【ロンサム・ディテクティブの事件簿 -1】 アガサ・クリスティ失踪事件を追う!! 〈248JKI28〉

4日(土)の朝8時過ぎに、サリー州ギルフォード郊外の道路脇で、斜面を滑り落ちてライトを点けたままのアガサの車が草むらのなかで発見された。

彼女の姿は無く、毛皮のコートや衣服の入ったスーツケース、開けられたままの化粧鞄、そして彼女の運転免許証が残されていた。あらゆる物的証拠が、自殺を含めなんらかの事件にアガサが巻き込まれた可能性を示していた。

11時頃にはサリー州警察本部に事故の一報が入り、初動捜索が始まった。翌5日には本格的な捜索が開始され、同日夜にはアガサの失踪を知らせる速報記事が新聞に掲載された。そして月曜日の新聞は警察当局の発表を大々的に掲載し、世間は大騒ぎとなった。
アガサの自宅近くの「サイレント・プール」と呼ばれる沼地は、彼女が過去に作品のなかで死体を浮かばせたこともあって、集中的に捜索が行われたが何も見つからない。他にも数多くの目撃情報が警察や新聞社に入るが、どれもこれも混乱を生むだけだった。

気鋭のミステリ作家の失踪は、スキャンダルに飢えていたマスコミにとって格好の餌食となり、報道合戦はどんどんと過熱していった。先ず最初に疑われたのは夫のアーチーだった。取材はアガサの家族や親しい友人、そして使用人に対しても執拗に行われ、夫の浮気とクリスティ夫妻の危機に瀕した関係が白日の下に晒されてしまった。
また、ある新聞社は情報提供に懸賞金を出し、事件発生から1週間後の週末には、一獲千金を狙う1万5千人もの捜索者が近隣の街に集まった。更に、彼女の失踪事件の報道は、大西洋を越えてニューヨーク・タイムズ紙の一面をも飾ったという。ちなみに当時、オカルト趣味があったコナン・ドイルは、クリスティー発見の望みをかけて彼女の手袋を霊媒師のところに持ち込んだといわれている。
警察も当然、夫を疑う。電話はもちろん盗聴され、自宅は完全に監視下に置かれた。しかし、肝心な捜査は思うように進まず、12月12日のおよそ1,500人以上を動員した大捜索でも成果は得られなかった。そして、このまま事件は迷宮入りするかと思われた・・・。

失踪から11日後の12月14日、事件はあっけなく解決する。ヨークシャーのハロゲート・ハイドロパシック・ホテル(ロンドンから北へ250kmほどの高級ホテル)から、滞在中のテレサ・ニールと名乗る女性客がアガサらしいとの一報が入ったのである。 因みに夫の浮気相手の姓もニールだっとことを思い出してほしい。

警察とアーチー、そしてどこからか情報を嗅ぎつけた新聞記者達ちはホテルに急行した。そこでアーチーが確認すると、テレサ・ニールと名乗る女性はまぎれもなくアガサその人に間違いなかった。

夫妻は二人だけで会話を交わし、翌日、アーチーはアガサを連れて、人目を避けるように自宅に逃げ帰るのだ。その後、アーチーは次のような声明を発表した。
「彼女は完全に記憶を失っており、自分が誰であるかもわからない状態です。私のこともわからない様子ですし、何故ハロゲートにいたのかということすらわかっていないのです……」
つまり、アガサがストレスと自動車事故のため一時的な記憶喪失に陥っていたと強調して幕引きを図ろうとした。

しかし当時のマスコミも世論も、アガサに厳しかった。彼女の失踪は自身の作品の売り上げを伸ばすための売名行為か、または夫に恥をかかせ陥れるための狂言だったのだろうと評した。だが警察は母親の死と夫の浮気が引き起こしたストレスによる一時的な錯乱が引き起こした記憶喪失だと結論づけた。

その後間もなく、アガサとアーチー・クリスティの夫妻は離婚したが、離婚当時、既に多くの読者を獲得していた為、アガサ自身は作家名を変えることを希望したようだが、出版社の強い意向で、「アガサ・クリスティ」と名乗ることをそのまま継続したという。

やがてアガサは考古学者のマックス・マローワンと再婚して新たな生活を始める。そしてミステリ作家として絶頂期を迎えるのだが、しかしアガサは生涯この失踪事件の真実を口にはしなかった。1965年に発表した自伝においても、事件について全く触れていない。そして1976年1月12日、アガサ・クリスティは風邪のため死去。失踪事件の謎を残したまま、85歳の生涯を終えた。

