメリカ人やヒスパニック等への優遇度合が非常に大きい点に関して、白人種からの批判が高まってきました。アファーマティブ・アクションの精神に基づいて、当該制度を維持するべきとの意見がある反面、反対派の訴訟/裁判による是正を求める動きも拡大/継続しています。

〈賛成派の意見

この制度に関する賛成派の意見は、大学教育においてはそこに集う人種の多様性を重視し、各民族の社会的・文化的なバックグランドを考慮に入れて様々な人々と共に学生生活を過ごすことで、その多様性が学内での教育的経験を高めることに大きく寄与するのだとしています。

また入学許可や学業成績を審査する際には、背景にある教育的に不利な生活・環境条件を考慮に入れて合否を判定すべきだ、との考えもある様です。

更に、アフリカ系アメリカ人などを優遇することが、奴隷制や人種分離政策などの悪しき過去を償う為の方法の一つである、との主張も存在します。

〈反対派の見解〉

但しこの制度では、能力があっても白人である為に不合格になってしまうと云う“逆差別”も生まれます。本来は平等な社会を実現することを目的として、雇用や就学での人種的少数者の不利益を是正し偏りを無くす為のアファーマティブ・アクションですが、一方で多数者が逆差別されてしまう結果になっているという批判も、主に白人サイドから表明されてきました。

※この制度に関する最も有名な判例には、カリフォルニア大学医学部を訴えた“バッキー(Bakke)裁判があります。1978年、最高裁はマイノリティーを他の受験生と同等に普通に扱わないという点で差別があり違法であるとし、原告アラン・バッキーの入学を認めましたが、同時にその受験生のプラス要素として入学選考においては人種の違いを取り入れても良いという見解を示しました。

※2003年には、ミシガン大学の“グラター(Grutter)裁判と“グラッツGratz裁判で、白人女性の訴えが連邦最高裁に提訴されました。バーバラ・グラターは、憲法修正14条(平等条項)には反しないという判決を受けて敗訴、この判例ではグラターが受験したロー・スクールは、細かく丁寧な入学審査を行っており「人種の特別考慮は大学が多様性のある学習環境を作り上げるためだった」と判断されたからです。逆にジェニファー・グラッツの学部入試に関する判例では、受験生個人個人の選考ではなく、マイノリティー全員に機械的にポイントを与えるという単純なランキング選抜方式であった為、同14条に違反するという判決が下されました。

●モデル・マイノリティー排除制度

アファーマティブ・アクションとは正反対に、特定グループの合格基準を厳しくする人種制限制度もあります。主な対象となるのは“モデル・マイノリティー扱いを受けるアジア系のアメリカ人で、こうした人々に対して入学審査時に不利益措置が講じられているというものです。

彼らは収入・学歴が高く、犯罪歴・離婚率が低いといった点で注目され、主に中国・韓国、そして日本等の東アジア系出身者やその子孫を指しますが、最近ではインド系の人々を含めることもある様です。

※モデル・マイノリティー(model minority)とは、差別を受けながらも一般平均より教育やビジネスで成功している社会的少数者という意味です。特にアジア系アメリカ人が米国社会において高学歴・高収入、更には低犯罪率の傾向であるということを、マスコミが全米に広めた結果に定着した概念のことです。現実に、しっかりと法律や規則に従っている手本や見本となる少数派ではありますが、必要以上に理想化したり過剰に称賛する形で逆の意味で差別を産んでいるともされています。

ハーバード大学をはじめとする米国の名門大学では、アジア系学生が全米の人口比を超える比率となっている一方で、アフリカ系とヒスパニックの学生はまだまだ足りていないという傾向がある様です。

その為、アフリカ系アメリカ人などの優秀な学生は、各大学間での争奪戦となっているぐらいで、この状況からは、現状、アジア系の学生が不利になるのは仕方がないということになります。

〈優秀なアジア系の学生たちとその理由〉

おしなべてアジア系の学生は、全人種の中で平均学力が最も高いとされています。所得の高低に関わらず高等教育を望み、子女の教育に熱心なアジア系の米国市民の子育て方針に加えて、母国で過酷な受験戦争を勝ち抜いて来たアジア系の留学生が、大きく学力レベルを引き上げているからであると考えられているのです。

