【歴史雑学】どっちが勝ったの? 関ケ原 〈1647JKI11〉

司馬遼太郎の『坂の上の雲』では、この様な戦況図を観た(明治初期の)陸軍大学校教官のメッケル少佐(ドイツから派遣された軍人で当時の同国における軍略・戦術の権威、後に陸軍少将)は、たちどころに西軍=豊臣軍の勝利だと判定したと描かれています。
勿論そこには、徳川家康の巧みな政略により多くの武将たちの裏切り行為が行われた事実は加味していない訳であり、また武将の指揮能力やその家臣団の戦闘力に関する知見は交えず、純粋に地政学的な見地と兵力差や布陣の妙から判断したものでした。
まぁ、たしかにそうでしょうネ。松尾山の小早川軍と南宮山の毛利勢に襲い掛かられたら、東軍=徳川軍はひとたまりもないでしょうから。
ギリギリの線で勝利を得た家康からすると、必ず呼応するとは限らない小早川の弱虫小僧に、まさしく食えないヤツとも云える吉川広家のことですから、最後の最後まで薄氷を踏む思いであったことは間違いないでしょう。
尚、最近の研究では、西軍=豊臣軍の配置については多くの疑問が呈されている様です。未だ確証は得られていませんが、その布陣についてはこの図の様な鶴翼系よりも、より縦深を意識した形だったとの説も出てきている様です‥。
〈終〉

 
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