御嶽山の噴火で改めて知る火山大国、日本の実情について、調べてみました。
先ずは我が国最高峰の富士山から。
昔は休火山だと教えられたものですが、最近では歴(れっき)とした活火山である、とされています・・・。
御嶽山の噴火と富士山の状況
先月(9月)発生した、御嶽山(おんたけさん)の爆発・噴火は、秋の紅葉シーズンを楽しんでいた多数の登山者の命を奪うことになりましたが、このことを受けて、富士山の避難体制を不安視する意見や対策強化を求める提案が多数表明されています。
実は、富士山も御嶽山と同様にいつ突然噴火するか解からない状態に置かれており、多い日には一日に1万人以上(直近5年間における富士山の一日の最多登山者数は約8,800人~約12,500人で推移、環境省調べ)となる登山者を、安全に避難させる体制は充分に整っていないのが実情のようです。
日本列島の多くの活火山の中でも、万一噴火等が起きた場合、国民生活に影響が大きく今後の活動が注視されるのが富士山ですが、1707年に南海トラフの大地震(宝永地震)に連動して大規模な宝永噴火が発生して以来、約300年間以上にわたって静穏期が続いており、そろそろ次の噴火に向けてマグマが大量に充填されている可能性が高いのです。
富士山は形成されてから約10万年くらいで、国内の火山の中では比較的若いとされていますが、その歴史を通して、山頂や山腹などから噴火を繰り返しており、「噴火のデパート」と呼ぶ専門家もいる程なのです。
2011年3月の東日本大震災の影響とその直後に起きたM6.4の直下型地震を切っ掛けに、約300年の沈黙を経て富士山はいよいよ噴火再開への秒読み段階に入っている、という説が有力となってきました。
噴火の予知は困難
かつて火山の噴火は、地震に比べて予知しやすいとの説もありました。噴火の前には火山性微動の増加など、通常の地震以上に様々な前兆現象が観測されるからです。しかし、御嶽山の噴火を明確に予測することは出来ませんでした。
噴火当日の9月27日には、火山性微動が313回に急増。その4分の3にあたる約240回は噴火前後の2時間に発生したものでした。この短時間での急激な変化に気象庁も対応が間に合わず、その時、既に頂上付近にいた登山者に警告を発することはかないませんでした。
気象庁の担当者によると、当然ながら富士山に対しても山体の変動や地震の規模、震源の深さなどを細かく観測して、噴火の予兆を捉えるための活動は厳重に実施しているそうです。
しかし、富士山では1707年の宝永噴火以降は大規模な噴火は発生しておらず、実際の噴火のデータの蓄積が無いため、爆発や噴火の確実な予知は極めて困難だとのことです。
また今回の御嶽山の噴火について気象庁は、マグマの噴出によるものではなく、マグマが地下水を熱して起こる水蒸気爆発だと発表しました。
火山学者によると、富士山でも水蒸気爆発は起こり得るとのことで、水蒸気爆発の場合は、マグマの噴出に比べて地震や地表の膨張などの前兆が捉え難く、更に予知が難しいとされています。
火山活動の仕組み
火山の噴火とは、端的に言うと地下にある高温のマグマが地表に噴き出る現象のことです。
通常、火山の地下深くには直径数kmからそれ以上のマグマ溜りと呼ばれるマグマの塊が存在します。このマグマ溜りは、地下の更に深部からマグマの供給を得て少しずつ膨らんでいき、やがてはち切れる様にして噴火へと至ります。そして、噴火等の作用でマグマの量が減り、一旦収縮したマグマ溜りは、また徐々にマグマの量が増加して同じサイクルを繰り返すのです。
マグマ溜りからマグマが地上へと上昇してゆくプロセスには大きく三つのパターンがあるとされています。
まず最初は、深部からのマグマの度重なる供給によってマグマ溜りが満杯状態になり内部が極めて高圧となりマグマが溢れ出る場合。次に、周囲の地殻からの圧力によってマグマが押し出される場合。そして最後は、マグマ中に含有される揮発成分の分離(発泡)によって体積が膨張しマグマが爆発・溢れ出る場合です。