この為、一流私大やレベルの高い州立大学では、アジア系の人々が入学審査にパスする数が圧倒的に多くなり、学内の人種バランスが崩れるという現象が起きているとも云います。

そこでアジア枠や出身国枠を作ったり、アジア系入学希望者に対しては合格基準を厳しくするという大学が出てくるのでしょう。

※少し古いデータではありますが、2001年9月にUCLAに合格したヒスパニック学生のSAT平均点数が1,168点であるのに対して白人学生の平均は1,355点ですが、アジア系学生の平均は1,344点であったとされます。ヒスパニック学生が、優遇措置を受けて900点台でも合格する一方で、1,400から1,500点台のアジア系学生が不合格となるケースも多々見受けられると云います。

※2005年にプリンストン大学が行った調査では、1,600点満点のSATの獲得点数に対する加点修正値は、スポーツ推薦が+200点、レガシー対象者が+160点、アフリカ系の場合が+230点、ヒスパニックでは+185点であるのに対して、アジア系だとマイナス(-50点)であったとの報告がありました。

アジア系学生の競争が熾烈になるのは、その専攻が理数系に偏っているのも原因の一つだという説があります。

彼らの多くが英語力に乏しいことから理数系の学科を選択することが多く、人文系に比べて客観的な評価が受けられる理数系なら差別を受け難いと考えるからとされています。

また将来、高給で安定した就職口が得られる可能性が高いとして、理数系を自分の子女に勧めるといったアジア系の人々に特有の事情もあってか、理数系を専攻する学生が多いとされるのです

※一般的に米国では、4年制大学の卒業者で理数系の学位を持つ場合、文系、特に文学部や社会学部卒よりも初任給が2倍近く高いとされています。

〈モデル・マイノリティー排除に対する反対意見〉

この制度に関する反対者の声は、少数民族を一定の割合入学させて多様性を維持・拡大するという各大学等のポリシーには、その少数民族にアフリカ系アメリカ人やヒスパニック、先住民等が対象とはなっていても、アジア系の人々は入っておらず、それどころか逆に差別されて入学を制限されるという意識的な人種差別/排除行為が起きており、これは米国の憲法違反に当たると云うものです。

最近でも、ハーバード大学を相手取った訴訟が提訴されました。原告のアジア系学生たちの申し立て理由によれば「アジア系アメリカ人の学生の合格可能性が25%だったとしたら、(同じ成績の)白人は35%、ヒスパニックなら75%、アフリカ系ならば95%だった」とのことです。

しかし、これに対してハーバード大学側は、アジア系アメリカ人の学生への差別的扱いを否定しており、一方で合否判定の実態を明らかにしようとはしません‥‥。

ところで、この訴訟の原告側の中心人物の中には共和党を支持し強力なコネクションを有するユダヤ系アメリカ人もいる様ですが、そもそも彼らはかつて20世紀の初頭頃から長きにわたり、学業が優秀過ぎるとして(本来はそれ以外の理由も多いのですが)広く米国の諸学校で差別を受けてきました。

そうした経緯から、彼らにはアファーマティブ・アクションという概念そのものを覆したいという考えがあると指摘されています。たまたま今回の訴訟ではアジア系のアメリカ人を表向き被害者としていますが、以前は白人を原告として逆差別問題を訴えていたとも云われているのです。

昨今の米国の大学は、学生の人種バランスに配慮したアファーマティブ・アクションに基づいて、入学希望者の調整を行ってきましたが、オバマ大統領の前(民主党)政権はこの方針を支持していました。

しかし、従来よりこの制度に関しては保守派層からの反発が強くあり、現トランプ政権は2018年8月30日に、この方針を撤回すると発表しています。

また、今回のアジア系アメリカ人の集団提訴を共和党の一部勢力が支持している背景には、民主党カルチャーの象徴であるアファーマティブ・アクションへの反発という、極めて政治的な思惑が見え隠れするということが指摘出来るでしょう。

