【六文銭の旗のもと】 真田十勇士(1) 猿飛佐助、参上!! (併せて三好清海入道・三好伊三入道・望月六郎・根津甚八を紹介)〈2354JKI28〉

幸村3ダウンロード既にご存知の方も多いだろうが、2016年のNHK大河ドラマは真田幸村(信繁)を主人公とした堺雅人・主演、三谷幸喜・脚本の『真田丸(さなだまる)』と決まっている。

そこで、しばらく真田幸村と彼の一族・郎党にまつわる話をさせてもらおうと思う。そのシリーズ第一回目として、最近では漫画やアニメで大活躍の真田十勇士を取り上げることにする・・・。

 

「真田十勇士」とは

「真田十勇士」といえば、昔ならば、その活躍の舞台は講談の世界であったが、昨今では漫画やアニメの中で有名人となっている。

講談本(講談を速記して本にして出版したもの)の立川文庫などでは、猿飛佐助や霧隠才蔵などが代表的なヒーローであり、かつては彼らの活躍する物語が大いに人気を博した。

もちろん、佐助や才蔵は架空の人物だが、そのモデルとなった忍びの者(例えば真田氏の勢力下の吾妻忍者など)がいた可能性は否定できない。物語の中の様な超人的な能力を持ち、人々が驚くような異形の姿をしていたとも思えぬが、幸村を支え盛り立てる、忠誠心に篤い家来衆がいたに相違ない。尚、一部(海野、望月、禰津など)は歴史的な由来を持つ者とも云われる。

真田三代の発祥地の近辺は峻嶮な山岳地帯であり、修験道が盛んであった。また近隣の地侍の多くも修験道に励んでいたという。

現実の歴史においては、幸村の祖父の幸隆の時代、真田忍軍の統率にあたったとされるのは修験者であった千蔵坊こと来福寺左京であり、忍者集団の育成はついては、武士ながら忍術に長けていた出浦対馬守盛清が担当したとされる。

その後の幸村の父である昌幸の代においては、割田勝重と唐沢玄蕃が有名な真田の忍者といえよう。勝重は忍術に関しては古今無双と云われ、変装して敵陣に潜入してまんまと敵将・松田尾張守の名馬を盗んできたり、また玄蕃は吾妻七騎と謳われた地侍で、格別に跳躍術と火薬の扱いに優れていたと云う。

玄蕃は昌幸の命令で、九尺もの塀を飛び越えて尻高城に侵入し爆破しただけではなく、城主中山安芸守の秘蔵の金の馬鎧を無断でくすねてきたりもしている。

間違いなく、講談の世界の十勇士の活躍を彷彿とさせるエピソードばかりである。

「十勇士」前半の5名を順次紹介

もともとは江戸時代の軍記物語『真田三代記』(「「校訂真田三代記」「真田三代実記」など)から派生して十勇士や猿飛佐助の活躍する講談が生まれたとされるが、立川文庫の諸作品での十勇士のメンバー構成は、猿飛佐助、霧隠才蔵、三好清海入道、三好伊三入道、穴山小介(小助)、由利鎌之助、筧十蔵、海野六郎、根津甚八、望月六郎の十人となっている。しかし、作品によっては多少人選に変化があるようだ。

そこで立川文庫バージョンの十勇士をこれから順次紹介するのだが、十人を一度に紹介するのは大変なので、半分に分けて五人づつ紹介していこう。

■猿飛 佐助

猿飛佐助(さるとび さすけ)は、真田十勇士の中でも抜群の実力と人気を持つリーダー役。架空の忍者であるが、後述の上月佐助、三雲佐助賢春などがモデルとされている。

立川文庫での記述では、信濃の山岳道(真田道)、鳥居峠の麓に住む鷲尾佐太夫という郷士(元は森長可の家臣)の倅で本名は井辺武助。戸隠の山の中で猿と遊んでいたところを、戸澤白雲斎に見出されてその弟子となったとされている。もちろん、実際の歴史でも鳥居峠一帯や佐助が修行をしたという角間渓谷付近は真田家の支配下にあった。

15歳の時、猪狩りに鳥居峠を訪れた真田幸村にその忍術を認められ、名も幸吉(ゆきよし)と名付けられ、家臣となった。

身軽さに加えて得意技の一つには、手印を結び姿を隠して行動することができた。

いよいよ徳川方との決戦が間近になると、幸村の命で天下の情勢を探索するために、三好清海入道と連れだって諸国漫遊? の旅に出る。

東海道を下り、家康のいる駿府城や秀忠のいる江戸城に忍び込み、徳川家の内情を探ったり地雷火を仕掛けて敵を混乱に陥れたりした。また物語の白眉としては、京都・南禅寺の山門を棲家とする盗賊・石川五右衛門との術比べは有名だ。

猿飛佐助は、女性や子どもなどの弱きを助け、山賊などの強きを挫き懲らしめる正義の味方の代名詞でもあった。

講談では、大坂夏の陣で徳川方に敗れた後、幸村と共に豊臣秀頼を守って薩摩に落ちのびたとされている。

物語で佐助は、師匠の流派が甲賀流だったことと、ライバル霧隠才蔵との対比から甲賀流の忍者とされているが、筆者は本当は甲賀流を汲んだ戸隠流の忍者だと考えたいし、その方が真田の配下の特殊部隊の隊長としてはすんなりと受け入れ易い。

