日本海海戦で我が連合艦隊と戦った、バルチック艦隊所属の帝政ロシアの巡洋艦『オーロラ(アヴローラ)』号が修復作業を受けることとなった。
第二次世界大戦後は主に、サンクトペテルブルクのネバ川に係留されて、博物館の施設として利用されていた。
日本海海戦やロシア革命に参加した後、かつては帝政ロシアの首都であり、モスクワに次ぐロシア第2の都市サンクト・ペテルブルク(ソ連時代はレニングラード)のネバ川の川岸で、1956年以降、博物館施設として係留されていた巡洋艦『オーロラ』号が27年ぶりに修理・改修されることになった。
彼女が修理の為のドックへ向けて係留場所を離れると、見物に集まった群衆からは大歓声が上がったそうだ。それだけ、歴史的価値のある艦艇だ、という認識はサンクト・ペテルブルクの市民にも深い。
『オーロラ』号はパルラーダ級防護巡洋艦3 隻の1 隻として、1897年5月2にサンクト・ペテルブルクのアドミラルティ造船所で起工、1900年には進水し1903年7月に就役した。
1905年5月の日本海海戦に参加し、バルチック艦隊の一員として我国の連合艦隊と交戦し『オーロラ』号も艦長が戦死するなど奮戦したが艦隊は撃破され、僚艦の『オレーク』号などと共に逃走した結果、フィリピンのマニラで抑留された。
1917年のロシア革命(十月革命)では、ボリシェヴィキ革命軍に占拠されて革命の切っ掛けとなる号砲を上げたことでも有名だが、最新の研究ではこのエピソードについては否定的な見解が多い。
その後、第2次世界大戦のドイツ軍とのレニングラード攻防戦では、砲塔は艦体から撤去して陸上砲台として使用され、『オーロラ』号自体は砲撃を受けて湾内に着底・擱座した。1944年7月には浮揚されたが、戦後、練習艦を経て退役し、1956年からは博物館となっていた。
因みに、艦名はローマ神話に登場する「アウロラ」のロシア語名が由来といわれている。
尚、『オーロラ』号は、ソ連時代の1927年11月2日に革命における勲功を称えられ赤旗勲章を、1968年2月22日には十月革命勲章を授与された。
また現在は、中央海軍博物館の分館であると同時に、ロシアの海軍に再配備されて現役軍艦籍の1位を占めている。
『オーロラ』号は9月2日、多くの曳船に付き添われ、ネバ川の係留地を出港した。ネバ川にかかる三つの跳ね橋は彼女の通過のために、この日は特別に開口されており、慎重に曳航されながら約40キロほど離れたドックに向かったという。同艦は修理・修繕の後、2016年にも再び博物館として公開される見通しだ。
【性能諸元】
排水量:常備排水量 6,731t
全長:126.8m
全幅:16.8m
吃水:7.3m
最大速力:19ノット
乗員:578名
主砲:152mm(45口径)単装速射砲×8門
副砲:75 mm(50口径)単装速射砲×24門
ホチキス 37mm(23口径)機関砲×8門
魚雷発射管:38.1cm×3門
(1903年時点の武装)
横須賀に記念艦の戦艦『三笠』が係留されているが、『オーロラ』も同様のフネだな。歴史的な遺物として、是非、大事に保存して欲しい。
-終-
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