当然ながら富士山の山中にも、この様なマグマ溜りが存在し、火山活動の原因となっています。また富士山の地下周辺で観測される低周波地震は、マグマ溜りがあると推定されている位置に符合して発生しています。尚、流体化したマグマにより地震の波がゆっくりと伝わるため、火山地帯の場合は、地下の地震波速度の空間分布を詳しく調べ、地震波速度の遅い低周波地震の発生場所付近にマグマ溜まりがあると推定することが可能となっています。
過去の富士山の活動
過去の富士山の火山活動は大きく3つの時代に分けられています。一番古い時期は、小御岳(こみたけ)火山と呼ばれ、現在の富士山のある場所で10万年以前に活動していたものです。
二番目は、8万年くらい前から爆発的な噴火を繰り返して大きな山体を形成した古富士火山です。
最後は、1万年(5000年とする説もある)くらい以前から現在に至る新富士火山と呼ばれる活動期です。この新富士火山の噴火等の活動の特徴は、大量の火山灰や火山弾などの降下噴出物、溶岩、火砕流などの流出です。
有史以降、平安時代は特に火山活動が活発で、800年〜802年(延暦19年〜21年)には延暦の大噴火が発生しており、大量の火山灰を降らせたと日本後紀に記述があります。また864年(貞観8年)には貞観大噴火が起きて、山腹から大量の溶岩(青木が原溶岩)を流出して現在の樹海の原型を形成したとされます。
それ以降は比較的小規模な噴火程度の穏やかな時期が続きましたが、1707年12月16日(宝永4年11月23日)に発生した宝永の大噴火で再び活動が活発化しました。直前に南海トラフを震源とする宝永大地震があり、その影響が大きいと考えられています。
噴火がみられたのは富士山の東南斜面地区であり、三つの噴火口(宝永山)が形成されました。これらは標高の高い順に第一、第二、そして第三宝永火口と言われて、一部重なりながら数珠繋ぎに並んでいます。
またこの時の噴火の特徴は、噴煙の高さが上空20,000mと推定されるプリニー式の噴火と総噴出量が約7×108 m3と推定されている大量の火山灰を偏西風に載せて広範囲に降らせたことです。
江戸の街にも2寸〜4寸(5〜10cm)の火山灰が積りました。前夜から地震が感じられた中、江戸市中でも噴火当日は昼前から雷鳴が聞こえ、南西の空から黒い雲が湧き起って空を覆い、最初の灰色の降灰が夕刻からは黒く変わったと記録されており、噴火の最中に火山灰の成分が変化した証拠とされています。
そして2日後の18日(25日)になっても、「黒灰下る事やまずして」(新井白石/折りたく柴の記)と降灰が続いた状況が記されています。
尚、後に東京大学本郷キャンパスでの発掘調査で、薄い白い灰の上に、黒い火山灰が約2cm程度堆積していることが確認されました。
その後も暫くの間、降り積もった灰が江戸の市民を苦しめたと思われます。強風のたびに細かい砂塵となって舞い上がる灰のため、多くの住人が呼吸器疾患に悩まされたとの記録が残されています。
この宝永の大噴火以降、現在までの約300年以上にわたり、富士山の噴火は途絶えています。
太平洋プレートとフィリピンプレートの接合点の延長線上、相模湾、駿河湾から連なる地点に立脚し、M9.0の巨大地震、東日本大震災の影響を受けたと考えられる富士山は、近い将来に大きな噴火をする最有力候補の活火山なのです。
・・・そして、いま、富士山の地中深くで何かが起きているのです・・・。
-終-
富士山編(2)~予兆・・・につづく
関連記事 ⇒ 御嶽山噴火で改めて知る、日本の火山の怖さ!! 富士山編(3)~噴火
【続報】
富士山の大規模噴火を想定した静岡、山梨、神奈川3県と国による、初めての合同防災訓練が10月19日に開催された。主に静岡県地区を舞台に約3,900人が参加し、南東側の山腹の標高2千メートル付近で噴火、降灰や噴石、溶岩流が発生したとの想定で、住民はバスや自家用車での避難を経験した。
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