実際の隠密廻り同心と紛らわしいが、このテレビ番組の隠密同心はまったくのフィクション。ここまで荒唐無稽だと、逆に清々しいというか、出鱈目な設定が痛快だ!!
しっとりとした味わいの枯れた時代劇も良いものだが、痛快無比のアクション活劇も楽しいのが、時代劇の醍醐味である・・・。
最初に実際の隠密廻り同心について説明しておくと、 江戸時代、町奉行所の治安・警察組織は、三廻りと言われる、隠密廻り、定町廻り、臨時廻りの同心たちが主に担当していた。このうち隠密廻り同心は奉行直属であり、特に経験豊富で優秀な同心が選ばれたという。
他の同心と同様に八丁掘に住み、他の同心が黒羽織の着流しで町を巡回したのとは異なり、町人姿などに変装して江戸市中を廻り、奉行の特命事項や重大事件の探索や聞き込みを行った。但し容疑者などの捕縛等、所謂、捕り物・出役は他の同心などの役割であり、専ら探索・諜報活動専門の役割だった。また、刑事警察というよりは公安警察に近く現在の国税局査察部門の様な役割も大きかったと思われる。
さて『大江戸捜査網』は、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)で放送されていた痛快テレビ時代劇シリーズで、全713話の長寿番組。初めの頃は『大江戸捜査網 アンタッチャブル 』とサブタイトルが付けられていた。これは米国のFBIを舞台にしたテレビ番組を模してつけられたというが、チームプレーを重んじた群像捜査劇ということを訴求したかったのだろう。(杉良太郎編、第1シリーズ 第1話~第40話まで)
物語の大筋は、改革派老中の松平定信が極秘に作った組織である隠密同心の活躍を描くもの。そのメンバーたちは普段は町人として市井の中で生活しているが、松平老中に任命された隠密支配からの指令で犯罪組織に潜入して探索を行い、最終的には悪人を成敗するというものだ。
初登場は1970年、主役は杉良太郎、里見浩太朗、松方弘樹、そして新シリーズの並木史朗、橋爪淳と移り変わったが、1992年まで長期間にわたり人気を持続した。当時、チームプレーで事件を解決するパターンの時代劇は珍しく、またそのスピード感溢れる殺陣も人気の一因だった。今でいうコスプレのはしりの様な、男性陣も含めた派手な装束や(トンボを切ったとたんの)衣装の早変わりなども特徴的である。
また迫力のあるチャンバラ映像を撮影する為に、他局の時代劇とは異なり、その殺陣シーンではある程度ならば相手に刀が当たっても良し、としていたと云う。
御馴染みの「・・・死して屍(しかばね)、拾う者なし」のナレーションが有名だ。クライマックスの主人公たちが皆、横一線に並んで歩くシーンも懐かしい。これって黒澤監督作品からマカロニ・ウエスタンへと引き継がれた、決闘へ向かう時のお決まりのスタイル。江戸時代を舞台に、西部劇と刑事・スパイアクションを合体させてチーム・プレーの魅力を盛り込んだ活劇ものに仕上がっていた。
当初から、その時々、勢いがあり売り出し中の若手スターを主役に起用しながら、常にフレッシュさを取り入れて長寿番組となった。
あの印象深いナレーションは黒沢良が担当し(『新・大江戸捜査網』のみ日下武史 )、また軽快でかつ変拍子の採用が特徴的なオープニング・テーマ曲は玉木宏樹の作曲である。
制作は、初めの頃は東京12チャンネル(現・テレビ東京)と日活で始まったが、後には三船プロからG・カンパニーと変わった。また1979年には映画版『大江戸捜査網』(主演は松方弘樹、松平定信役に三船敏郎)が製作されている。また当時の日活は、時代劇の制作ノウハウがなかったので、敢えて現代劇のタッチで時代劇を制作することを狙ったとも言われている。
後発局であり、視聴率争いでは万年ビリと大苦戦していた当時の東京12チャンネルでは、この様な連続時代劇を放送することはギャンブルとも言えたが、そのギャンブルは成功し、1970年10月3日にスタートした初期シリーズは、主役を杉良太郎、里見浩太朗、松方弘樹、並木史郎と変えながら、約14年間にわたり続く同局を代表するヒット番組となったのだった。
またその裏話としては、当初のシリーズは日産自動車の1社提供(スポンサード)だったが、これは当時の日産の宣伝部長であった石原俊(後に社長・会長)が大の時代劇ファンであり、土曜の夜にゆっくりとテレビ時代劇を観たいという彼のゴリ押しで有無を言わさずスポンサーとなった日産の意向であったという、真(まこと)しやかな伝説が今にも伝わっている。