【江戸時代を学ぶ】 武士の禄(給与) ~地方知行と俸禄制度など~ 〈25JKI00〉

禄を金額換算すると・・・

御家人の家禄の定番である「三十俵二人扶持」は金銭にするといくらか? 三十俵二人扶持は現米換算で40俵、金額換算で14両になる。

また、既に述べた通り江戸幕府では、年貢税率から百俵を三十五石という基準、即ち一俵は三斗五升入(0.35石)で換算(外様大名家の加賀藩では五公五民で一俵は五斗入)としており、つまり知行一石で米一俵として現米三十五石は百俵、一人扶持が米五俵である。言い換えれば、知行百石=現米三十五石=蔵米百俵=二十人扶持=金三十五両(名目レート:現米一石=金一両換算)となるのだ。

更に米価については、江戸時代も初期の頃は金1両が米3〜4石程度の価値があったが、やがて金銀とも相場が下落し明暦年間以降からは金1両が米1〜2石程度となる。更に元禄の吹替えにより貨幣品位がより低下して、以後文政年間位までは金1両が米1石前後であった。

尚、金は四進法であり1分が1/4両、1朱が1/16両であるため俸禄を金額に換算をする場合は端数が生じることが多くある。

 

地方知行制度の衰退・・・

地方知行制度は、やがて幕府や大名の直接的な所領支配の強化に伴って蔵米知行へと切り替えられていった。江戸時代も中期以降は格式だけは知行取りだが、実際は幕府や藩庁から支給される蔵米知行を大部分の武士が選んでいく。

一部には実質の知行を望む「地方直(じかたなおし)」といった反動もあったが、知行地が家屋敷から遠隔地である場合や相給で給地が複数の村落に分散している場合など、またそれ以上に天災や凶作による減収を恐れて、安定収入が得られる蔵前知行制に移行していった。こうして、徐々に武士と所領との関係は断ち切られていったのだ。

 

禄に関わる武士の困窮・・・

江戸時代の武士の禄の算出基盤は米(米本位制)である為、江戸中期以降から後は米価安にもかかわらず米以外の物価(諸色という)が高くなり、武士たちの実質的な収入は減り続けた。また各藩の家臣たちは、地方の国許から物価の高い江戸詰めを命じられると多大な出費(家族は国許、本人は江戸詰めの二重生活で家計を圧迫)を強いられた。

幕府は俸禄に関しては江戸時代を通じて支給を続けたとされるが、諸藩においては財政が破綻し、大幅な減額(返済されない借上など)が実施されたことも多い。

物価の高い江戸に住む幕臣の旗本や御家人も、経済的に逼迫して段々と札差に禄の前借りや借金をするようになる。これは札差側にとっても、旗本や御家人は云わば現在の公務員の様な存在なので、その信用をベースに金をどんどんと貸し付けていた(現実には蔵米などを差し押さえての回収が可能と考えていた)のだった。

 

本稿で解説した諸事項については、江戸時代の中でも、初期と中期、後期、そして幕末期という時代区分に応じて状況が異なり、また幕府や各藩、地域などでその規則や制度が分かれており、例外等も多いことをご了解願いたい。

やや複雑ではあるが、江戸時代の武士の給与に関して概ねを記した。是非、参考として頂き、時代小説や時代劇を楽しんで欲しい・・・。

-終-

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