今日も碓氷峠越えのバスは難所の歴史を辿る 〈17/38TFU03〉

横川と軽井沢を結ぶJRバスは、1997年10月1日、長野新幹線の開通によって、在来線であった信越本線の横川駅 – 軽井沢駅廃止に伴う代替輸送機関として開業しました。信越本線は、碓氷峠を峠越えの専用の電気機関車EF63が、行きかう列車の補機として大活躍していましたが、新幹線開業と共に高崎方は横川まで、長野方は軽井沢で、峠の区間を分断してしまったのです。明治時代からアプト式という急こう配を超える技術が導入されたり、専用の機関車を開発したりと、この難所を超えるために先人たちは大変な苦労をしたというのにバスに置き換えをするなんて・・・。と廃線のニュースが流れた当時、筆者も落胆したものでした。その後は、新幹線で長野方面に行くことが何度かありましたが、新幹線ではあっさりとトンネルを経由して碓氷峠を超えてしまう(実は30パーミル:1000mで30mの高低差という急な坂道がおよそ30kmも連続していますが)ので、かつてのような峠に挑む姿は遠い記憶の彼方に消えてしましました。鉄道の代わりを果たしているバスは、どのような様子で走っているのか気にはなっていましたが、2019年の5月にその機会を得ました。横川から軽井沢に向かうバスのレポートです。

現在の横川駅の姿。ここから鉄道ではなく、バスで碓氷峠を越えます。

横川駅停留所はJR横川駅と鉄道テーマパークの「碓氷峠鉄道文化むら」との間にあります。かつての大動脈区間を走るバスですから、大きなターミナルを想像していましたが、普通のバス乗り場でした。しかも平日・土休日ともに1日7往復に減便されていました。運賃 おとな 510円、こども260円で、現金払いのみです。電子マネーは使えませんので、ご注意を。ルートは横川駅~軽井沢駅を碓氷バイパス経由で、34分ほどで結びます。連休中の休日でもあったので、乗り切れなかったらどうしようと思いましたが、発車10分前でも15名くらいのお客さんしかいませんでした。それでも出発時刻になると、観光バス仕様のバスはほぼ満席でした。私は、最前列のシートに座れたので、風景をじっくり見ることにしました。そして、この日はバイパスが渋滞しているので、旧道経由で行くというアナウンスが運転手からありました。ますます、本来の碓氷峠を感じられそうです。

横川駅のバスロータリーのある場所はかつての線路の上。

バスは横川駅停留所を14時5分に発車すると交差点を右折して、右手に碓氷峠鉄道文化むらを眺めながら国道18号線を走ります。往年の名車たちが道路からもよく見えます。少し走ると、バスは坂本宿の中を走ります。車内放送でも、坂本宿の説明が流れます。坂本宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて十七番目の宿場で、江戸時代には東海道の箱根関所、中山道の福島関所とともに重要な関所とされたそうです。中山道有数の難所、碓氷峠の東の入口にあたり、本陣と脇本陣合わせて4軒、旅籠は最盛期には40軒があった、比較的大きな宿場であったようです。現在もその面影は残り、道には水路が流れていました。

中山道の宿場町を走る。水路には澄んだ水が流れていました。

バスは徐々に山の中に入っていきます。道路の左側には「ここから碓氷峠」という看板がありました。とはいえ、坂本の宿場町を抜ける坂道と勾配は変わらず、です。次に左手には碓氷湖が見えてきます。碓氷湖を形成するのは、実はダム(坂本ダム)で本来は1958年(昭和33年)度に建設省(現・国土交通省)による砂防事業の一環として建設された、高さ28.5メートルの砂防ダムです。その後、補強工事や周遊道路工事を経て、1994年(平成6年)度に完成したそうです。
道路は行きかう車もどんどん増えてきました。カーブでの対向はかなりきつく、バスもめいっぱいスピードを落とし、対向車が待つ中を、ゆっくりと曲がっていきます。

眼鏡橋が見えてきました。

そして車窓右前方に、突然という感じでレンガの巨大な橋が見えてきます。これが碓氷第三橋梁、通称めがね橋です。1893年(明治26年)に竣工、その後は信越本線の電化を経て1963年(昭和38年)に新線が建設され、アプト式鉄道が廃止されるまで使用されました。全長91 m、川底からの高さ31 m、使用されたレンガは約200万個!現存するレンガ造りの橋の中では国内最大規模です。1993年(平成5年)には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定されました。現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道「アプトの道」になっています。

下を歩く人と比べても大きさがわかります。巨大な遺構。

さすがに車内からもカメラを向ける人が多く見られました。この橋は観光スポットとしても有名なため、観光客も多く見られました。眼鏡橋を過ぎたところに観光客用の駐車場があるため、この辺りは交通量も多く、横川に向かう車も渋滞していましたが、そこを過ぎると交通量は減りました。バスはカーブで止まり、対向車と行きかい、また走るの繰り返しです。カーブがきつくなり、バスは曲がるというより、直進でつっこみ、切り返して進む、といった動作になりました。

崖に突っ込むようにして直角に切り返し、バスは進みます。

対向車のナンバーを見ていると、群馬や長野の車は焦らず、慣れたものでしたが、首都圏や関西の車は運転手の緊張した顔がわかりました。また、歩行者や自転車も多く見かけました。こんな勾配を!と思いましたが、自転車好きの友人に聞いたところによると、平均して体感で5%程度で時々7~8%になることがあるくらいだそうで、実は意外に快適に登りきることができるそうです。登山客もまた、斜面に生えた木が日差しをさえぎってくれるので、晴れた日には木漏れ日を感じながら、気持ちよく登っていくことができるようです。

とはいえ、いったいいつになったら軽井沢につくのだろう?峠を下る道にそろそろ入るのだろうか?と思っていたら、意外とあっさりと視界が変わり、軽井沢到着のアナウンスが流れました。
車窓左手に新幹線の架線が見え、かつての信越本線の軽井沢駅の朽ちたホームが見えてきました。急に華やかな観光客や、建物が増え、14時55分に軽井沢駅に到着しました。

線路もはがされ、人気の消えたかつての軽井沢駅ホーム。奥は新幹線のホーム。

こうして、久しぶりの碓氷峠をバスで越えることになりました。一番感じたことは、運転手さんの大変な姿。特に旧道だったので、大変さがよくわかりました。旧道になれない車を相手に、大きなバスのハンドルを懸命に回す姿は、胸を打たれました。雨の日も、雪の日も、動脈を支えるべく運転の苦労をされているのを垣間見た感じがしました。それにしても、宿場町、レンガのアーチ橋、新線の廃線跡、新幹線の姿。時を超えた交通の難所に挑む姿を一度に見られるこのコース、感慨深いものでした。

 

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