日本の鉄道博物館訪問シリーズ 第11回  京都鉄道博物館その4 機関車・気動車・貨車編〈17/38TFU03〉

今回は、電気機関車・ディーゼル機関車・気動車や貨車などの車輛たちを紹介します。華やかな特急電車やSLの陰にあって、今一つ存在が薄いようですが、ドラマたっぷりの車輛たち。もちろん、日本でもここだけの名車も。しかもその展示方法にもこだわりや工夫が!みどころ満載でした。

EF52 1

綺麗に整備されて、美しい姿の電気機関車です。筆者は、この機関車に会うのも楽しみにしていました。この機関車を知ったのは、筆者が1973年の交友社の「鉄道ファン」の誌上で見たときでした。当時はまだSLがかろうじて走っていた時代。その中にあって、武骨なEF52のカラー写真をみた衝撃は、いまでも覚えています。かつては東海道本線で客車牽引に活躍したのに、先述の80系電車の登場で中央本線に転じました。ただこの機関車、けん引力は強いのですが、足が遅い(定格速度52㌔メートル)ので、今一つ目立たない存在でした。しかし、武骨なスタイルは魅力満点。なんとデッキにも立つことができます。
車歴は製造が1928年日立製作所、新製配置は国府津。 1932年東京その後も沼津や東京の移動をくりかえし、 1968年に竜華。廃車は1973年1月でした。ちなみに筆者が衝撃を受けた鉄道ファンでの記事のタイトルが「古武士のようなEF52形」でした。古武士は綺麗に汚れを落とし、貫禄ある姿で展示されています。

EF65 1

製造は1965年。新製配置は吹田第二。廃車は1978年。
ブルートレイン車両やトワイライトエキスプレスと並んで展示されていますが、地味な感じは否めません。貨物専用機として活躍したこの車両、華やかな活躍はないのですが、大動脈の東海道・山陽の線路で黙々と活躍しました。
どうせなら、コンテナ列車をつなげて展示すれば、貨物機としての活躍がイメージができるかもしれませんね。

EF66 35

なによりもこの展示方法が斬新です。現役時代には見ることのなかった床下が、下から見られるのです。力強いこの機関車のモーターもしっかり見られます。
この機関車は国鉄末期にブルートレイン牽引機に抜擢された後、JR貨物に移りました。足回りの色はそれに伴って、ブルトレ時代は明るいグレー、貨物時代は濃いグレーでした。
今回の展示は濃いグレーにしてありますが、モーター1台は明るいグレーに塗ってあります。

DD51 756

EF66と同様に、高さ1.4メートルの台上に乗り、台車の下に潜り込むと、変速機などがライトアップされています。この機関車の特徴は、運転台の窓が運転士側がワイパー、助手席側が旋回窓になっている点です。この機関車の歴史の中で、新潟地区に配置された際に雪国用の旋回窓に改造されましたが、その後の門司機関区配置の際はワイパーに改造されたためです。ただ、門司に配置されたころは機関助手が乗務しない時代。片方はそのまま残した、というわけです。

DD54 33

日本で唯一の保存車両。日本離れしたスタイルで見た目はスマートなのですが、実際は「失敗作」とまで言われたかわいそうな機関車です。
液体式ディーゼル機関車の先進国であった西ドイツ(当時)のメーカーからライセンス供与を受けて技術を導入、参考にしてDD91形が試作製造されました。これを基本としたディーゼル機関車が量産されることとなり、DD54が設計されました。ただ実際の運用に入ると、トラブルを頻発させていた。そのためいずれの車両も法定耐用年数(18年)を終えず、失敗機関車との烙印を押され、早々に姿を消してしまいました。この33号機は最後まで使用された4両中の1両で、米子機関区配置時代に特急「出雲」牽引機に指定されました。
製造は1971年三菱重工業。新製配置は米子。1974年に福知山に移動。1978年の廃車です。
足回り、特に特徴ある1軸の中間台車が見られないのが残念!