●州立大学の州民枠制度

米国の各州立大学は、その入学審査に関しては基本的に州民を優先しています。州によりその基準は異なっていますが、一部の州立大学では州内の居住者であれば該当する高校(ハイスクール)の卒業生全てに入学を許可するという極端な入学開放政策をとっている場合もある様です。

また同窓生の子供および州在住の子弟を優先させることから、その州立大学の入学許可者の2/3は同州に在住の子女であることも。つまり、その州民(納税者)の子供であるというだけで入学を許可することもあるのです。

もちろん多くの州立大学の場合、各々が最低の入学基準をしっかりと定めた上で、高校(ハイスクール)での成績その他を勘案して、州内の居住者に優先して入学許可を出す形となっている様ではありますが‥。

また毎年の州立大学入学者の定数は一定しておらず、入学希望者の増加に伴って設備を拡張したり、教員数の増員を実施することになっています。

これらは州立大学が州税から多くの補助金を受けていることから、州民に対して大学と云う高等教育の場を提供するという形で還元しなければならない為に他なりません。

我国の様に出身地を問わずに実力主義で合格判定をすれば、その大学の学業水準も上がると考えられますし、州民よりもより高い学費や寄付金を支払う州外の学生や留学生が多いほどその大学の財源は豊かになるとも思えます。

ところが州立大学は、入学希望者についてはその成績上下よりも州民関係者であることを重要視して、当該大学の学業評価のランク向上を最優先はしません。また総じて州民に対しては低めの学費を設定しており、州民比率が高くなることで学費収入が低下することもいとわないのです。

これは、そこまでして州内の高校生を優遇しなければ、納税者たる州民の支持・サポートが得られないからとされています。更に私立大学以上に、州の人口内容を反映するように学内の人種バランスに神経を使うとされ、公共の学校故にか、入学審査の透明化や選考の過程とその結果の公表も求められているのです。

※1998年からテキサス州は『上位10%法(Top 10 Percent Law)を実施して、州内に居住する高校生の上位10%に対して、また1999年からフロリダ州では『1つのフロリダ主導権(One Florida Initiative)として上位者の20%に、それぞれ州立大学への入学資格を与えています。

※2002年には、カリフォルニア大学が州内の高校生の上位12.5%以内に対して、カリフォルニア州立大学が上位33.3%迄は入学資格があるとしました。また同州では、コミュニティー・カレッジは原則として出願者全員を受け入れるように州の高等教育プラン(California Master Plan for Higher Education)を改定しました。

尚、この州民枠は、州内のマジョリティ/白人中流階級を満足させるだけのもではなく、低所得者やマイノリティーが多く教育レベルの低い住民層の賛同も得ているとされます。

また州立大学としては、(州によっては違法とされる)人種枠の代わりにこの州民枠を利用することで、人種や民族、社会的背景並びに経済状況など多岐面にわたっての多様性/バラエティーに富んだ学生を集めることが可能であると考えているのです。

まとめ

最後に読者の皆さんが誤解を抱かない様に説明しておくと、米国の大学が入学を許可する学生の多様化を進めた経緯と歴史は、実際には比較的浅いものとされています。特にアイビーリーグ各校に関しては、1970年代以降に入ってから段階を追って多様な人材を集める様になりました。

先ずは、女子学生への門戸開放の問題がありました。1970年代から80年代にかけての時期が“男女共学”の体制の確立期であったと考えられており、その後、1990年代から2000年代がその完成期であったと云えます。

この点(女子学生の入学許可)に関しては、創立直後から共学であったコーネル大学等を除いて、実は1970年代まではほとんどの大学で認められていませんでした。

それ迄は、例えばハーバード大学であればラドクリフ・カレッジ、コロンビア大学ではバーナード・カレッジという姉妹校としての女子大学を併設しており、女子学生はそちらの学校へ入学するのが普通の姿でした。

しかし、この1970年代に一気に男女共学が進むと、ラドクリフ・カレッジはハーバード大学に併合されて、ラドクリフに入学した学生も卒業時にはハーバード大学の学士号を取得可能となりました。

