子供からお年寄りまで集まる公園。その中でもひときわ存在感が大きいのが乗り物でしょう。特に蒸気機関車は「SL公園」や「SL広場」などの名を今も残し、公園の中心的な存在になっているところもあります。しかしながら、その「保存」は千差万別のようです。
今回は蒸気機関車(SL)の様子をとりあげてみたいと思います。SLは1970年代前半に、鉄道の「電化」「無煙化」によって日本各地から消えゆく姿に鉄道ファンのみならず、社会現象のように話題になりました。引退したSLは、そのブームを残すように、各地の公園に引き取られていきました。SLに縁もゆかりもない市町村からも保存要望の声が上がり、大変な人気だったと聞きます。保存当初は話題にもなり、マスコミにとりあげられることもしばしばありました。子供たちの反応も大きくありました。なにしろ自分の家の近所の公園に、ある日突然、まるで憧れのヒーローが登場したように、大きな機関車が置かれたのですから。僕たちは公開の日を待ち遠しく思ったものです。公開直後、ピカピカに磨き上げられた機関車からは、塗りなおされたペンキの匂いや、油の匂い、そしてかすかに石炭の匂いもしました。そんなSLに会いたくて、公園に行くのがとても楽しみでした。ボールとバットを持って行っても、結局、日が暮れるまでSLの周りで遊んでいました。公園に置かれたばかりの頃は、機関車の運転台にも自由に入れました。運転席に座り、毎日「運転手さんごっこ」をして友達と席を奪い合ったものです。
だが、それから何年かすると、運転台のメーターが壊されたり部品が盗まれたりしました。さらに、窓ガラスが割られ、大人たちは「危ないから」と言って、僕たちは運転台に入れなくなってしまいました。機関車には近づけなくなり、ただ遠くから眺めているだけになりました。ピカピカだった外観も色あせてきて、そのうちに錆も目立つようになります。あんなにかっこよかったSLが、わびしい姿になっていきました。手入れをする人もいなくなり、汚いから見向きもされなくなり、朽ち果てていくだけでした。僕たちが大人になった頃、あちこちの公園から姿を消すSLが増えました。公園において雨ざらしのままで30年もたてば、最後は解体されてしまうのだなと仕方なく、でも、とても残念に感じたものです。
しかし、悲しいSLばかりではありません。保存会の人たちの入念な手入れで、現役時代の美しい姿を残すもの。一度は解体のピンチにあったけど、募金やボランティアの力で蘇ったもの。さらには、再びレールの上を走り出した幸せなもの。この10年くらいの間に「保存」に向けた目覚ましい動きが出ているようです。今回、画像で掲出した二つのSLは、いずれも1976年3月に国鉄を引退したもの。どちらも北海道を最後まで走っていたものです。ちなみに、上の画像は東京都東村山市の公園にあるSL。機関車の周りには柵がはられ、全く近寄れません。右のSLは群馬県利根郡川場村にあるSL。「ホテルSL」で、200メートルの長さの線路の上を圧縮した空気で走っています。あの懐かしい油の匂いのする運転台の中にも入れます。大切に保存されている姿に、子供の頃はじめて間近に見た日の思い出が蘇ってきます。
「保存」。次回からもあちこちの公園で見かけるSLたちを、マニアでない方々にもわかりやすく、独自の視点で見比べながらとりあげていきます。
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