キハ81 3

この車両も日本で唯一ここだけでしか見られません。独特のボンネット形デザインから「ブルドッグ」のニックネームを持つ車両です。1960年、鉄道界と沿線の注目のうちに運転を開始しましたが、実は故障が続出しました。あまりのトラブル続出により利用者からは不評を買い、マスコミからも揶揄されたほどでした。この車両は、はつかり→つばさ→いなほ→くろしお の4特急に使用されました。当時の東北本線はタブレット区間があるため、電車特急のような高運転台にはできなかったといいます。確かに、ボンネット特急電車に比べると、中途半端な高さに運転台があり、タブレットキャッチャー跡の位置からしても納得です。
1978年の廃車。

ヨ5008とワム7055

車掌車ヨ5000形は製造年が 1959年。コンテナ特急の車掌車です。ワム3500形有蓋車は製造年がなんと1917年。鉄道の歴史を語る上でも、欠かせない貨車たちです。

また、トワイライトプラザと名付けられたエリアは、旧京都駅の1番線にあったホームの上家がかかっています。これは大正天皇即位の礼に建設された由緒ある構造物です。その下に並ぶ機関車たちも圧倒的な存在感を誇っています。

EF58 150

製造は1958年東芝製 。新製配置は 宮原、以来1986年の廃車まで他区に移動することなくずっと関西で過ごした機関車です。ブルートレインの牽引から荷物列車、イベント列車など様々な列車の写真で目にする機関車でした。国鉄からJRに移行する直前の昭和62年、国鉄標準色の「ぶどう色2号」にもなりましたが、やはりブルーのほうが馴染みがあります。静態保存機も含めて唯一の原形小窓機として、美しい姿を今に伝えています。

EF81 103

トワイライトエクスプレスの牽引機(トワ釜)。運行廃止が決まると、保存の声が多く寄せられ、その中で選ばれました。この機関車は日立製作所で1974年に落成,敦賀第二機関区に新製配置されました。その後,84年に富山第二機関区に転属しましたが,86年の敦賀運転所への再配置により戻っています。89年にトワイライトエクスプレス.運転用として,鷹取工場にて本塗色に変更され,さらに1991年に鷹取工場にて連結器の密着式自動化工事を受けています。ヘッドマークが欲しい!と思うのは、私だけでしょうか。

【講評】
何から何まで想像以上でした。広さ、見やすさ。車両の美しい保存状態も、また展示方法も珍しく、見ていて飽きません。筆者はこの日はほぼ開館から閉館までいましたが、見つくしていません。訪れていないエリアも展示物もまだまだありました。明るい館内は、写真がきれいに撮れます。以前お伝えした「てっぱく」は、薄暗いのが難点ですが、ここでは写真がうまくなった気がします。扇型の機関庫もいつまでも大切に保存されてほしいもの。時折、車内を公開したり、機関庫も車両を引き出したりと、変化にとんだ展示を企画しているのも楽しいです。今後の展開も大いに期待できそうな、京都鉄道博物館。最高でした。

【勝手に採点】  ※ 満点は☆が5つ
行きやすさ                 ☆☆☆☆☆
車両の見やすさ               ☆☆☆☆☆
保存状態                  ☆☆☆☆☆
貴重な車両の多さ              ☆☆☆☆☆
鉄道知らない人でも楽しめる度        ☆☆☆☆☆
また行ってみたい度             ☆☆☆☆☆

【開館時間】

開館時間:10:00~17:30
入館料: 大人1,200円  大学生・高校生1,000円  中学生・小学生500円 幼児200円
休館日:毎週水曜日、年末年始(12/30~1/1)

アクセス:鉄道なら、2019年3月16日 京都鉄道博物館の目の前にJRの新駅「梅小路京都西駅」が開業したのでそれを利用すると便利。駅も綺麗です。また、バスなら鉄道博物館行きは86、88系統と103,104,110系統を利用すると鉄道博物館までは10分~15分。バスは頻繁に出ています。天気が良ければ歩いても、20分くらいです。

 

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