こうした共学化が実施される以前のアイビーリーグでは、白人の男子学生が大多数を占めていたのです。そして彼らの多くは、先祖代々がその大学の卒業生というレガシー枠でしたし、各大学に併設されていたプレップスクールという私立進学校から“エスカレーター式”で進学してきた学生も多かったのです。

※プレップスクール(Prep School)とは、米国では有名大学進学を目的とした寄宿制の私立中学・高等学校のこと。

この時代以前は、まさしく白人男性優位の枠組みが米国の有名大学の主柱だったのですが、現在では(一部の理系専門の大学を除いて)、公立大学のほとんど全てとアイビーリーグの大学をはじめとする各名門私立大学では、入学許可者の数から最終の入学者数に至るまで、その数値はほぼ男女同数となっているそうです。

またこうした男女差別の撤廃に加えて、米国の名門大学が強力に推し進めている事が(学業でも特技でもスポーツでも)他を圧するほどの超絶能力を有する“非凡な学生を集めるという行為で、これは単なる秀才・エリートではなく、まさしく他人とは違う“際立った人材”を確保しようと云うものです。

特にハーバード大学はこうした“際立った人材”を入学させることで有名です。既に芸能や芸術の世界で活躍しているトップクラスの人材を集めていますが、変わったところではホームレスの高校生をハーバード大学が入学させたという事例が有名であり、そこには個性/キャラクターの強さという資質を大きく評価する姿勢が見えるのです。

 

さて私見ではありますが、私立大学の受験における不公平な制度が必ず即不正行為となるのでしょううか?

昨今の少子化の時代の流れの中で、やはり厳正な公正さを求められる公立学校を除いた私立大学では、どうしてもそれなりの経営努力が必要となり、其々の大学が特色や個性をアピールしながら受験生(ある意味で顧客)を集めるのは当然だとも云えます(公立校でも一定の経営努力は求められますが‥‥)。

(優遇措置を前提に)卒業生や一般・民間などからの寄付金などを増やして国からの助成金・補助金を減らしていくことで、私学はより経営の自由度を増していくことが必要かも知れません。

問題となるのは、「当大学は、現役受験生を優遇します」とか「OBの親族を優遇します」という点を、入学試験の実施前に公表していないからではないでしょうか?

我国の大学入試においても、(公立大学を除いた私学のケースでは)事前に特例や特別枠を設けることをきちんと公表しておけば、不公正だとの批判を浴びることは少ないのかも知れません。

しかし本稿で詳しく解説した通り、米国の場合はあくまで入学試験ではなく入学審査であることや多種多様な人種により構成されている国家が抱える課題の有無も両国間での重要な差異であり、また入学後の大学の実態の相違(米国の場合は、学業は厳しく、進級は難しくて卒業は更に困難である)を考慮すると、それが米国の特別な(差別的とも思える)制度の問題点や課題を中和/補正しているとも考えられるので、これらの制度を論ずる場合はこの点を留意する必要があることを是非、ご理解ください。

更に米国の大学では、入学許可者の選抜に関して大学内に常設の独立した入学選抜事務局といった組織/機関があって、この事務局には専門の大学行政官や事務職員が務めており、彼らが主に入学審査を行いその合否を判定します。

我国の大学と異なり、各学部の学部長や教授等は一切この仕事に携わらないことで、審査に不正の入る余地を極めて小さく封じ込めている(これはこれで問題視する向きもありますが)ことも承知ください。

 

かつての中国式科挙に範をとったあくまで学業成績のみの結果で推挙される日本型「絶対的官僚体制」作りの為の入試制度を基盤とする考え方に立脚する私たち日本人には、こうした米国人の大学に関する柔軟な感覚は理解し難いと思いますが、そこには一長一短があり、各国其々の文化や社会的土壌を考慮して、良いところを取り入れる事を意識しながら、寛容な気持で互いを見ていくべきものと思いますが、如何でしょうか‥‥。

-終-

 

《スポンサードリンク》