最近の刀剣ブームを牽引している人気ゲーム『刀剣乱舞』に登場する、加州清光/歌仙兼定/山姥切国広/蜂須賀虎徹/陸奥守吉行について調べてみたので、【名刀伝説】の特別編として紹介することにしたい…。
尚、上記の五つの刀剣に関しては、あくまでゲーム『刀剣乱舞』の中での設定なので、現実には贋作と疑われたり、資料がなく解説が困難な刀も多いが、その中でも説明が可能なものを紹介していくので、ご了解願いたい。
1.加州清光(かしゅうきよみつ)
江戸時代の加賀(加州)の刀工だが、同名が数代にわたり継承された。初代は「小次郎」といい泉村(現在の金沢市泉)に住んでいたが、宝徳3年(1450年)に没した。
6代加州清光は、生年は不詳だが貞享4年(1687年)に亡くなったとされる新刀期の刀鍛冶である。正式な名前は、加州金沢住長兵衛藤原清光という。彼は6代目の「清光」で元々は鍛治町に住んでいたが、一時期、生活に窮して非人小屋「窮民収容所」に入っており、その為、「非人/乞食清光」と呼ばれており、そこで幾口(いくふり)かの名刀を打ったようだ。また彼は、「清」のつくりを「十二・月」と分解して切るため「十二月清光」とも呼ばれている。
6代目の清光に続いて7代清光(長右衛門)も非人小屋入りをしていたことがあるが、8代以降は小立野土取場(現在の金沢大学医学部付近)に住んで刀を鍛えた。
12代目の清光は藤江清次郎といい、藩末の加州を代表的する刀工であったが、不遇のうちに明治9年に没した。
ちなみに、「加州清光」を所有していた歴史上の有名人としては、新撰組の沖田総司や東條英機らがいる。
2.歌仙兼定(かせんかねさだ)
美濃鍛冶の名工、2代目和泉守兼定(通称「之定」ノサダ)の名作である。細川忠興の佩刀であり、彼の考えた拵え、即ち「肥後拵え」の施された優美な刀剣である。身幅が広く鎬の高い実戦に即した豪刀であり、茎尻が栗形なのも特徴だ。
さて歌仙とは、歌道の名人「36歌仙」が有名であるが、忠興は兼定で36人もの家臣を手打ちにしたといわれており、そこから「歌仙」の名がついた。決して事実ではないだろうが、忠興は、その様な風評が広がるような冷徹な人柄であったのだろう。
兼定は、室町時代における東国随一の刀工であり、「関の孫六」こと兼元とともに関鍛冶を代表する存在である。当時、彼の作品を諸大名が争って買い求めたといわれている。後に、山田浅右衛門もその切れ味を高く評価しており、『懐宝剣尺』では「大業物」にランクされている。
尚、武田信玄、柴田勝家、明智光秀なども「之定」を所有していたとされる。更に土方歳三の愛刀も「兼定」として有名だが、彼の所持していた刀は「之定」ではなく、幕末の11代もしくは12代兼定の作品である。
3.山姥切国広(やまんばぎり くにひろ)
山姥切国広には、備前長船長義の作品である「山姥切」を写した堀川国広の作である。
長義(ながよし、ちょうぎ)は通称を藤左衛門と云い、南北朝期の備前鍛冶の中で兼光と並び称される刀工である。また正宗の門人で、正宗十哲のひとりとも云われている。この「山姥切」のほか、「六股長義」や「八文字長義」などが彼の有名な作品であり、いずれも凄まじいばかりの切れ味を誇った。
「山姥切」は、天正14年7月11日に足利城主の長尾顕長が北条方の味方として小田原城に参上した際に北条氏政から下賜されたもので、この長義の刀は、昔、信濃戸隠山中の山姥なる化け物を退治したことから「山姥切」と呼ばれていた。
そして「山姥切国広」は、長尾顕長の依頼を受けて顕長が所有していた長義の「山姥切」を写して堀川国広が打ったもので、国広の作中、第一の傑作として名高い。国広は九州日向国出身の刀工で、新刀の祖と言われた埋忠明寿と比肩する刀工とされる。
諸国を流浪し、天正十八年には上野足利の足利学校におり、長尾顕長の依頼で「山姥切」の写しを鍛刀した。その後、京に上り、慶長19年(1614年)4月18日に84歳で没した。
4.蜂須賀虎徹(はちすかこてつ)
『刀剣乱舞』では、徳島藩主の蜂須賀家に伝来した「虎徹」のこと。江戸時代に活躍した刀工である長曽禰興里(ながそねおきさと)が打った刀である。
また「虎徹」とは、長曽禰興里の入道名のひとつでもあり、この人の刀には贋作が多いことで有名である。それは、興里の存命中から彼の作品が大変な人気を博し、需要に供給が追い付かなかった為、偽物が大量に出回ったとされている。
寛文の頃は反りが極めて浅く武骨な新刀が多いが、延宝期の作刀は、姿が優しくなり反りは増した。4つ重ねの胴を切った刀(四ツ胴)が一口、現存(旧御物、現在は東京国立博物館が所蔵)している。
『懐宝剣尺』や『古今鍛冶備考』などの刀剣書では、「最上大業物」とされており、斬れ味だけで比較すれば全ての刀の中で最高位との評価もある。
新選組の組長、近藤勇(「今宵の虎徹は血に飢えている」という明セリフがある)の愛刀としても知られているが、ほぼ偽物だったということで識者の意見は一致している。
5.陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)
陸奥守吉行は播磨守吉成の次男で、本名は森下平助といった。元禄年間に土佐藩に招かれて土佐に移住したことで土佐吉行とも呼ばれたが、彼は土佐の刀鍛冶の中でも特に優れていると評されている。
この刀は坂本龍馬の愛刀として知られるが、坂本家先祖伝来の一口(ひとふり)で、龍馬が脱藩する際に姉の栄(2番目の姉)から渡されたという説と龍馬が兄の権平に願い出て譲られたという説があるが、後者が本当であろう。
また権平は、山内容堂に会見するために土佐を訪れた西郷隆盛にこの刀を託し、長崎に居た龍馬のもとに届けたという。
龍馬は京都に上る時は常にこの刀を所持し、兄からの贈り物だと自慢していたが、近江屋での遭難時、彼が佩刀していたのもこの「吉行」とされる。業物。
ちなみに、龍馬は脱藩時に姉の乙女(3番目の姉)から兄権平の秘蔵刀である「肥前忠広」を持たされたとの説もある。「陸奥守吉行」が後に兄から贈られたものであれば、脱藩時には「忠広」を佩刀していた可能性が高くなるが…。
女子に人気のゲーム『刀剣乱舞』だが、何が切っ掛けでも刀剣に興味を持つファンが増えてくれれば、それはそれで好いじゃないか、と思う拙者であった…。
-終-
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