ところが戸隠流は、伊賀流を取り入れて確立されたとされるため、佐助が戸隠流では、まさしく才蔵と同じ流派となり差別化が難しくなってしまう。そこで佐助は甲賀流忍者とされたのではないか。しかし先に触れたように、地勢学的にも、戸隠の里は真田家の勢力が及ぶ範囲であったことから、戸隠流の忍者が真田家に仕えたことは容易に頷けるのだ。もちろん、傭兵として伊賀・甲賀の忍者が諸国の大名に雇われることはごく普通のことだが、信頼の篤い重要な臣下であれば自家の勢力下の地域から選ばれるのではないかと思う。 フィクションに目くじらたてることはないが、昔から気になる点である。

実在説に関しては、伊賀下忍・下柘植ノ木猿の本名が上月佐助である事から、彼が猿飛佐助のモデルではないか、との説がある。これについては、大坂夏の陣の後、徳川家康の命令で服部半蔵宗家が伊賀の柘植野を激しく攻撃しており、上月佐助が幸村に加担していたことへの報復をうかがわせる。

他には、作家の司馬遼太郎が小説『風神の門』において岡本良一の説を紹介しており、『淡海故録』および『茗渓事蹟』を出典として、「三雲新左衛門賢持の子、三雲佐助賢春が猿飛佐助である」との実在説を披露している。

■三好清海入道

三好清海入道(みよし せいかい にゅうどう)は、立川文庫の設定では出羽国亀田城の領主三好六郎の長男で、実家が落城後、縁あって真田家に仕えた破戒僧である。

講談本では、18貫(67kg以上)もの鉄棒(樫の棒とも)を軽々と振り回す50人力の怪人。十勇士の中では、怪力無双ではあるが大酒のみで、時としてはヘマもするが、なかなか愛嬌があって憎めぬキャラクターの人気者だ。

最後は、家康の爆殺を狙うが失敗し馬上で切腹、自分の首を刀で掻き落とし壮絶な最後を遂げる。

一説には、この清海入道のモデルは大坂の陣において豊臣方で討死した三好青海=三好政康ではと考えられているが、政康が三好青海であることを証明する資料はなく、極めて信憑性は低い。またこのことに連動して、政康の弟の三好政勝(為三)が青海入道の弟、伊三入道のモデルとされるが、実際には徳川秀忠の御咄衆であり、幸村とは関係がない。

なお、幸村と側室・隆清院(豊臣秀次の娘で、三好吉房の孫)の間に生まれた三好幸信は父の死後、亀田藩に仕えており、この様な様々な情報がミックスされて『真田三代記』のキャラ設定に影響していると云われている。

■三好伊三入道

三好伊三入道(みよし いさ にゅうどう)は、上述の清海入道の実弟とされる。物語では、石突のついた大槍を振るう豪傑として描かれている。

兄と共に家康殺害に失敗、「落ち行けば地獄の釜を踏み破り、あほう羅刹に事を欠かさん」との辞世の句を詠み、太刀を口に咥えて馬上から逆さに飛び降り絶命した。

■望月 六郎

望月六郎(もちづき ろくろう)は、『真田三代記』では望月卯左衛門幸忠として登場する。望月氏は滋野三家の一つで、真田家とは遠縁の同族にあたり、修験者を組織化した甲斐武田家の諜報組織の核であった。尚、望月家は甲賀流の上忍53家の1つでもある。

実在のモデルとしては、望月宇右衛門や望月甚左衛門、望月卯兵衛、望月卯左衛門幸忠など(同じ人物の異名との説も含めて)諸説があるが、最終的には望月村雄(むらかつ)として実際の歴史上の資料にも足跡を残しており、ほぼ間違いなく実在の人物と云われている。尚、父親の太郎左衛門は幸村の祖父、幸隆の重臣であったという。

物語で、九度山配流中の幸村は十勇士を天下の情勢を探索させるために送り出すが、望月六郎は真田屋敷の留守居役であったため、終始、幸村と行動を共にし、得意の爆弾の製造に従事した。
大坂夏の陣では、根津甚八らとともに幸村の七騎の影武者のひとりとして奮戦するが、最後は大軍に囲まれ自刃する。

史実では、大坂の陣においては幸村の嫡男・大助幸昌配下で活躍したと伝えられている。また、大助に殉死したという説もあるが真相は不明だ。

■根津甚八

根津甚八(ねづ じんぱち)も、滋野三家(海野・禰津・望月)の禰津家の出だとすれば幸村の同族となる。実在のモデルについては、禰津小六貞盛や浅井井頼だったという説があるが、特に後者は疑わしいとされている。また禰津氏は諏訪神党に属する神氏であることから、その名を根津神八とする事もある。

物語では、父親と一緒に禰津家から出て海賊に身を投じた甚八だが、やがてその首領にまでなり、当然だが、水軍の指揮に長けていたとされる。
その後、幸村が秀吉から九鬼水軍の情勢を探ることを命じられて熊野灘に赴いた際に出会い、以来、家臣となった。

関ヶ原や大坂冬・夏の陣でも大活躍するが、最後は前述の望月六郎らとともに影武者として討死する。(『真田三代記』と立川文庫では筋立てが異なる)

 

残りの五人は、 真田十勇士(2)で紹介の予定だ。その後は、史実に即して幸村(信繁)や父の昌幸、兄の信之、そして祖父の幸隆(幸綱)などを順に紹介していくつもりだ。

また一次二次の上田城攻防戦や大阪冬・夏の陣等についても順次、取り上げていきたいと考えている。乞うご期待といったところだ。

-終-

【六文銭の旗のもと】 真田十勇士(2) 霧隠才蔵、見参!!・・・はこちらから

 

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