この事件の真相に関しては、いくつかの説がある。記憶喪失は本当だという説と、共謀者とともに夫をこらしめるために起こしたという計画説など、現在もその真相は謎に包まれたままだが、一般的には記憶喪失説を紹介したうえで疑問符をつけるのが通例となっている。尚、決定的に記憶喪失説が否定されていない理由は、一つにはアガサ本人がそう主張していることと、記憶喪失説を覆す決定的な証拠がなく、また完全に否定することが科学的に困難なことのためのようだ。

記憶喪失説では、単なる自動車事故による脳震盪が原因などではなく、彼女の場合は「ヒステリカル・フーガ」と呼ばれるものだという意見もある。この場合の「フーガ」とは遁走という意味で、極度のストレスや緊張、強迫観念、怒りなどの影響で記憶を失い、当人は意識せずに自分自身を否定して別の人格となるものだそうだ。

失踪事件では、よく姿を消してから数年ほど経って、他所の土地で別人を名乗って、他の仕事に就いていた末に発見されるケースなどがあるが、以前に何があったのか、どこからどうやって来たのかなど、本人はまったく記憶が無いということになる。

 

しかしながら、記憶喪失説を疑うべき事実は多くあり、先ずは失踪翌日、12月4日の午前3時から8時までの間に、アガサはアーチーの弟キャンベル宛てに手紙を出していることが判明している。その手紙には自分の行き先がハロゲート・ハイドロであることを示唆する文面が記載されていたという。またアガサは4日朝、ハロッズ百貨店にダイヤの指輪の修理を依頼し、7日にヨークシャーで受け取っているが、記憶を喪失している者には出来ない芸当だ。

そして発見時に、自宅を出発した時には所持していなかった300ポンドの現金を持ち、新しい衣服を身につけていたが、それらはどこでどう調達したのか? (この点については、「ホテルの滞在費用や発見時の衣服・所持品は、非常時のために常に身につけていたマネー・ベルトの現金からまかなった」と説明されている)更に、本当に記憶喪失ならば偽名などを名乗るハズはなく、自分の名を思い出そうと必死になるものであろう、というのだ。

 

計画説は、彼女は最初から何らかの意図の下に周到な準備をして失踪に及んだ、というものである。しかし、いずれにせよ夫の浮気問題に思い悩んだうえでの失踪という点で、根本原因は記憶喪失説とそう違いはないともいえる。

比較的具体性のある計画説(ジャレッド・ケイド説)は、アガサが義妹で親友でもあったナン・ワッツの協力を得て、アーチーを懲らしめるために共謀して失踪劇を仕組んだというものである。
その内容は、車で自宅を出たアガサはナンの家に一泊して必要な準備を整えてハロゲートに向かった。自分がハロゲートに向かった旨の手紙を残すことで、アーチーにすぐに自分の居場所がわかるようにしたつもりであったが、思いもよらぬ大騒動に発展しまったので、直ちには名乗り出られなくなってしまったのだという。この説は、非常に多くの疑問に納得いく回答を与える説なのだが、それ程は支持されていないという。

また計画説の異説として、この事件はアガサの売名行為だったとする説があるが、彼女の内気な性格を考慮すると、このような大胆な行為に及ぶとは考え難い。また、売名目的であれば、その後の完全なる沈黙が説明がつかない。

アガサがこの事件の結果、マスコミに追い回され、いろいろと追及されて心に深い傷を負ったことで、これ以降の彼女の内面世界には大きな変化があったといわれている。また、その後のマスコミ嫌いの原因も、この失踪事件とされる。

それはメアリ・ウェストマコット名義(現在はアガサ・クリスティ名義に変更)で書いたいくつかの小説に強く表れている。そこには、家族や親子間での行き違い、許されないことの辛さ、女性の孤独、愛することの傲慢さや残酷さといったことが巧みに表現されており、多くの女性読者の支持を集めた。特に『春にして君を離れ』(1944年)は世界中で高い評価を得ている。

尚、この失踪事件を題材にして独自の解釈でアガサをめぐる人間模様を描いた映画『アガサ 愛の失踪事件』が1979年に公開された。この映画は、事実をもとにしながらも独自のストーリーを展開したフィクションである。物語の後半で、失踪中のアガサ(ヴァネッサ・レッドグレーブ)に絡んでくるのが、ダスティン・ホフマン演じるアメリカ人ジャーナリストだった。ちなみに、夫のアーチーを演じるのはティモシー・ダルトンだ。

 

こうして真相は、永久に謎のままとなった。「ミステリーの女王」の謎の失踪事件。既にポワロもミス・マープルもいないことだし、謎は謎のままの方が良いのかも知れない・・・。

-終-

 

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