【大好き都市伝説】 無人船メアリー・セレスト号の謎 〈248JKI07〉

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メアリー・セレスト号

前回の【大好き都市伝説】では、空の失踪事件を紹介したが、今回は、1872年にポルトガル沖で発見された帆船『メアリー・セレスト号の乗組員失踪事件について語ろう。

見から150年近くも経つのに、現在でも海の都市伝説としては最も有名な事件だ・・・。

 

船長室のテーブルには食べかけの朝食が暖かいまま残っており、コーヒーはまだ湯気を立てていた。船員の部屋にも食べかけのチキンとシチューが残っていた・・・。

洗面所にはつい今しがたまでヒゲを剃っていたような痕跡があり、ある船員の部屋には血のついたナイフが置いてあった。そして、船長の航海日誌には「12月4日、我が妻マリーが・・・」と走り書きが残っていた。

救命ボートも全部そのままあり、綱をほどいた形跡はなく、積荷のアルコールの樽もちゃんと残っていて、盗難などにあったとは考えられない・・・。

【 マリー・セレスト号を調査した船員による報告 

 

都市伝説好きの人は誰でも、メアリー・セレスト号の乗組員失踪事件を聞き知っていると思う。この事件をもとにシャーロック・ホームズで有名な推理小説作家のコナン・ドイルが『J・ハバカク・ジェフスンの遺言』という小説を書いたほどの奇妙な事件で、いまだにメアリー・セレスト(Mary Celeste)号の名は海上における謎の失踪事件の代名詞となっている。尚、コナン・ドイルの小説では、メアリー・セレスト号はマリー・セレスト(Marie Celeste)号となっている。

 

事件の経緯

【出航・発見】

メアリー・セレスト(Mary Celeste)号は1872年11月5日(7日という説もある)、ニューヨーク港からイタリアのジェノバ港へ向かう航海に出航したブリガンディン型の帆船である。38歳になるベンジャミン・ブリッグス船長の指揮下、彼の妻子(妻セーラ・E・ブリッグズ、2歳の娘ソフィア)、及び船員8人の合計11人が乗り組んおり、積荷はニューヨークのメッシナ・アッカーマン&コイン社から出荷された1,700樽に及ぶ工業用アルコールだった。

しかしその後、メアリー・セレスト号は12月5日にポルトガルのリスボンから西に700kmほど離れた大西洋上で、無人のまま漂流していたところを発見されたのである。発見したのは、ジブラルタルに向けてニューヨークから航海中の英国船、デイ・グラチア(Dei Gratia)号のモアハウス船長であった。

デイ・グラチア号は、メアリー・セレスト号を追う形で同船の出航から10日ほど後にニューヨーク港を出帆したのであったが、発見者のモアハウス船長はメアリー・セレスト号をよく知っており、ブリッグズ船長とは(出港前に会食している)知人関係にあった。尚、このことが後に、船長二人の共謀による詐欺疑惑を招いた。

さて、発見された時、メアリー・セレスト号に人影は無く海上を漂っている状態だったため、何かの事故ではないかと疑ったモアハウス船長は、一等航海士オリバー・デボー以下の数名の乗組員に命じて、船の中を捜索させることにした。

【捜索・伝聞】

オリバー・デボーに率いられたデイ・グラチア号の乗組員がメアリー・セレスト号の船内へ捜索に入ってみると、中には誰一人としていなかった。船の艤装や装備には全く異常がないにもかかわらず、船内はまったくの無人だったのだ。しかも、調査が進むにつれて幾つもの不思議な事実が判明した。

発見される直前、船内は朝食の最中だったらしく、食器類がテーブルの上に置かれたままであった。コーヒーは湯気をたてていたし、ゆで卵や皿に盛られたベーコンやパンが食べかけのまま放置されていたという。まるで、食事中に何かが起きて皆が席を立ち、そのまま帰って来なかったという様な状態であった。洗面所にはつい今しがたまで髭を剃っていた様な痕跡もあった。

また救命ボートは縄をほどいた跡もなく残されていた。船倉の積荷は荒らされた形跡も無く、水や食料も十分に残されていた。船長以下の船員達ちの私物なども綺麗に整理されたまま、全く手付かずで残されていた。
つまり、ほんの一瞬前まで船長やその家族、そして乗組員らが乗船していた様子がありありと残っていたのだが、彼らの姿はどこにも見当たらなかった。
船長室を調べると、ベッドの下には血の付いた刀剣が転がり、12月4日付の航海日誌の最後のページには「12月4日、我が妻マリーが・・・」との、走り書きが残っていた。

更に、船内の手すりには3つの血痕が発見され、壁にも謎の引っ掻き傷が残されていた。

海賊に襲われたのか?伝染病に感染して乗組員全員が死亡したのだろうか?それにしても、誰一人として死体がないのは謎である。

前述の通り、救命ボートも全部残っており、綱をほどいた形跡もなかった。そして依然としてマリー・セレスト号の乗組員がどこへ消えたのかは、不明のままであった。

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