【ロンサム・ディテクティブの事件簿 -1】 アガサ・クリスティ失踪事件を追う!! 〈248JKI28〉

クリスティ20f8bdd5a6ba62508821b3d79cbb104faミステリというか本格ものの推理小説のファンならば、この事件について一度くらいは聞いたことがあるだろう。自身、謎の事件(ミステリ)を著述する側の作家が事件に巻き込まれた、相当に稀有な事件だ。

90年近くも前のことだが、現実に起きた事件である・・・そして未だに未解決、と云える事件だ!!

 

Kijidasu! 初見参の、いずみ“ガッテム”将哉だ、よろしく。 しばらくはミステリにまつわる記事を紹介していくので期待してくれ! では早速、事件簿の開帳だ・・・。

諸君も、 名探偵ポワロやミス・マープルを生んだミステリ作家、アガサ・クリスティ女史のことはご存知だろう。彼女は、発表した推理小説の多くが世界的なベストセラーとなり、20世紀を代表するミステリ作家として、半世紀以上の長きにわたって活躍した。

アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie, DBE)旧姓: ミラー (Miller)は、1890年9月15日に生まれたイギリスのミステリ作家である。

「ミステリーの女王」とも呼ばれ、英国ミステリ作家のクラブであるディテクション・クラブの第4代会長を務めた。

1920年に『スタイルズ荘の怪事件』を発表して以来、最後の発表作『スリーピング・マーダー』(1976年)にいたるまで、85歳で亡くなるまでに長編小説66作、中短編を156作、戯曲15作、アガサ・クリスティ・マローワン名義の作品が二つ、その他3作を執筆している。別名であるメアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名義でも六つの小説(推理小説以外のロマンス小説)がある。

その著書は全世界で翻訳されていて、発行された彼女の書籍の合計は10億冊以上と推定されている。これは「聖書とシェイクスピアに次ぐもの」とされ、間違いなく世界中で最も読まれたミステリー作家なのだ。

作品はほとんどが生前に発表されているが、中でも『アクロイド殺し』(1926年)、『オリエント急行の殺人』(1934年)、『ABC殺人事件』(1936年)、『メソポタミアの殺人』(1936年)、『そして誰もいなくなった』(1939年)などは21世紀となった今でも版を重ねている人気作品である。

また彼女が創造した代表的な名探偵は、『アクロイド殺し』や『ABC殺人事件』、『オリエント急行の殺人』等のエルキュール・ポアロ、『牧師館の殺人』(1930年)、『予告殺人』(1950年)などのミス・マープル、そしてパーカー・パインやトミーとタペンスといったところだろうか。

イギリスの保養地として知られるデヴォン州のトーキーに生まれ、正規の学校には通わずに教育は母親から受けて育った。そして幼い頃から姉の影響でミステリーにも親しんでいたらしく、その後、第一次大戦中に病院勤務をしていた時に、かつての読書体験や病院勤務の経験を活かしてミステリーを書こうと決心したという。

もっとも彼女の作家生活はデビュー当初から上手くいっていた訳ではなく、処女作『スタイルズ荘の怪事件』は6社もの出版社に断られ、7社目にしてようやく刊行にこぎつけたという苦労話も伝わっている。

名探偵ポアロが活躍する第3作の『アクロイド殺し』を発表した直後に、後述の今でも謎に包まれている失踪事件を引き起こし、そしてほどなく最初の夫アーチボルド・クリスティと離婚をすることになる。この頃は精神的に極めて不安定な時期だった様だ。

その後はミステリ作家として代表作を次々に発表していくことになる彼女だが、特に1930年に考古学者のマックス・マローワンと再婚してからは、精神的な安定と安寧な生活を得たのか、『オリエント急行の殺人』『ABC殺人事件』『そして誰もいなくなった』をはじめとする傑作を世に次々に送り出している。

晩年になると毎年一作品をクリスマスに合わせて発表するようになり、クリスマスの日にクリスティーの作品を読むことはイギリス人の恒例行事だったという。

我が国においてもその作品は古くから親しまれていて、ほぼすべての作品が翻訳・刊行されてきた。また2003年には全100冊となる”クリスティー文庫”が早川書房から刊行されている。

彼女は、1926年12月3日に自宅を出たまま行方不明となった。これがミステリ界に名を残す謎の失踪事件、すなわち” Agatha Eleven Missing(アガサ・クリスティ11日間の失踪)” である。

12月3日(金)の夜、アガサ・クリスティ(当時36歳)の秘書(娘の家庭教師も兼任)であったシャーロットは、ダンスパーティーからロンドン近郊の田園都市サニングデールにあるスタイルズ荘(アガサの自宅)に帰宅した。すると夜遅くだというのにメイド達ちが台所でおろおろしている。聞けばアガサが午後9時45分頃に、行き先も告げずに車で出かけてしまったのだという。

当時、アガサ・クリスティはミステリ作家として売り出し中であり、同年に発表した『アクロイド殺し』の売れ行きが好調で、一流作家の仲間入りを果たそうとしていた時期だった。

片や、年下の夫の元空軍大佐アーチボルド(アーチー)・クリスティは退役後、金融関係のビジネスに挑戦したものの思うような成果を上げられず、作家として売り出し中の妻と自らを比較しては自尊心を傷つけられる日々を送っていたようだ。そんな最中(さなか)、夫は地元のゴルフクラブでナンシー・ニールという10歳年下の女性に出会って不倫関係となる。

1926年早春のアガサの母の死後、アガサは塞ぎこむようになり、夫婦仲に亀裂が入りはじめる。その年の夏、既に愛人をつくっていた夫から離婚の申し出があったが、しかし生まれていた子供(当時7歳の一人娘のロザリンド)のこともあって、一旦ふたりは一緒の生活を継続することにしたが、やはり簡単には上手くいかず、夫婦は大きな危機に陥っていた。

シャーロットは主(あるじ)であるアガサとその夫の不和についても承知しており、いろいろと心配した彼女は徹夜でアガサの帰りを待ったが、その日、彼女が帰ってくることはなかった。

 

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